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水中では動きが鈍る 3-8

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 種田は小走りに署の駐車場で丸まった背中の熊田に追いついた。右指にはタバコが挟まっている。
「熊田さん」熊田のシビックのドアに手が触れた時に種田が声をかけた。多少息があがったていたがものの数秒で整えた。振り返った熊田は驚きも意外も、感情を表すたぐいの仕草や表情はない、突然であったからかもしれないと、種田は思う。いや、しかし足音が聞こえていたはずだとすぐさま、考えを改める。
「何だ、お前か。別についてくる必要はない、捜査から外されたんだから仕事が無い今を楽しめ。休暇は急にしかやってこないからな」真顔で言うことろを見ると洒落を言ったつもりはないらしい。瞬きをぱちくりと数回繰り返すと、熊田が付け加えた。「洒落で言ったつもりはないぞ、たまたまだ。もういいから、今日は帰れ」
「あの喫茶店にいかれるのなら私も同行します」
「ったく、なんでおまえはそう勘がいいのかね。そのへんが鈍感だったらなあ」
「まずお前ではなく、種田です。抜け駆けはなしですよ。どうせ、あの女に事件を解決してもらう魂胆ですよね?」
「コーヒーを飲みに行くだけだ」
「では、私も」
「だから、これは捜査じゃないって……」
「なぜあの人に頼ろうとするのですか?警察としての威厳が失墜します。どうか、事件の解決を優先もほどほどにしてください。これじゃあ、なんのために私達がいるのかわかりませんよ!」種田にも女性に見られる感情の開放が存在していたのだと、内心ほっとした。彼女はもしかすると二重の人格を制御しきれないで潰れていくように熊田がから見えていたから。時に、思いの丈をぶつける相手が人には必要なのかもしれない。熊田には仕事、プライベートを通じてそのような相手はひとりもいなかった。その必要がなく、自分だけで処理できたためだ。もしかすると、現実の人員配置は、自分が望んだように想起されているかもしれないと、いつのことから熊田は気づき始めていて、頼らない一人が好きなときには自然と人は寄ってこないのだ。まあ、人に頼った試しはない。そもそも外部に助けを求めたところで最終決断と実行は自分に帰属する。ならば、元から自分だけを見つめてさえいれば良いのだ。だって外は内だから。

