コンテナガレージ

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店長はアイス  死体は痛い?4-4

「ご無沙汰しています」

「あら、刑事さん。捜査ですか、大変ですね」

「プライベートです」

「そちらの方とですか?ご冗談を」

「ご一緒しても構いませんか?」日井田美弥都は本に落とした視線を店内に注ぐ。大きな茶色い瞳でゆっくりとまばたき、そして再び本に戻し、熊田を見上げた。

「どうぞ」熊田が窓際、種田が通路側に座る。種田の敵対心がむき出しで美弥都に突き刺さる。しかし、美弥都は気にも留めず、何も感じないような涼しげな表情で軽く笑いが口元に見て取れる。後ろで縛る髪が解かれていると、いつもとは違った印象、落ち着きが上塗りされている、そう熊田は感じた。

「今日はお休みですか?」

「仕事をしているように見えたら、おもしろいですね」女同士の牽制。

「お聞きしたいことがあります」美弥都はまだ、本から視線を話さない。熊田が質問の許可を求める。

「なんでしょうか?」

「ある事件について、ご意見を伺いたい」

「私の仕事ではありません、皆さんの職務です」

「私の頭脳では解決できない、そういった類の事件に興味をもたれませんか?」

「誘っています?」

「読まれている本よりはおそらくは、おもしろさを保証しますよ。作り話よりも現実のほうが不可解ですから」

 美弥都は指先でページを半分までめくると頂上で一瞬動きを止めた、そしてまた文字を目で追う。「聞いていますので、お話なってください」

 熊田は事件の概要を詳細に彼の観測を交えず、できるだけ客観性を失わないように言葉を選び、伝達した。時系列で事件を顧みる作業はこれまで行わなかったので、ある種、熊田にとっても事件を整理する良い機会だった。

「幸福論はアランが書いた新聞連載の文章を一冊にまとめた書物。ご存知のように人の幸福とはいかなるものであるかを語った今で言うエッセイのようなジャンルに属する。彼の本を読み進めるのは一つ一つ重たい石をひっくり返し、裏側の虫をつぶさに観察、採取、そして、放出することに似ているような気がしますね。一度に多くのセンテンスを読むのは本の意向に反する。一日数ページの堪能がベストでしょうか」

「ひょっとして、今読まれているのは幸福論?」熊田がきいた。カバーのない薄茶色の表紙、文字は逆さまである。

「偶然ですね、お話の中に登場した本が私の勤め先にも忘れていったのでしょうね」

「いつごろのことですか?」

「一ヶ月前かしら」

「覚えていないの?」種田が尋ねる。

店長はアイス  死体は痛い?4-3

「待たせた」

「そちらのドアです」

 数メートル歩き、エスカレーターを正面に捉えた。わずかに種田が先を歩く。平日は洋服や雑貨の店舗に人はまばら。店員に詳しく商品についての話を聞きたいのならば平日が狙い目。もちろん、店員の商品に対する掘り下げた知識が必須である。表向きの、質問されると予測される単なる知識の暗記は何も知らないと同等。これが熊田の見識。エスカレーター左手のフロアに広がるアウトドアの店舗は割り合い賑わいを見せている。観光地と勘違いをする登山客が増えたからだろうか。おいしい空気がそんなに吸いたいなら地方に引っ越せばいい。いいや、そうするとおいしい空気が日常の生活になってしまい、美味しさを味わえない。汚染された都会の空気を日々体感しているからこその美味しさか。

 二階。木枠とガラス窓、その中に読書を楽しむ女性の姿。凛と張り詰めた空気は一枚のガラスを突き破ってでもこちらに到達する。買い物客も通りすがりでその店内の女性に目を奪われる。ただ、種田は歩調を緩めずに店先、開けた入り口に向かった。

 例のごとくお決まりの手法で種田は店員に紀藤香澄の写真を提示、他の従業員にも見せる。熊田はお客のように種田の背後に佇み、カウンターの上、天井付近の細かなメニュー表をなんともなしに眺めた。覚えていない、店員が答えている。他の店員二人も同様に知らないと言う。いついつ、来たという具体的な日にち、おおよその時間帯を伝えても、傾げるばかりで有力な情報はもたらされない。大勢の訪れる内のたった一人のお客の詳細な情報は得られない、確信に近い事実。熊田は思う。人はとくに何かをなす前の行動に特別な意味を付与しないだろう。常に行動派で動き回る、せわしないものならば行く先々で何かしらのトラブルを巻き起こす、巻き込まれるのは必然である。だが、紀藤香澄はおそらくは変化に乏しい生活を送っていた、そう推測するならば彼女は日ごろから目立たぬように息を潜めていた。だからこそ、殺害、あるいは自殺の直前も通常の生活、生き方をまっとうしていたのだろう。もちろん、不意に殺された可能性もまだ否定はできない。しかし、熊田には疑問だった。殺されたのなら死体を放置しておく場所としてベンチはあまりにも、そして時間帯を視野に入れたとしても不自然すぎる。怪しまれない程度の工作なら考え付いたはずだ。近隣地はショッピングモールと駅、タクシーを拾えないこともない。不振な時間帯も仕事や酔いつぶれたと、運転手に言い訳もできる。もっとも、死体が見つからなければ、捜査には至らない。その死体の行方を追うにしても、タクシーの運転手にまでたどり着くまでに時間が生まれ、さらなる隠匿の作業に取り掛かれる。頭が悪くても、死体の処理に困ったとしても、やはり放置はどうしても考えにくい。あえて、あるいは何らかの理由で死体を残した、と考えるべきだろう。

