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本心は朧、実態は青緑 6

「死体のようです」アイラは片目を閉じて、そっけなく応える。「お客の搬出はどうします、警察の車両は一応、交通規制を装うよう提案された方が、後々世間に広まる情報の食い止めにはなります、私のライブとの関係性をつなぎあわせたくないのであれば」

「刑事さん!」カワニはすぐに手を挙げた、制服警官も含めた警察の面々が一斉に彼に振り向く。一瞬たじろいだものの、勢いそのままにカワニは過剰な手振りを交え、事情と提案を告げた。

 カワニを避けて不破がゆっくり、ポケットに手を入れて近づいた。禁煙用の透明なパイプをくわえていた。なにを咥えているのか、指摘して欲しそうなあからさまな行動は非常に稚拙に感じる。

 肩を開く、振り返るカワニが言う。「表の車両を道路脇へ移してもらえませんか、あれでは観客が出るに出られません!」

「緊急事態だって、おわかりになりませんか?」不破は手を広げる、長い手だった、アイラとカワニを交互に見つめる。「人が殺されている、殺人です。自ら命を絶ったのではない、まだ周囲の警戒を解ける状態ではありません。それをどうか意識に上げてもらいたい」

「しかし、お客さっ……」カワニの反論は遮られる。

 不破は指を立てた。「教会はアイラさんのライブ会場として利用していたのですよね?」彼は尋ねる、首が数度傾いた。マリオネットを髣髴とさせる機械的な動き。

「は、はい。ですからね、私は前の会場との」カワニは声を潜めて話す。「関連が憶測であっても噂に上る、これを懸念しているのです。どうにかなりませんか、刑事さん」最後に彼はすがった、不破の袖を掴むカワニ。

 そのとき、鑑識の一組が姿をみせた、紺色の制服と帽子に身を包んだ彼らは、土井の案内でそそくさと仕事に取り掛かる。車両がもう一台増えたか、観客がパトカーを見ることなく会場を離れる想像はもはや非現実的な淡い期待だとアイラは思った。また事件に巻き込まれたようだ、不運としかいいようがない。あるいは、私の職種やそれに準ずる活動が要因の一部を担っているのかも。

 カワニはアイラにこの場に留まるように、それと、なるべく教会の壁に張り付いて、警察と一緒にいる時間を極力減らすよう、言いつけて、また忙しなく教会の表に向った。観客がこちらに足を運ぶ心配は、警察が出入りを禁じているため、払拭されている。

本心は朧、実態は青緑 6

「中に観客がいます。拘束されては困ります」

「状況次第ですね、それは。まだ、なんともいえません」

「なにがあったのです?」アイラは興味を装って訊いた。

「殺人です。阿倍記念館と同一の事件が教会で起きた、と匿名の通報があったのですよ」

 アイラと佐賀県警の刑事・不破と土井は連れ立って教会の裏手に廻った。彼女は裏手に廻ったのは始めてであり、車を止める駐車スペースを予測した程度だった。案の定、広がる光景は白線で区切られた六台分の駐車場そのものであった、ただの一点を除いて。

 制服の警官が首を振る、駐車場中央の白線が途切れたアスファルトに人の頭が教会側に向き、足元が奥に向う、また背中に突き刺さるナイフがきらびやかに刀身を見てくれるように願いを込めて、光る。一定の距離に近づくと、血の鉄分が鼻をついた。傾斜した地形に作られた駐車場らしい、溢れる血液が塊となって川を作り、右の車止めでやっと止まる。

 まさに死体である。驚きはしかし、半減しただろう、アイラは心象を冷静に分析する。彼女を追い越した土井が体を揺らして死体に近づく。広がった血だまりは、まだ乾いていない。つまり、数十分か長くて数時間、誰も気がつかなかったのだろうか。アイラは周辺を見渡した。左手は茶色のビルがのっそりと視界を塞ぐ、窓らしきものは見て取れるが、頻繁に開け閉めされる窓には思えない、カーテンは厚く閉り、窓そのもの大きさもトイレの窓がいいところ。正面は空き地だ、刈り取られた緑は人の手が入った形跡が確認できるが、それは売り地の看板が人気のなさを証明している、次に右斜めに建つビル。こちらも窓はなし、穴と言えば、排気口が下向きに取り付けてあるぐらいで、人が覗く空間は皆無に等しい、屋上につながる梯子は建物側面に取り付けてかかるけれど、地上から上る類のもので、内部から屋上に移るルートは淡い期待に終わるだろう。そして、右手は五階建てのマンション。住居窓はある、目撃者がいるかもしれない、死体と犯人を見ていないにしろ、怪しい人物もしくは目撃したときには死体や犯人とは思っていなかった人物を見ている可能性はなきにしもあらずか、アイラはとっさに現場の状況を浚った自分を、大いに呪った。警察の対応が緩慢に見えた、これを要因に仕立て上げよう、無意識に事件が気になったなどとは、思いたくはない。

