コンテナガレージ

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「はい」か「いいえ」2

「店長、この新聞も持て帰ります?」国見蘭と館山リルカは予測に準じさっさと店を出た。ぐずぐずと着替えを最後に小川安佐が精算台(レジ)に積み重なる雑誌、読み物の束に手をかけた。暴風雨、洪水警報はS市全域に発令、午後九時半を目処に店を閉めた。九時を回って数組のお客が堰を切って席を立つ、午後八時頃に雨量が最高潮にさんざめき割れるように窓が打ちなった。地下鉄・地下道への浸水の対策は取られているものの平常通りの運行予定(ダイヤ)で動くうちに帰宅の途につく、これが懸命な判断だろうな。身の程を弁えて傘が並び、取っ手を撫でた。

 明日の昼食(lunch)、雨の影響では市場に出回る果菜類は少量少品種が予測される。量が少ない現状を逆手に取ると、似通った食材を選ぶ楽しさを魅せられる、あるいは一緒くたに口入れた食感の妙も味わわせる。持ち帰り(takeuot)一品を店内で購入すると飲食席の開放が好ましいだろうか、いや過去が物語る。散々な風雪に見舞われた際は店内に列を作り、体を温めつつ持ち帰り(takeuot)の料理を待たせた店長の考えはおおよそ読めてしまう。つまり私は眼中にない、ということだ。ほっとした、決して良くはないぞ。今日は深夜自動車走行競(motorcar race)が帰宅時間に合わせ放映がはじまる。近頃はトンとご無沙汰、光受信(cable television)だから放映に支払う料金は光熱費に含まれ不要であって見ても見なくても損はしないのではあるのだが、料理にかける情熱が今現在の小川安佐を支配する、録画するにもうちには録画器という便利な家電がないので休日にまとめては夢のまた夢。それにだ、これが大切、race(レース)は放送から時間を置くほど興奮は半減してしまう。race(レース)結果を妨げていても、期待と開始(start)前の高鳴りはやってこない。

 厨房の店主は浮世が住まい。腕を組んで、帰宅に腰を上げるは数十分後といった具合、今すぐにという忙しない姿をそういえば一辺も店長は見せていないように思うのだ。小川安佐は何気なく手の意思に任せた、全国紙の地方版をぺろり両手に持って広げてみる。

彼女の脳裏に記憶がよみがえった。

「店長!あれま、これ見てくださいよ。また、殺人事件ですって。S駅の北口が一時封鎖されて、あの不審者、じゃなくって店長を訪ねてきたお客さんを出迎えた日、遠回りして『ブラックチーター』に入ったんですもん」

 凝然、店長はおもむろに声を発する。

「人はいつも殺されてるよ。殺人による死者は年間二百万」

「S駅構内では大胆にほどがある、横暴すぎます」このまま話を盛り上げると、店長と店の二階であわよくば一泊なんて素敵が可能かもしれない。ほくそ笑む手前で以って頬の緩みを小川はばれないようにさ感情の紐を締めなおす。

「警察の仕事だね」ひるむな、進め、彼女は言い聞かせる。

「高層型集合住宅(mansion)建設会社勤務、●●●●四十二歳は五月二十七日の午後十一時四十五分過ぎ、S駅東中央広場(concourse)内にて何者かに右腕、頚部を鋭利な刃物で切断された状態で発見された。犯人の新たな情報は確認が取れておらず、防犯機材に頼るS市中央署の捜査は難航、固定像録(camera)の多い立地は犯人の足取りを画角(frame)を逸れた死角位置に姿を隠したらしく、北口行定小丘(rotary)の東区域(area)をH大へ行く銀杏通りで消息を絶った模様。北出口近辺のtall building(ビル)は一棟ごとに地下道に通じるため犯人は地下に逃げたのち再び地上に出てH大構内に隠れたとの見方もある」

「感想の強要には応じないよ」

「断る権利はある」小川は先に言ってやった。死刑宣告であるのに。「気になりませんか、終電前のS駅で人が殺された。しかも切断ですよ、首を。居合いだって畳の束はじっとして真剣を受ける、動いてるものを切る技術は相当ですよ。しかも首を撥ねたって、考えられません」三往復、彼女は首を振った。手元の新聞が奥へ這い出す。

「撥ねた瞬間が映像に、人の記憶に残っていないのなら、首をあらかじめ切断した死体をせっせと運んだ、という場合(pattern)もありうる」

「ノンノン。それじゃあ新聞記事と整合性が取れませんよ。ええっとですよ、なになに、『発見場所で殺害された可能性が高い』、と書いてあります。要するに、店長の言い分は明らかな間違いといえてしまうのです」

