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追い詰める証拠がもたらす確証の低下と真犯人の浮上 9

種田は改めて口を開こうとした。が、通話は聞こえていた、熊田は一度頷き表情を固く、対して君村ありさは得意げに顎を数ミリ引き上げていた。
「満足したらとるべき行動は一つ、私ならとっと尻尾を巻いてこの場を逃げ出す」勝ち誇った横顔で君村は栄養を流し込む。
「勝ち負けではありませんので。それに」熊田は挑発には乗らなかった。乗れなかった、というべきだろうか、神経を逆なでる残忍さにはどこか物足りなさが窺えたのだ。彼は続けて言う。「死体についてもう一度お聞きします。あなたは死体についてなぜ発見前に知っていたのでしょうか」
「しつっこいわね!」つばが飛びそうな破裂音。振り返るほどの振り乱した横顔からの正面に君村の髪が頬に巻き付いて、はらりと顎と喉を触り定位置に落ち着く。「私が犯人って言える明確な証拠が見つけられない、だからあなたたちは私の口からどうにかこうにか、嘘の片鱗を見つけようとして、根掘り葉掘りおんなじことを聞いてるんじゃないのですか。ほぉら、黙ってる。それが何よりの証拠よ。死体は見てません、私の想像が偶然にもあの歌姫に災難って名前で降りかかったのでしょうよ」
「あくまで君村さんの証言を信用という土台に上げて物事を論じてる。実際の問題として、"死体"についてアイラ・クズミ女史の演奏中に言ってのけた その真偽をほどはいずれにせよ証明されたことになるはずもない」
「警察が言いがかり?」
「そちらが真実を打ち明けずにのらりくらりやり過ごさなければ、私たちは既にこの場所を離れている。あなたには興味がありませんので」
「アイラ・クズミの方が私よりも関わる価値があるって聞こえるけど?」トーンを落とした、君村ありさはいくつか作り上げた攻撃用の態度を備えるらしい。
「少なくともあなたよりかは、希代な意見がもたらされる可能性は大いにありうる」
「アーアー、じゃあ言ってみなよ。私とあいつとでどこかどう違うのか、いいわ、ここではっきりさせてもらおうじゃないのさ」
「あなたが負けを見ます」
「あんた、さっきからなにその態度?」君村は立ち上がる。血走った目元は刻まれた皺を深く刻む。
「刑事として健全に振舞う。あなたは聴取の対象で、本心をしゃべらないので、こうして時間をかけて解決に近づける努力に力を注ぐ。それが何か、いけないことでも?」
「おまっ……」 
 端末がけたたましく鳴り響く。テーブルで光を放ち、がたごとと揺れ暴れる。君村の端末である。
「もしもし。どうしたのぅ?ええっ?今日?夕方には代えれるよ。あーんごめんごめん、でもね、お仕事だからもう少し一人でお留守番してて、ね。保育園に寄ってすぐに帰ってさ、ママも早く会いたいわ。うん、うん、がんばれる?そう、お菓子見つけたでしょ、それ食べてなさい、ねっ。はい、はいはーい。バイバイ」さっと仮面を取り替える。中国であのような演目があったように思う。「いい加減にしてくれないでしょうか。私は忙しいのです。確証のない言いがかりにはもう答えません」
 もう種田には視線を合わせずに、君村ありさは家族と交わす慈愛を見事に隠しおおせ、熊田に意見を、つまり退去を込めて告げた。スタジオ内の様子が見えていたのか、君村の仕事仲間たちが帰還し、中断していた作業の再開は種田たちの滞在とは相容れず、あやふやなまま死体発言の詳細を抱えてしまう運びとなった。
 君村ありさが変貌を遂げた場面が脳裏に焼きついて、繰り返し、エレベーターで回想を重ねた。不思議そうに熊田が横目でこちらを捕らえるものの、いつものことだと、関心を言葉に変えるまでには至らず会話は途切れた。
 家族は守り、アイラ・クズミは敵対。自らの遺伝子、腹を痛めた子供だから愛情を人一倍注げてなおかつその身を猫かわいがりしてまでも当人のためにはならないとは理解していても、過多な愛情を注げ手しまえる。ある意味盲目であるのか、アイラ・クズミに対する見解は実にはっきりと事実を述べているのに。子供にも厳しさを、アイラに愛情は難しいのだろう。そうすれば、あんな厚い仮面を持ち歩かなくて済むのだが、重たい方が生きている時間を味わえる、との錯覚を信じ込むのか。
 苦しむ材料を自ら呼び寄せる、楽しいのかもしれない。君村はあえて"死体"を言ってのけた。既知か未知かは別として、苦難を歩む道こそ進みがいがあって、しかも乗り越えた暁に待ち受ける開放と報酬は多大に思える幻想に溺れるんだろう。
 私とは対極だ。障害を避けて私は生きる、平坦がちょうどよく、一喜一憂はだって正反対の気分を次に呼び寄せるのだから。