コンテナガレージ

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意図された現象に対する生理学的な生物反応とその見解、及び例外について

ごそごそ、背の高い客室乗務員が背もたれの切れ目に揺れる。摩擦音も届く、毛布を片付けるのだ。
 アイラは弦の張替えに意識を集中させた。
「あわっ!」低い声が短く響いた。足元の乗務員が発したのだ。「……ゆか、ゆかっ、ゆかぁぁ」段階的に声が高まった。彼女の声は泣き叫ぶ手前の訴えだった。呼ばれた客室乗務員田丸ゆか、スタイリストのアキ、事務所員の楠井が通路に集まる、アイラは体を傾けて状況を斜めに足を崩す姿勢の客室乗務員越しに毛布の中身を視界に捉えた、いや飛び込んできた。
 それほど物体は強烈で鮮烈な印象、だった。
「カワニさんに話を引き延ばすように言ってください。彼の説明は今回の演目の一部、プログラムに組み込まれていることも忘れずに、です。それと、機長にも連絡をこのまま飛行を続けるか、もしくは引き返すかの判断を仰ぎたい」
 ゆか、と呼ばれた客室乗務員、田丸ゆかは薄い唇を引き締めると、機敏に尾翼に走り出した。彼女たち乗務員のネームプレートははずすようにアイラたち事務所側の提案で乗客から情報を引き出されない配慮、あらかじめ名前を伏せる手はずをお願いしていたのだ。へたり込み、床を引きずって後ずさる乗務員が名前を呼ぶまではカワニの元へ駆けた彼女の名は知らなかったアイラである。
 アキと目が合う。彼女はいつもおびえ、非常時はしっかり気を持ち直す。中央列一つ前のマスク姿の楠井は目を大きく見開いて、目の前の死体がそれまで活動を行っていた生命体であることが信じられない、という表情を作ってる。
 毛布に包まれるのは、死体である。
 アイラは弦の張替えを続けた、指先は震えはしない。機内に手をかけた人物が潜むことはまずもってありえない。考えうる事象を総動員をするまでもなく、死体は事前に荷物棚に納められていたに違いないのだから、白いツナギ、トレーナー、軍手、白のスニーカー、白いソックス、マスクに、白のニット帽、目が見開いていることはもしかすると正解なのかもしれない。
 見開いた大きめの瞳、白目が全体の統一感を保っている。
 音を調節する。古い弦とのバランスを聞き入れる、全体がひとつを構成するのだ。 
 音が飛び出す、触りも若く周囲と反発。一本のみでは時間の許可は下りない、ということだろう。アイラは予備のギターに代えた演奏に切り替える。
 アキに目配せ、立ち上がって、アイラは足を一歩踏み出した。
 途端に、引止めを食らう。
「動かないで!」涙に濡れる客室乗務員が必至になって私の足首を捕まえた、常軌を逸した、肉体のフェールセーフを越える、リミッターをはずした握力だった。
「この場の全員が航空法規定にのっとり、可及的速やかなる生理的及び緊急的事態を例外とする特別事項以外は、その場に、最も近い席からの移動を禁じる。これは、守らなくてはなりません!」
 涙声が仕事を全うする。機内における特別な取り決めがあったことなど、アイラたちは知る由もなかった。