水中では動きが鈍る 3-7

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「そうだな。話したというか、報告だよ。警官がエンジンオイルを捨てた映像を上層部に上げなかったもっともらしい訳を言ってきただけ。お前が知りたい事件のその後については現在も状況に変化はない。休暇中の警官もまだ自宅には帰ってきていなしな」熊田が話したために鈴木は多少気が楽になり、言葉を返す。
「だったら、その警官たち二人共が犯人なんじゃないんですかね?これだと辻褄が合いますよ」
「どこの辻褄だよ?」唐突に推理に走った鈴木に相田が待ったをかける。議論には反対意見が必要不可欠であると自負している相田である。
「トンネル内で二人の警官が死体を遺棄した。もちろん、二人一組です。行動は共にしていますよ。それに、パトロールと称して見まわれば誰にも怪しまれない。トンネルを近隣住民や新聞郵便配達員が通過したであろう時間帯から佐田あさ美が遺体を発見するまでの時間には余裕を持って死体を置いて行けます」
「パトカーがあの細い道を通過したのなら、住民の誰かに目撃された可能性も浮上します」落ち着いた声で種田が鈴木に論理を指摘する。
「だったら自分たちの車を使ったんだ」
「ころころと意見が変わるな」相田が呆れて言った。
「死体の遺棄は二人が共謀したとして説明がつきますけど、片方の遅れてきた警官の現場までの移動方法をどう説明するのでしょうか?」未だに明かされていない部分が警官の移動方法であった。
 「あの辺りはちょうど、山と海の境目。陸路がダメなら海路でしょう」
 「ふーん、ボートか。それは少し見込みがありそうだな。ただ、遅れてきた訳や、船、ボートに乗っていきたからといってそれが事件の犯人であるとの証拠には結びつかないと思う」
 どうも捜査や注目すべき点がそもそも見当はずれではないのか。
 鈴木の声が消える。
 集中すると頻繁に出くわす光景。
 音速のような時空を超えた時の流れ。
 あの喫茶店での思いつきと同質の感触であった。しかし、繋がった糸は細くすぐに断裂してしまう。起き抜けに夜中に起きた時に見ていた夢の続きを思い出そうとして思い出せないようだ。断片画像のつなぎ合わせの辻褄合わせ。
「ちょっと出てくる」熊田の座る椅子はデスクから飛び出た状態である。スタスタと一言皆に告げた部屋を後にした。鈴木と相田は互いに熊田への対応の是非を言い合い、怒らせたのはどちらかという議論に移行していた。
 種田が音もなく直立の姿勢。「私もちょっと出てきます」彼女もそう言い残していってしまう。事件の指揮権は本部が現在は握っていて熊田の班は事実上、事件からは手を引いていた。つまりは、何もすることがないのである。単に次の事件までの儚い休暇ではあるが、いかんせんクライマックスだと踏んだ場面で横から捜査の主導を本部、特に管理監に握られてしまったので4人からは緊急事態でも起きない内は、抜け殻のように過ごすだろう。無論、熊田もそして冷徹な感情のない種田であっても、しばらくは放心状態である。鈴木と相田は空いた溝を埋めるように忙しくはしゃいでいるだけで、一旦静寂が訪れると抱えた闇に取り込まれそうになる。

水中では動きが鈍る 3-6

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「それは国道を走ってみればわかります。Z町から向かうとトンネルの反対側に出る道の方が近道ですが、ちょうとカーブの頂点でトンネルへの道と繋がっているのであそこで減速すると後続車に追突される危険があるために遠回りをしたのでしょう」他人の喫煙にタバコを吸わせる力が働くのか、熊田は吸ったばかりのタバコが欲しくなってきた。合流地点は対向車を隙間を縫って交通量の多い国道から脇道に逸れるためには見通しが悪すぎる。
「……あとから来た警官の移動手段が不鮮明だから、なんだ?」タバコを叩いて灰を落として管理監は言う。
「なんだと言われましても……」
「空白の時間が存在していたとしてもその警官がやってくる前に、すでに人は死んでいた」そう、死体だったのだ。やってくる前は交通事故の処理ともっと前は二人一組でもう一人の警官と行動を共にしていた。抜け出したりはできないはずだ。
「参りましたね。熊田の言い分ではもう一人の警官も白だと言っている、うーん」眼鏡の男がわざとらしく困ったように管理監に訴える。最終的な決断は管理監にあり、両脇の二人はサポート役である。もしもの時の臨時の指揮官を務めるだけのお飾りである。
 管理監は石像のように固まり、彼だけ時が止まった。空調が待ったましたとばかりに雑音から主音声へと切り替える。煙草の灰が落ちそうだ。左指に挟まれたタバコの灰がだんだんと伸びていく。
「落ちますよ」張った声で熊田が教えた。はたと、目が見開き急ぐ様子は見せずに灰皿でタバコをとんとんと叩いた。
「もういい、戻れ」
「はっ」苦し紛れの見栄だった。弱みを見せられない官職はやはり熊田の正確には合致しない。自分ならば平然とお手上げのポーズを部下にも見せておくべきだと考えて、会議室から逃れた。廊下でもそのことを続いて考察する。間違いを犯さない上司のあり方がそもそもの誤りであって、威厳はそこに付随しない。十割を目指してたった一度の誤りを誤魔化すのと正確に9割だと言い切れる上司のどちらが、部下たちの力ではどうにもならない人事という人材の配置転換に適しているだろうか。もちろん、上の者が頻繁に誤りを犯していては部下からの信用は皆無となる。
 捜査の指揮権が別班に移ったために熊田たちはデスクで事件の終幕を待つこととなった。熊田が冴えない表情で戻ってくると、そのまま無言で椅子に座った。
 他の3人は、気を使ってか話しかけようとはしない。けれど、事件の経過は知っておきたい。相田が鈴木に目配せで聞き出せといっている。嫌々と、首を振る鈴木。しかし、相田の形相が如実に変化し、だんだんと赤みを帯びてくるではない。鈴木は仕方なく従った。
「あの、熊田さん?」隣の席の熊田に顔半分だけを向けてそれとなく尋ねる。熊田は考え事をしているようで、うんともすんとも言わない。「……熊田さん?」
「……なにか言ったか?」一瞥とまではいかないが一瞬の目配せは恫喝や威嚇に類するものであった。こんな時の熊田には触らないほうが身のためなのだ。ここで機嫌をこじらせるその日は終始ムスッとしたままである。
「いえ、そのね、管理監と事件についてどんなことを話したのかなあと思いまして……」振り絞って詳細を告げると鈴木はもう熊田の顔を見れないでいた。相田の表情も緊張に満ちている。

