コンテナガレージ

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ROTATING SKY 1-3

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 いつものように工場隣の駐車場に車を止めて出勤した。

 更衣室のドアに手をかけた際に、呼び止められた。

「理知さん、ちょっといいかな」白い抗菌コートを着た上司が手招きする。皺の目立つ目立つ顔で呼んでいた。

「着替えてからでもいいですか?」上司の表情が曇る。私の横を次々と社員が通り抜けていく。

「いや、会議室で話そうか」

「はあ」いつもなら仕事の遅れを嫌う上司が通常の流れを止めてまで伝える話とは何であるか、理知衣音には皆目検討がつかない。

 理知たち社員が出入りする裏口を入ると突き当りまでの廊下、入ってすぐの左手が男女の更衣室、その真向かいがトイレでそのまた先の左に事務室、営業部があり、向かいが会議室となっている。

 上司が会議室のドアを開いて先に入るように促す、不信感というよりは違和感を覚えつつ案内に応じた。

「お忙しいところ申し訳ありません」会議室には警察が二人、見透かすような態度で椅子に座っていて私が顔を覗かせると立ち上がり挨拶をしてきた。悪事を働いていないのに警察を怖がるのは、単に良心が備わっているか、いないかの差だろう。お天道さまが見ている、といった作用である。

 上司の態度がこれでやっと理解できた、少しなら遅れても構わないと言い残してドアが閉められる。

「あの、会社まで来られると何かと要らない噂を立てられたりもしますから、今後はこちらには来ないでください」衣音は、溜息の後に警察たちに約束を求めた。着席をすすめて自分もソファに座る。会議室はテーブルに向かい合ったソファと左手に長机と椅子と会議用のホワイトボード、窓はブラインドが日差しを遮る。

「それは重々承知していますが、急を要する事態なので迷惑かと思いましたが直接あなたに話を伺いに来ました」女性の刑事が話し始めた。男性的な印象を受ける。しかし、服から覗く肌の白さは女性特有のキメの細かさである。

「これから直ぐに仕事ですので、手短にお願いします」本当だ、迷惑なのだ、私にはそう言えるだけの権利がある。

「ご主人が亡くなられた際に起きた事故ですが、ご主人は何者かに恨まれていた事は考えられないでしょうか?」

「いいえ、主人は争い事を嫌っていましたし、性格も穏やかで喧嘩になるような事はこれまでにはありませんでした。それにお酒も家でしか飲みませんし、仕事が終われば私と一緒に帰っていましたから、友人との付き合いもなかったように思います。刑事さんたちは一体何を調べているのでしょうか?あれは事故ですよ」そう私の決断は揺るがない、今になって作為的に殺されたなんて言われても困ってしまう。

「あなたはPCにお詳しいですか?」矢継ぎ早の問い。

「は?パソコンですか、ええ、まあ詳しいほどではないですけど、一応は扱えますが専門的な知識はありません」

「PCの初期設定も助けを借りずにこなせますか?」

「それぐらいなら。何度かクラッシュしたパソコンを分解してハードデスクを取り出してからは、それなりに扱えるようにはなりましたけど……、なんなんです?」質問の意図がわからない、パソコンがあの人の死と何か関係があるのか。

ROTATING SKY 1-2

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「起きてってば、ねえ、ねえったら、朝だよ」灰都は息を吸う。「七時二十分!」

 頭が痛い。理知衣音は居間でそのまま寝てしまったようだ。灰都が仕度を完了させ、ランドセルを背負っている。

「何時?」

「七時二十分、ねえ、僕は大丈夫だけど、お母さん仕事に遅れちゃうよ」灰都は重たいランドセルを揺らして、手際よく空のビール缶をゴミ箱に捨てる。

 理知はやっと目が覚めた、じわりと現実を噛み締める。緊張が全身を駆け抜けると一気に意識が覚醒。「灰都ごめん、食パンを食べてて」

「もう食べてるよ」牛乳とコップ、六斤入りの食パンを抱えて理知が寝ていた座卓にちょこんと座る。理知はバタバタと洗面所で髪型を整えて、クローゼットに走りシャツとセーターを着て、細身の黒のパンツを履く。上着のコートもそこで着てしまう。バッグに携帯を財布を確認して放り込み、リビングの掛け時計を注視。七時三十二分。いつもは四十分には家を出ていた。なんとか、朝食にはありつけそうだと、灰都の横に座り、気持ち程度に化粧を施してパンを頬張る。灰都はいつもより遅れて家を出るつもりだろう、この時間でも余裕を持って学校には到着する。早く学校に行くのは、体育館で朝の早い時間帯にサッカーで遊べるからだそうだ。ボールが危なくて休み時間中のサッカーは禁止になっているのだ。

