コンテナガレージ

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赤が染色、変色 3

 しかし、過去の事例ではライブ開催の翌日に死体は見つかる、気は抜けない。連続殺人を食い止める方法は、ライブの中止が残された強い手札。だが、最終週の福岡の開催をもって彼女はライブの終了を決めていた、変更は受け入れないつもり。公演中止の働きかけには断固、警察からの要請に真っ向から逆らう態度で臨む。ツアーと事件を嗅ぎつけるマスコミへ格好の餌を与えているようなものだ、黙っていれば彼らは次の新鮮なまだ、息を引き取ったばかりの骸に食いつくのだから。それに定期ライブと比較する大量のデータ収集、これをアイラは主眼に置き、ツアーに繰り出した。指図は受けない、そのためにこれまで刑事の質問に答えてきた、いわば借りを作っておいた。不本意ながらも質問に応じるアイラ・クズミ、が私を捉える彼らの見方。備えあればなんとやら、である。

 アイラは大分コンベンションセンターの二階、コンサートホール、オペラや観劇の公演に作られた会場、ふかふかの椅子に腰を下ろして、楕円を模した広大な空間に見入っていた。波を思わせる舞台両脇の重なり、設計者は反響、音響きをどのように図面に書き起こしたのか、彼女には不思議だった。パンと拍子打つ、音たちは一度三百六十度に広がったかと思うとすぐさま引き返す。高い音は余韻を残した来訪、低音はするりといつの間に返ってきたの?と聞きたくなるほど自然だった。ただ……、そうただ、である。

 浮かないアイラの表情をいち早く察知したスタイリストのアキは、少ない接触で最低限の言葉数を使用し、質問、いいや疑問をぶつけた。アイラはそれに対し、アキが用意したステージ衣装に不満がないことを、告げた。ステージで歌う姿の想像が車内で検討した衣装との兼ね合いに不都合と違和感を抱いたのでは、アキの繊細さがもたらした無意味な接触だった。

 地下一階のホール、階段状、取り囲む客席はかなりステージとの距離を感じる、視力の良い自分でさえ、ステージ前のカワニの表情を読み取ることは難しい、手を振り、呼びかける彼の行動でようやく感情のベクトルが量れてたくらいだ。彼は何かを訴えてる。また、難題が発生したのかもしれない。アイラは駆け上がるカワニを待った。

赤が染色、変色 3

 長崎県のライブは西部の、かろうじて建物が現存する印刷工場での開催であった。近隣の住居は三世帯が暮らす集落が山の中腹入り口に建つ。事前にかつての工場が発した音は山の形状によって集落には届かなかったそうで、深夜であっても騒音の心配はない、との住民の太鼓判をもらっていた。工場は山の中腹にあり、ライブ会場当日は、手配したシャトルバスを最寄り駅から走らせるのだそうだ、もちろん定期便は往復の一便のみ、これも演出のうちである、交通費の工面は各自に任せてバスの運賃はチケットに含まない、無料にはあえてしない。事情により遅れる観客も現れるだろうが一過性のライブ、これが今回の趣旨である。

 会場の広さは、鹿児島の会場とほぼ同程度の敷地面積を有する、数年までは倉庫に使われていたとのこと。室内の暖気に関しては諦める方針を採用、アイラたちはスタンディングによる会場設営に切り替えた。お客には会場内の席の有無に関して公開は控える。鹿児島の事例は特別入場に先立ち、ランダムに割り振った座席番号に応じて席をあてがったのだ、口答で好きな数字を言ってもらう手法である。カワニの発案。自分が言った手前、諦めもつき、幸運に酔いしれもする。機転の利く対応だろうか、アイラ自身はどの席で見ようと得られる効用は同一に思える。もっとも後方の席に対しては数曲を客席中央にて歌う場を設けた。

 そういった突発的な改変を行うアイラたち一行は予定の半分を消化し、折り返しを迎える。十月第四週の移動・公演は日曜に現地に入る。当日は休暇に充て、月曜にリハーサル、翌日の火曜が本番、水曜が次のリハーサルと半日の休養、木曜に本番、金曜は大分に移動し、そのまま会場の下見に向かう。

 長崎では終日、警察が帯同するらしい。グッズTシャツの着用を彼らに義務づけた。周囲への警戒心は最小で留まっただろう、カワニの不安を取り去る効果に協力したアイラの提案だった。