水中では動きが鈍る 3-5

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「……ここ禁煙ですよ」澄まして熊田が指摘する。
「お前、怒られるのがわからないのか?俺のことはどうでもいい、証拠を隠してた事実はそう簡単に許されはしない。わかっているのか?」
「はい」明らかに捜査の進捗状態よりも自身の進退に比重が傾いている。管理監は片手で頭を抱えて熊田に再度尋ねる。今度は弱々しい口調であった。
「はぁ、……それで、現場に遅れてきた警官に目星をつけたのはなにか特別な意味でもあったのか?」警官の不祥事で事件の終幕にはならなかったが、警官たちの不審な行動に振り回され事件は振り出しに戻っていた。聴取された警官からは殺人事件への関与を仄めかす告白とは程遠いごく普通の成人男性の日常が明るみに出るだけであった。
「交通事故の対応後、第三の現場に向かう警官の交通手段がはっきりとしません」
「移動手段?そんなもん、車がないなら自転車か、歩くしかないだろう」
「移動に使用したとみられるクルマや自転車は現場には止められていませんでしたし、もし歩いてきたとしても汗ひとつ掻いていないのは不自然です」熊田、種田そして鈴木が警官の息を切らせた姿や汗拭く仕草を視界に捉えてはいなかったのだ。熊田と種田においては平均以上の記憶力と種田には脳内で過去の現場を再現する能力が備わっている。二人の中の警官はいずれも不審な動きを見せないでいた。
「現場に入る前にハンカチか何かで拭いたんだろう」管理監の左に座るメガネの男が言う。細面、撫で付けた長めの髪。
「歩いてきた選択肢を排除したのはそれだけの理由か?」管理監が深く煙を吸い、吐き出す。
「違います」本当はその通りであったが、ここでただの勘だとはいえない。管理監は証拠や辻褄の合ったストーリーを好むからだ。一時の間でぱっと先が開ける。「……歩いてきたとしたらトンネルの向こう側から来るはずなんです」途切れていた論理をギリギリで繋いだ。「トンネルへの経路は二通りあります。一つは佐田あさ美が通った経路です。こちらから入ると途中で二股にわかれた道を右手に進み国道の下トンネルに行き着き更に進むと坂を登って国道に合流するのです。交通事故現場にもたらされた情報からは第三の現場であるトンネルのどちら側寄りに遺体が遺棄されていたのは伝えられていないのです。つまり、徒歩ならばトンネルの反対側から現れたはずなんです」
「しかし、調書にはパトカーで急行したもう一人の警官は間違うことなく入り口にたどり着いていてる、と書かれている」右隣の男性がきいてきた。声量は小さい。彼が言いたいのは、最初に駆けつけた警官がなぜ遺体に近い側のトンネルを間違わなかったのかである。