 灰都は登校時間に合わせ朝食を平らげると、仏壇に手を合わせた。プラスチック製のプレートを台所に運んで行ってきますの挨拶。玄関先に座って靴を履く姿にいってらっしゃい、と挨拶を返した。ドアが閉まると部屋が静まり返る。

 一人でいること慣れたのはいつからだろうか。

 あの人と一緒になってから、いいやもっと前、付き合いだした頃か。寂しさとは違う不安がまとわりついて離れなくなる私にそっと手を差し伸べてくれたあの人だった。姿を見なくなって思い出さないようにしていた私が襲われてる。気に留めなければ、なんてことのない現象で、誰にだって訪れる。だから、極力付き合わないように心がけている。しかし、それでもたまに不意に心の隙間をついて、奇襲を企ててくるのだ。 

 時間を忘れている自分がいた。七時四十分を過ぎている。慌ててバッグを掴み、パンを冷蔵庫に押し込んでバタバタと家を出た。

 外は空気の冷たさが雪の居場所を凌駕して勇んで世界を凍らせようと企んでいるみたい。灰都は無事に学校へ行っただろうか。いつもなら心配しない息子の安否に敏感にセンサーが反応してしまう。エレベーターを降りて、マンション前の駐車場で車に積もった雪を払い落とす。マンションの住民に挨拶。いつもの顔である。何階に住んでいるかは知らないけど、スーツ姿でコートを身にまとった営業マン風の男性がコンパクトな乗用車に乗り込んで走り去った。ゴミ捨ての主婦とも声を掛け合う。忘れていた今日は燃えるゴミの日だ。次は忘れないようにと頭に刻む理知である。

 彼女は食品加工の工場に勤めている。勤続九年目になる。そこであの人と知り合ったのだ。冷えた車内、雪を払うほんの僅かの間にエンジンをかけて暖気、なんとか手先の冷たさを我慢すれば運転が可能な室温まで回復したようだ。理知は車を走らせて二十分で会社に到着した。混んでいるかと思われた道路も事故もなく、予測の範囲内の所要時間だった。工場はO市内の郊外、住宅地の一角で営んでいる里有食品という、主に魚介類を加工する食品工場で、創業はつい昨年、五十周年でその記念を催していた。一般の社員はあまり関係がないが、一応会社の記念ということもあり、新年会や忘年会と同種の強制型参加行事が開催された。社員数はおおよそ五十人程度で、その他はパートが会社を支えている格好だ。営業や事務は私の所属する加工技術者とは接する機会がなく、新規の仕事や加工品の成形の変更など事務的な伝達がほとんどで休憩時間に顔を合わせることもない。それらのやり取りも上司とコミュニケーションで図られるのであって、私は指示された仕事を黙々と淡々とこなすだけなのである。

ROTATING SKY 1-1

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 警察に事情を聞かれたのが一週間ほど前。あの人の死を聞いてきたっけ、もう忘れてしまった。警察の顔も覚えていない、女性が一人いたのは思い出せる。

 今週も忙しかった。先週はようやく日曜に休みがとれたのに朝から灰都がくっついて離れない。買い物でもべったりと、男の子のほうが甘えるのかしら。私が子供の時なんて母親には叱られてばかり、でも私が悪いの。お転婆で、何かにつけて我を通し続けていたから。どうして私だけを叱るのって、母親に聞いていたっけ。私のことを嫌っていると思ったのだ。もちろんそんなはずもなく事あるごとに寄せられる私からの質問に、真剣に向き合って答えてくれた。

 私は灰都をきちんと育てているのか、生まれたばかりの時の不安は慣れとあの人の死とめまぐるしく訪れる毎日で忘れてやしないだろうか。灰都の甘えようはそんな私を想って、知らせてれているのではと思うのだった。

