「もう、まもなくです。よろしくおねがいします」別のスタッフ、インカムをつけたスタッフに言われる。カワニからギターを受け取る、音響スタッフからわざわざカワニが掠め取ったらしい。この役目が重要には思えないが、彼にしてみれば、抱える歌手を鼓舞する演技、という綱渡りの解釈を一応認めてあげよう。スタイリストのアキは、カワニから半歩後方に待ち構える。タオルを両手に持って、神妙な面持ち、突然の衣装変更に落胆したのは彼女なのだろう、人の心配か、最近はどうにも他人の心情が内部に入り込む、きつくネジを締めなおさないと。
「アイラさん、スタンバイしました。まもなく本番でーす」
「いきます」
「今日を入れて、あと三公演ですよぅ。気を引き締めて行きましょう」、とカワニ。
壇上へ、階段を上る。
リハーサル室の印象は思ったよりも観客が多い。
スタンディング、暗がり、興奮気味、手を上げ、奇怪な指の形、叫び、なおも呼び続ける、聞き取れない低音と高音の融合、彼女はしかし状況を逆手に取る。じっと観客を見つめては、開きかけた口を閉じて、キーの調節に弦を弾いてはどよめきにまぎれ、手を止めた。いつかは発信を待つ、待たせすぎてもダメ、だから、いつでも見逃さないことを前提に、こうして私の呼吸を観客たちのそれぞれに合わせるのだ。
今か今かと始まりを待つ眼差しを肩ですかす。不安が襲った引き潮をキャッチアップ。
「ワン、ツー、あ、ワンツースリー、あいっ」
九州ツアー第四週、大分コンベンションセンター、二階、リハーサル室、開演。