「採取した本人の血液をばら撒く」

「目撃者もいますよ」小川は新聞を半分に折りたたみ記事をもう半分、四分の一寸(size)を片手に文字を指でなぞる。「『東中央広場(concourse)の真下、一昨年開通したS駅と大通りを渡す地下歩行空間『闊歩(かっぽ)』から頭上の半透明の強化硝子に突っ伏する被害者を男女二人が目撃したが、犯行の様子は見ていない』、だからあの日東中央広場(concourse)真下の地下道が通行止めだったのか、ようやく一片(piece)がはまり始めましたよ」

「雨だよ」店主は退出、帰宅を小川にそれとなく促す。根競(こんくら)べ、おいそれとこの好機を逃してなるものか、口調が昔風に訛る。もちろん脳内での彼女の言葉遣いである。音声に顕(で)るしゃべりはさらに通常を逸脱する。

「わかりました。ではこっちの『週刊違和』を題材に切り口、事件を解明に導く視点とやらをですよ」小川は新聞を折りたたむが、不意をついた風雨の来店が見事に店内通路を花道に視線を一身に浴びた。

「『はい』か『いいえ』で答えて。あなたは五月二十七日の午後十一時四十五分頃、S駅東中央広場(concourse)改札前、南口側約八十m付近で人を殺したか?」

 雨合羽(raincoat)の女性の首から上はびっしょりと濡れていた。いくらなんでも、小川はどこか必死な一面、つまり店長に人目(ひとめ)でも見られたい人物の賭けに思えた。自分にもその気がなかったといえば嘘になるし、今まさに取り掛かろうと店長の帰宅をまずは止めようと画策し実行に移そうとしていたのだ。

「いいえ」律儀。店長が答えた。

「あの、もう閉店……」小川は言いかけてやめた。前例を思い出せ、もしかすると店長の知り合いかもしれない。女性の知り合い。まあ、年齢的には同年代といった風貌。雨で落ちたのか、色黒の肌が与える印象は運動(sport)選手のようで溌剌としていた。

 睨まれることなく小川は無視されているらしい、雨合羽(raincoat)の女性は絨毯の上で二度跳ねる。儀式、跳躍を見せ付ける、高飛びの選手みたいに高い。

 着地の瞬間、解き放たれた。女性の体は倒れこむよう地面へ重力に任せた。通路をひた走る。跳ね返す雨粒が雨合羽(raincoat)より滴って足元は踝包(ハイカット)の運動靴(スニーカー)だった。突き当たりは裏口戸(door)、左が更衣室(locker)で右が便所(トイレ)と二階への階段。

 そうか、合点がいった。店長の前では恥ずかしくてしおらしい女性でいたい、お手洗い(トイレ)を借りる発言は禁断の一言なのである。

「おりょりょ?」小川安佐の首が亀のように伸びた。目に映る光景を疑う。雨合羽(raincoat)の女性は階段の鎖に躊躇うことなく飛び越えて姿を消してしまう。「店長!」

 しょうがないな、対処に困る暢気な店長は安全だと感知しての悠長な態度?どういった間柄、兄弟や従兄弟という落ちもまんざら、いやむしろ正解なのでは、いやいや、そうは世の中うまく思い通りに運べば私は今頃女性初の世界選手権の正操手(regular driver)たる称号と確固たる地位を築くべく日夜、技術の習得に向上とチームの栄冠そして個人優勝にひたむきな努力を重ねているはずなのだ。考えて虚しさがこみ上げてきた馬鹿らし。店長の背中を追って階段に足をかけた。鎖がゆれる。

「どこへ隠したの?」予想は大外れ、オデコ丸出しその顔は婦人向け、既婚女性(Mrs )たちの憧れの的を思わせる顔立ち、女性は背中を向けた立ち姿で、顔だけをこちらに向ける。小川との間に店長が立つ。出るに出られない、一歩、二階床上(floor)に踏み出した左足は引込め小川は階段に身を屈め様子を伺った、視界に入ってはならない、体が先に命を下した。

「長年連れ添った夫婦でも、対象物を指す単語を突然言われ共通理解を思い浮かべられるとは思えません」至って冷静、ここまででは店長とあの女性はお客以上の関係とは言えずだもの。だが、油断は禁物。小川は固唾飲んで展開に耳を済ませた。 

 雷鳴が轟いて、窓に被さる白布を気まぐれに照らす。そういえば二階の照明までつけている、女性(このひと)はここへ来たことがあるのだろうか。

「『はい』か『いいえ』物分りはいいほうだと思ってましたが。私の見当違いだったでしょうかね?」

「隠したモノについて詳細を知りえていたとしても、『はい』または『いいえ』に限るあなたの問、投げかけに則り応じる義務はなし。よって答えはあなたの要望にそぐわず、苛立ちを覚える」

