コンテナガレージ

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煙をふんだんに吸い込んで空腹をごまかす。たしか財布に百円が余る、いつもは避ける甘いコーヒーを買おうか、幸い良心的な紙コップの自販機が一階に置かれている。アイラは思考を切り替えて、話題を変えた。
 タバコを吸い切るまでに彼に聞いておきたいことがあったのだ。
「ひとつ、質問があります」低いトーンで言う。
「なに、改まって?」
「CDの販売を頑なに続ける意義を聞かせてください」
 プッと、彼は口を押さえた。唾が軽く飛ぶ。「どうしたの、まさか売り上げ枚数を気にしてる、……なーんてことはないか。日本で一、二を争う売り上げを誇るし、歌姫の称号は今やアイラの代名詞だからね。気にかけるのは売り上げが落ち込む、目標枚数に届かない歌い手だろうに、何でまたそんな質問を?」カワニはやや体を斜めに足を組んだ。
「敬称は問いません。私が悪意の塊そのものの名で呼ばれることに私が反応を示さなければ、その意味は薄れ、消える。また、売り上げが好調であろうと、私が求める現状は世間の一般の、つまりはキクラさんが聞き手として新譜の曲を通販にしろ、店舗にしろ、購入を控える理由を尋ねているのです」
「あれっ、僕個人の意見?前に販売の無駄を僕に解いてなかった?」
「踏まえたうえでの質問。あなたはCDの購入に至らない、それは由々しき事態なのです。一般消費者と生産者の両方の肩書きを持っていながら、仕事と割り切る生産活動の従事に取り組む。私の一方的な見方ですが、キクラさんは業界を改善する動きを起こしてはいない、請け負う仕事をこなすばかり。このままでは仕事が無くなってしまう、という危機感はきわめて薄い。それどころか現状はのらりくらり、一進一退を繰り返し、このまま未来永劫つつがなく、ある程度の寿命を残した年齢まで続く仕事のおぼろげながらの理想を描いてる」
「それ以上言うなよ、アイラでも言いすぎだ」相手の地雷に触れた。狙ったのである、アイラはあえて爆心地に足を進めた。守りを固める本陣の在り処を知りたい、彼女はキクラの制止を振り切る。
「望み高き理想は夢のまた夢、ミュージシャンを最高位にその周辺での仕事に格を下げる。ついには、裏方の一役をあてがわれた。不本意の象徴、不平はけれど言えた立場にはない。発言の重みは次の仕事の消失を意味する。いわれるがまま、要求にこたえるがままに、やっと現在を迎える。必至だった。がむしゃらだった。私が言えることは、それらは決してあなたが理想とした愉しさの極地とは正反対の世界です」
「それで、なに、まとめをいってよ」彼は足を組みかえる、尖った声。
「作り手の立場を視点に購買動機が薄れた聞き手の燦燦たる現状を見て、どのような感想を持つのか、という質問です」
「売上不振は市場経済に沿った結果だろうね、ふう」彼は大きく、おおきく煙と共に息を吐いた。怒りはどうやら収束させたらしい、私なにを言わんとしてるのかを察知した。アイラは賭けに勝った、殴られる覚悟はできていたが、そうならなくて済んだことは以外にも彼女の気持ちを楽にさせた。予定を逸れたのに、である。彼の言葉の続きを聞く。「試乗が求めるのってもう生産物じゃないのだろう。家は狭いし、給金は薄給。しかも、音楽を積極的に購入する必要に迫られるのって若い世代。そこに身を置く家庭環境が全体的に娯楽に消費するお金が少ないという経済情勢が両親を通じて訪れるんだ、アルバムなんて手が届かないし、今じゃあ端末にダウンロードが主流さ、まあ、購入に二の足を踏むっていう場合が大半ではあるかな」
「売れている、売れていない」まず自身の価値観をアイラは否定した。「これは私の場合相関性を示す情報が量的に見て不足しているとしか言えません。それに実際のところ、売り上げを目的としたアプローチは"控え目"が妥当なスタンスです、過剰な供給を恐れるあまり在庫を抱える取り返しのつかない事態を避けているのでしょう、端から期待などしてはいないのです、売れれば良し、最低ラインをクリアさえしてもらうなら割を食わなくて済む。それとです、相当数の売り上げを誇る私の曲はキクラさんのアレンジのほとんどを占める。いえ、最初の二曲以外はすべてですか、情報は正確である必要がありますので訂正します」
「律儀だねえ」間延びした音声が流れた、多少の嬉しさをそむけた横顔が伝える。灰皿を叩く音をキクラ、アイラが交互に奏でる。キクラは思い出した風に、前置きを呟いた。「そうそう、黙ってるってことはさ、例の事件は警察から口止めされているわけ?」
 急転直下、意表をつくセンスは評価に値する。アレンジの極意は他者の主張をひとつにまとめ整合性を高める作業による。つまりは、元の形を保ちつつ、原形の良さ・魅力を最大に引き出す、微細な見逃しがちな煌きすら見出す心眼を彼は持つのだろう。力の強弱や流れを端から眺め、指摘する感度は仕事に由来する能力、といえる。ただし、ゼロから有を生み出す機能は皆無に等しい。
 キクラの評価を終えてアイラは正直に答えた、見透かした分の返礼である。
「話していない、それは話そうとしないからです」
「大枠だけでも、難しい?」上目遣い、若干引き気味の顎、二本目のタバコに着手、私は席を立ちたいのに。
「機内で乗客が殺されました、厳密に言えば、死亡が妥当な表現です。殺害の瞬間が人の目から、殺害に使用された凶器が機内から消えたか、なしかしらの理由が元で現場から取り払われていた。周囲に血液が付着する物体、殺害の連想させる物質はありませんでした」
「取材を空港で受けたそうだね、噂が広まってるけど、それってほんとだったんだよね?」疑うキクラの口ぶり。おそらく漏れ始めているのだ、私のように明確に発言しないまでも、行動の前後関係を浚ってにじむ怪しげな状態を鋭い嗅覚の持ち主はあれよという間に、いいや無意識によって本能的に吸い寄せられるんだ。つまり、暇なのだ。他者にかまけられることの意味を死の間際、病床に伏せてから重みを知り、後悔にあえぐ。