 殺人は起きなかった。

赤が染色、変色 2

 子供ほどの女性歌手に入れ込む姿に、明らかに不審めいた夫の態度と距離。始まりは、数ヶ月前に訪れたライブハウスの定期公演だった、娘の付き添いで歌う姿に惚れ込んだ。同世代の関心は海外の若い男性、アジア系の歌手や役者だけれど、これまでそういったあこがれの対象は私には縁遠く、実生活を正面から受け止められず、履き違えた娯楽に興じる、逸脱した羨望と思っていた。それが、まさか、あろうことか……この私がのめり込むとは、思ってもみない、初めての経験だった。

 木目の美しいギターを手に、赤いストラップの幾何学模様、オレンジの照明に照らされたアイラの素顔。地下室、埃の浮流、歌声はあらゆる物質を振るわせた。私の軸も揺り動かすの、内部を伝って、外へ出て、彼女に還った。震えた。涙が出た、胸が張り裂けて、縫い合わされた。娘の方が私を案じた、あの時は心配をかけた。だからライブは私一人で通う、定期的なライブ会場の東京へと足繁く通う。文句は言わせない、娘は二十歳を越えた大学生で東京に住む、それに飛行機代はピアノ講師としての自宅を開放した仕事から捻出してるし、夫に文句を言われる筋合いがあってたまるものかって、でも面と向った発言は控える松田三葉である。 

 十月の第四週、木曜日にアイラと地元九州で向かい合えるとは思ってもみない吉報、それを聞いたときには意地でも大金を支払っても、スケジュールだって生徒や夫に悪いとは思っても、調節に余念はなかったはず。とはいえ、木曜のレッスンは高校生相手のためここ一年は空きっぱなしであった。もう高校に通いながら音楽を志す生徒は少ない。中学、それも二年生の夏休みでピアノを離れる。私の頃とはって比べるのはまったくナンセンス、状況が違いすぎるのよ、皆片手間で遊べる時期を私たちの時代よりかはシビアに捉えてる。

 比べてるのかな、これも。

 松田三葉はまじまじ、手にしたチケットを眺める。

 あの出会いの、私たちのゆるぎないひと時を頬を緩ませた顔で思い出していた。

赤が染色、変色 1

 

「だ、大丈夫ですか?」カワニだ。

「被害は今のところ受けてません。かなりの人数に囲まれて」アイラは務めて落ち着き払った態度で首を伸ばす、前後と右側の状況を探って応えた。「五十人はいますかね、ホテルの宿泊客がほぼ私のライブに訪れたお客だったと思われます」

「非常時に何を悠長なことを言ってるんです!いち早く、その場を離れてください、キーは持ってますね、ゆっくりと人を轢かない速度で発進、車を動かしてください、アキさんに頼んで、決してアイラさんが動かしてはダメですよ、いいですか、これは絶対にです」

「運転席に刑事さんが座ってます。頼んでみましょう。行き先はそうですね、どうせなら、駅まで送っていただきます」

「この時間に警察がぁ?」音が割れる

「昨日の会場で死体が見つかったのです」

「はあ!?またですか、もう勘弁して欲しいなあ、そういうの」

「それでは、またのちほど」

「アイラさんっ!」カワニが言う。「やはり私も同行します」

「それは昨日結論が出たはずです。人ごみを通る、ホームの際には立たない、襲われるのは背中であれば、ギターを背負うので背中は覆われる、狙う箇所は正面しかない。胸と腹部を衣装のバッグを抱えますので、心配には及びません。では、会場で」アイラは通話を終える。「刑事さん、そのまま車を動かして、駅まで走ってください」

「ええっと、それは許される行為でしょうかね、後々厳しい処罰を受けるっていうのは、勘弁して欲しいなぁ」

「問題ありません、マネージャーの許可は取りました。送り届けたら、ホテルに戻って」

「なんだか、突拍子もない事態に巻き込まれた……刑事になってはじめてかもしれない」

 人を掻き分けた車はのっそり地を這うようにタイヤが転がる、掻き分ける人ごみ、沿道でカメラに映るマラソンランナーを追いかける目立ちたがり屋が数人着いてきたが、追いついた赤信号はもてあそぶように青に変わり、小さく姿がそのうち消えた。ちらつく雪が郷愁を誘うか……、豪雪ともなれば余裕は消えうせる。安定した現在、風を遮断する車内に座るからこその感想なのさ。