「そうやって、あの人を締め出したのね。手を取り合い共に生きる道は残されていたわ。最善は尽くされなかった、あなたが多忙な日常を理由に交渉の場から姿を消したからよ」

「身に覚えがない。まったくの言いがかり、というのは否定するほど事実みたいな表情を見せてくれる。ひとつ勉強になりました」

「……安佐!?あんたそこでなにやってのよ」階段下で館山リルカが鼻にかかった声で状況説明を要求する。厨房の照明が階段の一段目を薄ぼんやり照らしていた。

「先輩こそ帰ったはずが、あっつ、もしや店長と店に暴風雨が過ぎ去るのを明日の昼食(lunch)の仕込みと偽って、朝早く登場した私には、平然とあんたよりも先についた文句あるって、言っちゃうんです」

「つくづくお気楽だな。たまに分けてほしい楽天家の遺伝子を」

「だめです」

「あんたのその位置こそ規則を犯してる。店長はどこ?用事あるんだけど、早く済ませてしまって帰りたいの、地下鉄が止まる前にさ」

「大きな声を出さないって約束できます、それ以上喚かないって」

「あんたのほうが十分声量では勝ってるが……まあいいや、今日は疲れてんの、付き合う体力はなし」

 二階床上(floor)より二段下に腰を掛けて館山リルカは付鍔帽(cap)の鍔を摘まんで二階の光景に目を奪われる。内側、一階の出入り口側の壁を小川安佐は先輩館山に譲った。絶好の所居(position)は奥側であると、移動してから店長の清秀(smart)な横顔が見られて気がつく。しかし状況の把握に努める館山に位置換えの申し出など反対の耳へ通り抜ける始末。片方の硝子球が色めきたって疲れを訴える褪せた色が一瞬にして輝きを取り戻す。煽られてる。

 館山を導き入れる間も、二階では何度か言葉の応酬(return)があった。けれど、まだ小川自身も二人の関係性と飛び交う『はい』と『いいえ』についてはさっぱり珍聞漢紛(チンプンカンプン)である。

「由緒あらん食器やと偽る大層高価な値打ち物と落札者をば騙くらかした」

「鑑定書もある。当日初対面は公正な判断が主命の、主催者側の鑑定士にも判断を仰いだ。同席していた鑑定士側の代表者、持ち回り会場を取り仕切る会員一名にこちらは無報酬で鑑定を依頼した、鑑定品の物珍しさにつられた鑑定無料の奉仕、高額がため滅多にお目にかかれません、経験が後に糧となるということでしょう。もしもです彼らの嘘偽りがまかり通ったとすれば、この三名が磨き損ねた心眼ゆえの落ち度か、はたまた私の仲介人兼鑑定人の評価に曇った眼(まなこ)で鑑定をしたといえる」

「調べたわよ、保世芳喜」女性は鼻で笑う。「いやいや、古美術界の顔の広さは相当なものでしたよ、誰に尋ねてもこれこれは保世さんに、あれは保世さんに聞くのがよろしいと、古臭いものに囲まれて何がそんなにうれしいんだか、人それぞれ趣味はあれど、若い骨董(antique)好きと園芸趣味が極めて少数しか見かけないのは、代謝が失われているからですよ」

「無駄話に耳を貸すほどの暇はあいにくと持ち合わせていないので」店長の左のつま先が九十度、一階長尺対面台(counter)と垂直に位置を変えた。

 誰だろう、売った?並べた骨董(antique)の食器のことだろうか。そういえば、怪しげな訪問者を迎えた翌日、店長はぽろっとお客に試した精巧な模造品にすべて入れ替えたと打ち明けてた。聞かされて正直なとこ物を盗む食器目当てが対応に慌てふためく騒動やさらばさらば、縁を切れるからと、安易に受け入れてはいたが、……小川はぴん、と一つの考えに行き着いた。怪しげな訪問者が話に出た美術商であった、そして店長は鑑定しやすく布に並べた……。偽物と、この女性は言い張る。店長が偽物を売りつけるとは思えないし、仮に売ったとして鑑定士のそれは眼力不足であるからして店長に責を求めし言いがかり。言ってやらないと。

