コンテナガレージ

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鹿追う者は珈琲を見ず 7-3

 少女はトイレに立った、飲み物を前にもよおしたらしい。館内の場所を美弥都に聞かずだ、フロントで位置を把握していたのだろう。二杯目を室田祥江が要求した。二段目の右端は手付かずの今日確認作業に最後に取り組むつもり、左から順にという規則を勝手に設けた自身をガラス瓶を落としてかち割った。室田は右端の豆を選んだのである。
「私のこと覚えてない、一度会ったことがあるのよ」半身の体をカウンターと平行に直した。きゅるると作業用の黒い防水加工の靴底が返事を代わりにしてくれた。このゴム靴の耐久性は非常に低い、一ヶ月が交換の目処、厨房を歩き回る際に台座の脚につま先のラウンドがどうしても接触を繰り返す。厚みは他の部分と大差がない、調べたのだ、ちょうどそのとき買い付けた生地を店内で広げるお客二人が休憩場所を店に選び、美弥都は臆することなくデジタル表示と生地を二つの平たい挟みを使わせてもらった。彼女は過去の映像を流していながら現実の映像、音声も同時に聞けてしまえる機能を与えられた特異な体質の人物だ、相手が一人であるならばしかも動きが少ない、対話に特化した状況下は造作もなくそれこそここへ文字情報の取得、雑誌などはすらすら読めてしまう。だからどうだ、ということではない。彼女は機能をひけらかしたりする人物とは対極といえる。接客業に携わる彼女はおかしなことに人を非情に嫌う、毛嫌い、嫌悪さえ抱く。
「女性に言われたのは初めてでしょうか。奇特な体験です」笑ってあげた、声は出さずに口角を数ミリだけ気づかなければそれでも、という意思表示。
「兄さんが選んだ人だっていうのは、ふうん、まんざら誤りでもないかっ。私一応義理の妹だったのですよ、あなたの」なるほど、あの娘との関係に合点が行った、胸の痞えが取れたというより忘れがちな人物名と顔が一致した気分が契合してる。強がり。否、きっぱりわたしは否定してやれる。親の私、他人の私であれ、私があの娘と空間を共有する場面はとうに海へ沈めた。しかもまだ海底を目掛けた沈降は続く、重しは括りつけてある、厳重にだ。
「おはようございます」鈴木が顔を出した、室田は目配せを私に送った。そこまで気を使われる覚えはないのだが、あえて否定することもまたありはしないので、甘んじて受け入れ室田には借りを作った形を取る。
 鈴木は室田へ軽く会釈、ひとつ席を空けて座った。気遣いというよりも事件の関係者、広くは容疑者の扱いである。まだ宿泊客らが活動を控える時刻だと彼は踏んだはず、かすかにしかめた階段を下りる表情を見逃さなかった。一晩で何か目新しい情報を掴んだ訪問、そう美弥都は思えた。なぜか、鈴木は煙草を取り出さずに人差し指を忙しなく天板を打つのだった。明らかに私を連れて目的の場所にいち早く移ってほしい、態度は正直に心象を表す。
 少女が軽快なステップで階段をじぐざくに下りる。一度フロアを駆け叱られる前に席に戻った、色白の額に汗の玉が張り付く。
「あなた、このお姉さんに会ったことあるのよ」、と室田。少女は一気にグラスに刺さるストローから薄茶色の液体を飲み干して、小さく息をついて言った。