コンテナガレージ

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がちがち、バラバラ 5-11

「朝から具合が悪かったの?」店主はきいた。もちろん、従業員の健康管理は僕の役目である。朝には必ず顔色と吹き出物の有無、隈や声の質などをチェックする。問題はなかったように思うが、彼女の様態の変化は明らかに体調不良を見抜けなかった僕の判断ミスだ。国見を過大評価しすぎたのかもしれない。そこには、彼女にまかせっきりの接客を無意識に彼女が抜けた場合の店の対応から逃避していたとも考えられる。週一回の休みでは、疲労回復は望めないのかも……。休日の前後に休みを設けてみるか。うーん。ただし、もう一人従業員を雇う必要が出てくる。売り上げとの兼ね合いを試算しなくては。

「……違うんです。あの、風邪ではなくって、その、店の裏に女の子が寝ていて、ああう」小刻みに玄関を見つめていた焦点の合わない両目が時計回りに厨房の店主に合い、それから店の奥、通路の先を震える指で彼女は指し示した。

「寝ていたって、裏は室外機を置くスペースがやっとですよ。なに言ってるんです、ねえ、蘭さん」小川が体を揺する。彼女は揺れに任せるだけだ。口は小さく食べ物の投入を待っているようだった。

 裏手へは外に出てからではないと、たどり着けない。店内の通路の先はかつてのドアが残されているが、扉は開かないように三箇所をねじで止められていた。店主は特に購入に際しても裏口の用途はまったく頭にはなく、店舗の改装でも扉は以前の状態のまま残した。

 表はからりと晴れ間が覗いていた。警察は右手に紺色の制服が二人だけで、左手のテープの左右には狛犬みたいな配置で二人の制服警官、この前の刑事の姿は見えない。店主の急停止に後ろから小川はぶつかる。

「うわあっと。すいません」

「ごめん」二人は、隣のビルの境目人が通り抜けるには覚悟の必要な幅を進んだ。店主は軽く肩を寄せているが、コックコートは外壁に触れる。店舗の裏手を観察したのはおそらくは、一回きり。購入の三年前にこの店の外壁は補修が施されてたと、書類に明記していてそれを目視で不動産屋と確認したのが最後である。お客には見せない店のそれも通り抜けがなされない通路である、不必要な工費を省いたことをおぼろげながらに思い出す。

 裏手。三方をビルに囲まれる。小川の言ったようにスペース、子供が遊ぶような場所とは無縁である。

がちがち、バラバラ 5-10

「何もしないというのは、まあ、半分正解だ。ほら、ほんのすこしサイズの合わない靴を履いていると、だんだん足に馴染んでくる。靴は履くときよりも、脱ぐときに違和感が襲う。これは靴擦れを起こさない、前提で話していると先にっておこうか。小川さんから反論がありそうだからね」手を挙げかけた安佐が上げかけた手で左腕に触り、ぽりぽりと掻いた。コックコートの上からである。「靴との境界線が自然と歩行時に解消した、されたといえるね。食材の組み合わせも、なにが異質でなにが特別で、どれとの相性が最適かは過去に料理人たちがそのしるしを残している。もう、目新しさはないも同然だ。僕が作る料理も斬新さのかけらもないよ。わかっているんだそんなことは。求めているのは、この店と立地に合致する料理だ」

「やってみます」彼女は立ち直りが早い。それは折れやすいともいえる。しかし、意志は瞳に滾らせるように燃えあがっていた。やってみるがいい、それが誰のためかでサービスの質が問われる時代。自由意志は一部の奔放なスターにのみ神様とやらが気まぐれで与えたものだ。

 外を見てきた国見が血相を変えて勢い良くドアを閉める、息も絶え絶え。青ざめた顔は雨にでも打たれたように、びっしょりと汗を掻いている。小川が聞いた。

「蘭さん、汗びっしょりですよ。顔色も悪いし、震えてるじゃないですか。ちょっと」小川は駆け寄って彼女の手を取った。両肩に思いっきり力がこもって肩が異様に盛り上がった状態。唇も紫色。上下の歯がカチカチ、合わさって離れる。「熱っ。店長、蘭さん熱があります」小川は、彼女の手を取り、足取りにあわせカウンター席に座らせる。小川が脱いだコックコートを国見にかける。

がちがち、バラバラ 5-9

「ほうら見てください。店長のお墨付きですよ!」

「うるさいなぁ」お客のいない店内だから許される言動、やり取り。場面での切り替えはわきまえていると店主はあえて叱らない。普段の行いが言動に表れるだろうとは考えている。しかし、手取り足取りすべてを漏らすことなく教える義務を僕は受けられない。