 振り返る種田が言った。「被害者を覚えている人はいません。いま、当日に店で働いていた従業員は休憩に入っているそうです、熊田さん?」

「ああ、うん、きいてる」

「待たれますか?」

「そうだな。うん。せっかくだから飲み物を。すいません、アイスコーヒーを二つ」

 コーヒーを受け取るとその一つを種田に渡す熊田。彼女は受け取りを拒否するかと思えたが、あっさりと手に取った。おごられるのを嫌う種田にしてはめずらしい反応。熊田は、店内を進み、空席を探す。ソファ席は片方が空いた状態で埋まっていた。中央の巨大なテーブル席は堂々、参考書を一・五人分のスペースを使い、音楽を聴きながらペンを走らせる学生。その他は、読書と手帳に書き付けている人物。席は空いている。熊田は、窓際の注目を浴びる席に接近した。

店長はアイス  死体は痛い?4-2

 建物、入り口近くのスペースは埋まっている。車に乗り、数十歩の距離も歩きたくはない、と平然といえてしまう神経を疑う。そもそもお前だけの場所では決してないのだ。誰に言っているんだろうか、熊田は空いた場所に車をそっと止めた。種田が寝ている。寝息を立てて。

 動作音、買い換える前の車とは雲泥の差、車の駆動は低速域の静動性は飛躍的に向上している、その証拠が種田の居眠りである。種田が起きる前に、タバコを吸おうと一本を加えると、彼女が動き出した。「……っ、すいません。寝ていました」正直に告白するのが種田だ。

「長時間飛行機に乗って寝ない奴はいない、誰だって眠る。何階だ?」紀藤香澄が訪れた店を熊田は質問する。サイトで紀藤香澄の記録を読んだのは種田である。

「二階です。左手の入り口が最短距離です。正面のエスカレーターを上がってください」

「一本吸っていいか?」熊田は車内で同僚、それも部下に許可を求める。熊田は同僚と仕事を教える部下との区別がない。押し付けがましい先輩風は最も忌み嫌う。

「どうぞ」種田は煙を嫌って外に出た。熊田は火をつけておもいっきり煙を吐く。数センチ風通しのために下ろした窓をすべて開く。足の長さを強調する女性が麗らかにドリンク片手にサングラスを掛け、それでも日差しが嫌いなのか建物の日陰を探して歩いて行く。夜道を警戒心をまとわせて歩く姿が思い浮かんだ。姿見で肌の露出を抑えることを第一候補に上げるとその心配をせずに帰れるはずだ。ファンションだから、そう反論がもたらされる。見られていることはたしかでお気に入りの服装なのだろうが、誰も見ていない自分だけの世界ならその理屈も通用する。しかし、大勢がひしめき合っている。魅せつけるつもりがなかろうとも、誰かの視界に入ってしまうのだ。見るなという言い分は、見せることを完全に否定してから言うべきだろう。自らの信念を服のセンスをこれが着たいのだという情熱を。おそらくは、流され、そして情報に振り回されて着ている、着飾る。着せられているのも知らずに。

 熊田は灰皿を引き出し灰を落とす。車内で吸わないためには、新車購入の際に灰皿を取り払ったモデルを注文すべきだろう。ポンと考えが飛ぶ。いつものことだ。その場に留まるのは健全な思考とはいえない。

 種田は、建物の最上階、空との切れ目を首を傾けて眺めている。空に散った機体に敬礼で別れの挨拶、そんな風にも見えた。煙を吐いた、残り半分ほどで見切りをつける。灰皿に押し付け車を降りた。

店長はアイス  死体は痛い?4-1

 熊田と種田は保健室の生徒とに続き自宅で養生する生徒にも話を聞いた。

「訪問の意味があったでしょうか?」止んだ生徒の家を出て車に戻った種田が行動の意味を問う。

「あったかどうかの判断は事件が解決してからだ。それまではどれもこれもが可能性でパーツの一つだ。ねじが一つ余っても組み上がる」

「男性はなぜプラモデルに熱を上げるのでしょうか、また、棚にフィギアを飾ったりもします」

「作り出す過程に意味があって楽しむ。完成品はもう過ぎ去った過去、見返したり思い出したり眺めてたりはするけど、形そのものに変化を加えることはないだろう。これとは別に、フィギアは完成された作品。眺めるのはほんの一時、主に所有することに価値があるな。あとは揃えることに意味を見出す人もいるな。キャラクターをすべてそろえ並べる」

「ただのガラクタにしか私には見えません」

「誰が見るかによってすべてはガラクタだ」

「商業者に買わされている、そそのかされている感覚はないのでしょうか」

「幸せを感じて商品を作っているのならば買い手も喜ぶ、その発想が根底に流れる企業は商品を価値を無理やり算出し、マーケティングだけの指標では売り出さない。無論、そうではない商品も世の中には山と溢れている」

「いつか捨てます」

「ああ。しかし、それまでは宝だ」

 熊田と種田は紀藤香澄が残したウェブ上の記録を遡って書き付けた店を追う。車は一路東へ。真夏の海へと向かうルートの混雑を見かねて、普段は利用しない高速に進路を変更した。目的地のショッピングモールは数年前に開業したばかりの真新しい建造物、大きすぎる建物にありがちな駐車場の広さも複数箇所に分けて、敷地内と幹線道路を挟んだ場所にも専用の駐車場が作られたらしい。その駐車場が右手に確認できる、車を赤のランプで止めた。おそらくこの信号機も駐車場とモールを結ぶ経路、お客を運ぶ動線として新しく設置されたのだろう。前後の信号との間隔が狭く、道路は軽い渋滞を起している。信号を過ぎて建物の側面を走り、先の信号を左折、すぐに見えた駐車場の入り口、スロープを歩道の通行者を避けつつ上る。出口側は車の登場を警告する黄色いランプが点灯していた。