コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

鯨行ケバ水濁ル 梟飛ベバ毛落ツル 11-2

お題「起きて最初にすること」

見えていなかったのです、死体の右半身を。聞いておられなかったようですね、右は見えています。右目右側の視神経と左目右側の視神経の働きが鈍り左側の視野に欠損が生じた。対象物との距離の違いが物体を三次元の立体に見せ、奥行きを人の目は獲得した。平面を見るための機能に微かな左右差、両目の神経を左右に分け更には右目の右・左側、左目の右・左側を設けた、左右片方の視野でも奥行きを我々は感じられるのです。兎洞さんが遠矢さんに呼びかけつつ死体を視野に収めるには死体全体が入りきらない、視界の片隅をちらつく程度だった。しかも、ええ、こちらのドクターが仰るよう、彼女の視覚は無意識に欠損部をあたかも健康な左半身の肉体を目安に、比べ創造し、脳内に像を作り上げた、一つの健康な塊に。よって意識を失う、あるいは眠りこけたお客と、勘違いな発言を遠矢さんに投げかけたのです。彼女は異常ともいえる映像処理を常日頃より行っていた、それらしい形を瞬間を逃さず読み取る場面に日々出くわす、躊躇はもっての外。私たちに置き換えるとありえない事態に思えます。しかしながら、それは左側を含む両側の視界という与えられた安心を私たちは捉えてしまえるからである。左側が見えない彼女と半開きのドアでは不十分、手帳に書かれた内容は矛盾し、彼女の言い分は破綻をきたてしまうのです。ようやくここで次の登場人物、家入さんに話は移ります」日井田女史は手際よく時間を計ったかのように家入と兎洞にコーヒーを運んだ、一つに結ぶ髪が揺れる。店内は日井田女史の一挙手一投足に釘付け、続きを飼い犬のようカウンターに戻った主人の号令を待ちわびる。

「兎洞さんのほか、家入さんも隠蔽に手を染めた。ご心配なく弁解、反論の機会は設けます、不要でしょうけれど」

鯨行ケバ水濁ル 梟飛ベバ毛落ツル 11-1

お題「カメラ」

 圧縮。見事私たちの眼前しかも等距離にぶら下がる日井田女史の解説は淀みなく、確実にこちらを見透かす手玉に取る厭らしさは皆無、話の腰を折りそうで折れなかった指摘の頻度とにじり寄る圧迫は下降ラインを描きます。とはいえ、核心には中々至りませんでした。家入は兎洞と席を一つ離して座る、日井田女史に視線が集まる。「肯定、否定、拒否でも構いません、家入さんは兎洞さんの視覚欠損を以前から知りえていましたね?不要な弁解は後ほど伺います、肯首でお答えを。はい、閉じきらず開いたドアから室内に横たわる死体と遠矢さんをフロントに引き返す兎洞さんは目の当たりにした。ところが特異な兎洞さんの体質を念頭に捉えこの場面を見返すと、あってはならない彼女の証言に出くわす。これは取り寄せた兎洞さんのカルテ、刑事さんの許可はいただいております。左を捉える視力は未検出、バーの表示。つまり、彼女は左側が見えていません。生活に支障はないでしょう、車の運転も合法的に許可されてます。視力零点七と百五十度の視野角が免許の発行要件ですので。部屋のドアを思い返す、ドアは右から左へスライドする。そう、三分の一ほどが電子錠をかざすパネルのある右側から開いていた。室内にいた遠矢さんは死体が横たわる中央の囲炉裏、その右手に立ち尽くします。ドアと特異な性質の二重の限られた視界、覗き込む立位置を変えなくては二人をいっぺんに視認することは叶いません。描写と矛盾しますね。比較と対比が視野の欠損部分を補う、兎洞さんは外界をありのままに感知してはいない。しかも、明らかな死をまるで気を失い倒れた者を見るかのように救助を急かした。

鯨行ケバ水濁ル 梟飛ベバ毛落ツル 10-2

「さらに二年前の殺害へ話は遡ります、遠回りよりもむしろ近道でしょうか、反論は後ほど受け付けます。――押しつぶされた半身と密室が未解決のまま、室内には遠矢さんの姿が兎洞さんに見られる。死体を作り出す道具、凶器の保持以前に遠矢さんの犯行は彼女特有の植えつけられた思想によって無実が証明された。日記を許可なく拝見しました、警察に提出された証拠品です。対句修辞という技法をあなたは知らずに使う、出来事を二分割し中心の一行を境に各行が対句となる書き方が身についていた、業務日誌は特に色濃く残った。不動、そして中心に書き表すに最も相応しい出来事を対句修辞法では据える、お分かりでしょう、すなわち奇怪な死体を目の当たりにした彼女が日記に認めるならば必ず中心を、はいそうでしょうね、犯人ならばそう殺害で埋めなくてはなりません。必定ではない。実際目に飛び込む出来事を書き示すはずが室内に踏み入れた描写から始まる。彼女は無実ですよ。なぜか?対句は正確だから。彼女にとって死体の直視と比べその場に疑いがかかってもなお留まってしまったことが強烈な出来事に位置づけられた。書き表すに最も相応しい出来事を中心に据える、のですから」兎洞桃涸を日井田女史は呼ぶ、遠矢と入れ替わった。遠矢の無実を晴らしたという解釈で良いのか、あまりに軽妙な隙のない回答には粗を探したくなるのが人の性のようです。気を引き締め判断は聞き終えた後ほどにいたしましょう。

鯨行ケバ水濁ル 梟飛ベバ毛落ツル 10-1

「エキゾチックな外見を備える遠矢さんは旧土人の末裔でしょう。ホテル『ひかりやかた』に就職が内定した背景は彼女の血縁、家柄が選ばれた。選抜に伝承に精通する研究家は除外、旧土人の血を引き尚且つ生活に根ざした思想を宿す者、彼女はまさに探し求めたり理想、とホテル側の採用担当者は思ったはずです。訂正の機会は後ほど設けますのでそのときに反論を仰って下さい。彼女の過去を紐解いたのにはもちろん、私が『ひかりいろり』の開閉を訴えた理由、これの説明のためですので、誤解のないように。さて、このホテルは森を切り開き建物を建てた、しかも手をつけてはならない神聖な森、旧土人と田畑を耕す海を渡った移民の末裔、いえ両者の血を引く混血たちにも言い伝えが残る。彼女は森とホテルの中立な立場を担う。ホテルに雇われつつ森を守り、森で暮らす傍らホテルを監視する。建物と不釣合いな有り余る敷地は学者たちが荒らす調査という名の自己満足を締め出した、肉を切らせて骨を絶つ、生命そものもの森林を犠牲に歯止めを掛けざるを得なかった。『ひかりやかた』買取りを旧土人たちは許諾、目を光らせる遠矢さんを敵側のホテル内に常駐させた、ホテルに選ばれのではなかった、ホテルはえらばされていたのです。学者は敷地内を挟む自然保護区域の調査に制限が加わり、森はその分あられもない木の伐採を甘受、ホテルは不可思議な思想の従業員を雇い、遠矢さんは仕事を得る。襲われ一命を取り留めた刑事の鈴木さんとそちらの探偵十和田さんたちからもたらされた情報です、出所の追及はお二人のどちらかに、私は一切の入手に携わる関与を否定しますので」本題から意図的に逸らしている、と指摘が飛ぶ。発言は室田氏。