 久しぶりにお酒を飲んでいる。テレビは断続的にただ垂れ流されて、音量も小さくそれでもテロップでなんとか番組の流れは読める。夕飯の残り物でちびちびと晩酌。あの人がいなくなってから初めてのことだ。仏壇にはビールを供えた。特に、楽しい毎日ではないし、かといって最低でもない。これ以上があるかどうかを試す余力は私には今のところ見つからない。こうして、息を殺せる場所があるだけでも良しとしよう。息子がいてくれさえすればなんて幻想からはそろそろ離れるべきだ。あの子にしてあげられることを精一杯注がなければ。父親のぶんもね。

 私?私はどうでもいい。それぐらいの覚悟がやっと備わってきた感じ。仕事も順調とまでは言わないけど、とにかくこなしている。意味なんて考えたらたぶん、続けてはいない。灰都がいなかったら、もっとずっと前に辞めていると思う。

 昨日、義母さんから電話があった。お昼休みはまるまる電話で潰れてしまった。灰都の顔が見たいから年に一度でも帰ってきてほしいとのことだ。仕事が忙しい、生活面も往復の旅費を払えるほどの余裕がないときっちりと伝えても、何なら一緒に住まないかと提案してくるのだ。私はあの子とだけの生活を望んでいる。誰にも邪魔はされたくはない。頼ったら、手を掴んだらそれだけで戻れなくなりそうだから……。

DRIVE OF RAINBOW 8-3

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「そうだ」熊田が同意。

「触井園京子もM社の車で死んだ人物も繋がっているってことですか?」鈴木が高い声でいう。

「直接的な関係性は持たないが、連鎖的に影響し合っているとでも言うべきかな」

「手がかりがつかめそうな所だったのに、もう事件を調べ直せません。はあ、何だが気が抜けた」鈴木はデスクに平たく伸びる。

「今回のやり方は人一倍気に食わない」相田が舌打ち。「一度預けた捜査を利益のために引っ込めるのは、今までにはなかった」

「切羽詰まっている証拠だろう」熊田が欠伸をすると、伝染し他の三人も次々に大き口を開ける。連鎖反応。真似るよりももっと根本的な生きるための仕草に近いだろうか。熊田はふと見えてきたものがあった。しかし、とらえどころのないそれはすぐに恥ずかしがって隠れようとする。手を伸ばして掴んでみるが、ひらめいた時の姿とは違っている。なんだろうか。暗闇で遠くの先に光がかすかにみえたような感覚。

「熊田さん?」種田に呼ばれて目を開けると事務員の女性が書類の不備を訂正しにやってきたところだ。相変わらず、だらけた部署だと彼女の顔にそう書いてあった。バカ丁寧さのきわみである高慢な態度の取り繕い方も悟られていないと信じ込んでいて、わかり易かった。指摘された訂正箇所をあらためて書きなおし、引き出しの判を押すと彼女は早々に退散していった。おそらく、このだらけた刑事たちのうわさ話で盛り上がるのだろう。好きにやって欲しい。

「で、結局捜査は続けるのか、打ち切るのか。私は熊田さんに従いますよ」相田が沈黙した時間を切り裂いて終わりそこねた議題をテーブルに戻す。

「僕も同意見です。警察をやめるにはいい口実かもしれませんしね」鈴木は身を乗り出して言う。

「種田は?」二人の意思を聞かされて熊田はもう一人の捜査員の意思を確認する。

「私は真実が知りたいだけです。そのためには捜査の継続は欠かせません」

「決まりか」

「やっぱり決行ですか?」決断したばかりの鈴木がもう弱腰だ。

「今更怖気づくな」相田の叱咤。

「だって、悪事を働いているみたいでモヤモヤします」

「上層部よりよっぽどまっとうに警察をやっていると俺は思うけどな」相田が鈴木に言った。

「相田さんって、結構正義を志して警察を志望した口だったりして」

「お前、……この間の飲み代は割り勘にする」

「えーそんなあ、だってあれは相田さんがおごってくれるからついてったのであって、実は、あんまり行きたくはなかったんですよ」

「絶対に払わせるからな」

「今月は無理です。ひもじくて」

「……」呆れた種田がわかりやすく深い溜息を付いた。

「まったくどうなっているんだ、最近のやつは」そう口にして熊田は密かに思う。最近とは得てして自分の都合に合わせた見方でしかないのに。