 靴音を鳴らしてカワニが真横に並ぶ、彼は右足を擦った走りが特徴である。息が切れていた、興奮と日ごろの運動不足。

「はあ、はあ。もしかして、はあ、またですか、まいったよぅ」

本心は朧、実態は青緑 6

 飾りのように鑑賞に特化した予備の一本にギターを取り替えた、ポジションを確認、あたふた伸びる配線を音響スタッフが付け替える。アイラは左手の黒幕から顔を出すエンジニアに目配せ、たっぷりを交換の間を作り出して彼女は、視線を前に移した。見つめる二つの瞳がずらっと横に、奥に並ぶ。日が落ちつつあるのか、ステンドグラスが真価を発揮する時間帯。

 逆算。発生の一瞬手間で最終曲、一曲前、そのまた前、次の前の歌いだしを映像に引き上げた。解放。

 空気を振るわせる。拍手だ、しばらくして鳴り止むだろう、演奏の邪魔、自己欺瞞の象徴だと思ったら、手を止めて。

 奏でる。歌う。パトカーのサイレンが重なる最悪の事態を避けるように、アイラは演奏に取り掛かった。

 

 まったく。悪態をついたのは教会の通路、観客たちの間を通りぬけて、屋外で待ち受ける数台のパトカーを見てしまったときである。幸いにもサイレンは警察の配慮で止まっていたと思われる。隣県から駆けつけた刑事が、うっすらと微笑を湛えて、こぼした。楽しそうだ、事件の発生を喜ぶのも無理はないか、事件が発生しなければ彼らの存在意義は消滅してしまうんだ。

 制服の警官が数名、教会の裏手に走り出す。階段を下りたアイラを、不破が出迎える。

「また、お会いしましたね」明らかに事件の関与を疑う眼差しだ。

本心は朧、実態は青緑 6

 一報はライブの途中にもたらされた。終局に向う中盤を過ぎた大まかな予定曲の近辺で、カワニがステージ袖に水を持ち、屈んで壇上にあがった。腰の高さほどのテーブルに水は二本、用意されてあった。観客に背中を向けたカワニが、テーブルに手をついて、こちらを窺う、事態の急変をその瞳は告げているようだった。予想は悪い方にばかり当る。いいや、悪い方は予測が成り立ちやすい、アクシデントに決まった形はないのだ。

 約三十分をもって警察が到着する、それまでに極力ライブを終わらせるように、カワニは肩合掌で片目を辛そうにつぶった。

 警察、聞かされたワードがはじき出す展開といえば、殺人と死体である。要するに、先週の阿倍記念館で起きたライブ後の死体発覚に関連もしくは、被害者の増加が予見される。こういったときのアイラは実に冷静である。頭をぐるぐる働かせた。

 三十分の持ち時間、五分の曲で六曲。終盤にはバラードの用意、これを欠くことは難しい、

 お客が望む、余韻を引きずるための作用は爽快感よりも言葉数の少ない響かせる音質に限るのだ。

 となると、彼女はカワニに軽く頷き、水を含む。まだ背中を向けた状態だ。カワニがステージを降りていく、最も注目を浴びるのは彼だろう。教会は上部がラウンドした両開きの扉を開けて、すぐさま室内が視界に飛び込む、外と中の中間は存在しない、ゆえに観客はライブ後の溜まり場の余韻に浸る空間を設けられていないことになる。だから、私は演奏を終えるとそのまま教会を出る算段だった。ただ、気になるのは、カワニの言葉が私個人に警察の要請が下ったのか、ということだ。しかし、それならば、うーん、警察が到着する、という表現は的確な伝達には思えない。聴取ならば、事情を聞く旨をカワニは伝えたはずなのだ、警察は私以外の目的によってここに来訪する必然性が高まる、といえるだろう。すると、やはり、事件の線が濃厚に思える。観客がざわつきだした。いいさ、いかに捉えた認識が間違いであったかを、ひきつけて塗り替えられれば、もう忘れてしまえるのだ。