「……怖いです、リルカさん」

「まだなんかいいたそうだけど。頭使ってんのこっちは、静かにしててくれって言うお願いはさ、守れないことなの?」

「館山さん、そのへんで」エスカレートしそうなので、ここで止めに入る。

「だって、店長」

「二度目はなしだ」

「はい」

「君はこの時間だけ考えているの?だったら、とても不都合でそれだとアイディアは浮かばない」

「お言葉を返すようですが、仕事中は考えられません。忙しくて目先の処理で私店長みたいな切り替えは難しいです」

「忘れそうになったら何を考えたいたのかを思い出す。それだけだよ、僕がしている発想は」店主は包丁から手を離した。「思いつきはいつだってどこかに転がっている仕組みの手を借りるのさ。ゼロからの考えでは、日々のメニューには不向きだ。そこらじゅうに広がっている現象、物質などを言語化しワードを浮遊させる。簡易にそれらの成り立ちや名称、効能、性質、をあてもなく自分なりに想起すると自動的に共通性とルートが導き出される」館山の斜めに傾いたな顔を感じ、店主は噛み砕いて話す。「簡単に言うと、考えを一旦言葉に置き換えるのさ。出力した上、解像度を下げて関連を見出す」

「話が見えません……。つまり、食材を言葉に直して、後は思いつくまで何もしない、そういうことでしょうか?」はっきりとしない答えのない現象に館山はわりと恐怖心を抱きやすい。表の態度は本心を覆い隠すカモフラージュ。僕が年齢を重ねたための見え方だろうか。

がちがち、バラバラ 5-8

 食事の合間に事件の話を国見が主に聞き役で二人は会話を交わしていた。平日の昼間の事件の影響は各所に被害を持たした様相。女性の美容室もキャンセルの電話が殺到したそうで、キャンセル料を支払ってでも、断るお客の対応に追われ、予定表はすっかり今日の分だけがらりと空いてしまった。なので、この暇を利用して優雅なランチに繰り出したというわけなのだ。普段ではできない芸当であるともいっていた。だから、楽しいとも。僕は平日の人気のない時間に休むほうがどちらかといえば気が楽である。
 食事開始の三十分で自分の店の様子が気になりだすと、女性はあたふたと店を出て行った。
「道の封鎖、まだ解除されないのかな。私見てきます」女性を見送った国見が外へ出た。
「やっぱり死に方がおかしかったんでしょうねえ。うん、絶対そうですよ」ドアベルの細かい消え入りそうな音を掻き消すように小川は、午後の仕込みも終えた開放感と、厨房の圧迫感に急に苛立ちを素直に表す。彼女らしい、態度というべきか。若さという括りで一応の収まるわがままさである。
 館山は言い切る。「決め付けは良くない」彼女は明日のメニューをあれこれと思案に没頭。広げたメモ帳にアイデアを書き留めていく手法だ。彼女もまた、仕事をこなしたのちの振る舞いである。店主の怒りは当然買わない。
「私がもしも解決に導く推理を展開してしまえば、封鎖も解かれて、店にお客さんがどんと押し寄せて、それで私は忙しさに飲まれるうう」小川は首を絞める遊び、しかし誰も取り合わない。
「忙しいのはうれしい悲鳴」長い足をクロス、館山は独り言のように呟き、細かく声にならない言葉を放つ。ちらりと店主を盗み見た。店主は気づかぬ態度で明日のランチを考察、胸の前でがっしり腕組み。
「よくテレビでは修行中っていいますけど、どこから一人前なんでしょうね。修行先でも手ほどきを受けて半人前の人が、私みたいに料理を作ってお客に食べてもらっている。これは、既に一人前じゃないのかと思うんです」
「質問なのか独り言かはっきりしな。まぎらわしい」
「先輩には言ってません、全部店長に聞いてもらってるんですよ」赤い舌を出して片目をつぶる小川である。
「ああん、もううるさいからひらめきかけた構想が飛んでいったじゃない」
「メモリーが足りないんですよね」
「世間ではやはりコンテストやランク付けされたガイド本に掲載されるか、はたまたテレビに取り上げられるかのどれかだろうね。要するに、他者の評価。それも評価サイドにあらかじめネームバリューがあり、それらとの兼ね合いで店あるいは料理人の好意点にスポットが当たることによって箔がつく。一人で店を構えるもっとさかのぼれば一人で料理が作れて提供が可能となる地点が本来の一人前の意味なんだろう。だから、小川さんの考えは妥当だ」