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熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 3

付き合いの歴史、しかも対象との関係性の長さによりけりとは。私には拷問に匹敵する。
 平行線は提案を受けた時点で脳裏を過ぎっていたはずも、決行に踏み出したというと何しかしらの賞賛と淡い期待は仮初ながら待ち構える、このように店長の心境は言い表せた。とはいえ従うことは必然ではない、日井田美弥都は喉に言葉たちを押し込めた。駆け引きは幾たびの経験がものをいう。あれは偽装。体躯と精神を内外問わず傷つける殺傷能力である。自身、相手も問わず。
 しばらくは何も取り入れない未来とも美弥都は約束を交わす。そうして臨時雇用の契約、提案を彼女は受け入れたのだった。
 『ひかりやかた』へは館内に常時併設の喫茶店店員として一週間代役を務めてくれ、との申し出を店長が受け、私に白羽の矢が立ったというのがこれまでの経緯である。店長が聞いたところによれば選定基準が非常に高く、継続五年勤務・女性・JbrC(ジャパンブリュワーズカップ)の優勝者及び過去五年間の決勝進出者が候補者の資格を得られるとのこと(注:JbcCは日本珈琲協会が主催するコーヒー技能競技会。ブリュワーズはカテゴリーのひとつ、エスプレッソとサイフォンを除くフィルターを用いた抽出法の審査)。ところが基準に沿う格式高いリゾートホテルの理念に添った人物の探索に時間をかけられなかった。理由がある。先週失踪してしまったのだそうだ、前任者が。一般的なリゾートホテルでは良く起きるらしい。辺鄙な山林、いわゆる都会の娯楽は片鱗すら見当たらないホテル周辺の光景には人すらもまばら、ほとんどの景色は植物と水と土と建材に使われる無機物が占める。都会の喧騒を忘れた宿泊客を迎える、当然それらに日常の連想する気配があってはならない、建物を見つけるまで不安を駆り立てる原風景だったので異空間というコンセプトのほころびはなさそうである。
 店長とは長期間、過去の一時期を共にしたホテル側の人間が採用担当者にちがいない。私が選ばれた理由は資格を有していたのと融通が利きそうであったこと、後腐れの心配をせずに仕事をまっとする性格を店長から聞かされたと美弥都は推察する。