 ここは私が、浮いた腰が押し付けられる。館山に着座を命じられた。どこに目がついてるのか。店長といい、館山といい、広角な視野あからさまでないから嫌になる。

「聞きなさい」声が二階に染み渡る。自分が言われた、指摘に聞こえた。「保世芳喜なる人物は複数、この世に存する。同姓同名などという稚拙なオチではありません。あなたの元を訪れ、鑑定と競売(auctoin)の入札が仲介役に白羽の矢が立った人物は九分九厘、私の知る保世芳喜とはまったくの別人です」

 店長は言われたとおりに聞入る。窓布(curtain)を照らす雷とその鳴動は一挙に矢のような雨に受棒(batton)を手渡した。二階の照明は天井に埋め込まれた間接照明(ダウンライト)、tall building(ビル)特有の平面で真四角の低い天井が迫る室内。もしかすると二階にも一階のような花形装飾電灯(chandelier)を前の経営者は取り付けたかったのかも。いやいや、ここはそもそも伊太利亜(イタリア)料理店の開業を目的に建設された建物だったかな、ううん?、小川はあいまいな記憶をたどった。

 会話は続く。聞いてはいるさ、彼女は時により二つを同時にこなす領域、集中度が高まり尚且体の動きが止まっていれば、思考と視覚情報の取得は難なくこなせる。

「食器に記されるlion(ライオン)の刻印は親族の結婚記念に作らせた希少な王室製の逸品。親族とはいえ、王位継承権の末端辛(かろうじ)て王家の血を引く者に送られた品です。本来正当な刻印に描くは虎よ、あなたが手にした二千万弱の落札額は最低境線(line)、競売(auction)の開始(start)時の金額でしょう。世界市場(market)への公開を躊躇い目先のまとまった金額に目が眩む、その程度の心眼しか持ち得ないのですから、日用品としてお客が不釣合いで無作法に握ってしまっていたのですかねぇ」

「二千万……」さすがの館山も表情を曇らせた、お前は知っていたのか、と無言で問いかけられるも、小川もたった今事実を聞かされたばかり。

 呆れ返る。店長は煙草に火をつけた。二階は禁煙だっただろうか、小川は神経質な一面、規則の抵触を心配する。店長の煙は話の先を続けなさい、催促に思えた。

「十二本の一組(set)はfork(フォーク)、knife(ナイフ)、spoon(スプーン)でしたね。間違いありませんか?」わざとらしくわかりきった問に要請する同意。

「誤りは尋ねなくとも害悪であれば正します」

「食器に最適な銀が王室に好まれた、人殺しにも重宝されたのをあなたはご存知でしょうか?」粘土質、まとわりつく、数分前ぽろぽろこぼれた言の断片が漂い、吸着、固体を成形する。小川は話の展開に釘付けとなる。S駅での事件を予測するにこの人は言うのだ。しかしなぜ、疑問は後述に、耳を澄まそう。

「いいえ」

「ようやく私の意図が伝わった」

「『いいえ』」

「いいのよ、ありのままのあなたがもっともあなたらしい」女性は軽く笑って、続けた。「あなたが売り払った正統を語る食器、knife(ナイフ)が人殺しの道具に採用されたことを告げに雨の中を訪問してさしあげたの。、感謝をしてよ」

「殺人?」店長は惚ける。

「S駅構内で発生した殺人事件をまさか初耳なんて言わないでよ」

「はい」

「あなたが殺したのよ」

「当日S駅に足を運んだ記憶はありません。また、ここ数ヶ月S駅を利用したのは先週の日曜日。それ以前は数ヶ月前の散歩と日曜から今日までは店と市場と地下鉄、自宅を除く場所へは足を運んでいません」

「殺したのですよね?」

「いいえ」

「knife(ナイフ)で人間の首と腕をどうやって切断した!」雷鳴の痕跡を辿った肌に突き刺さる音質。女性の苛立ちがひしひし二階の空間を四方へ這う。

「knife(ナイフ)、というのは私が売り払った骨董(antique)品を指しますか?」

「決まってる。なるほど、そうやって神経を逆なでるのか。頭脳明晰とは噂にたがわぬご本人登場というわけか。いいからさっさと吐いてしまいなさい。私が正常な意識を保っていられる前に」

「調査が甘い。一人用数(one set)三本を四人一組が三つ、計三十六本の出品ほか、欠けたバラを保管する。盗難に遭ったバラ数本は行方知れず。持ち出したお客さんに同様の疑いはかけたのでしょうか? 競売(auction)の主催に問い合わせれば売却の品物は所有者の許諾を得、血液の痕跡などは見つけられるかもしれない。したがって、あなたの質問には現状『いいえ』が妥当であり、加えてこの返答はあなたの退室をも意味する。階段を下りて左、正面扉(door)からお帰りください。まだ、地下鉄と電車は動いてるでしょうからお早めに最寄り駅に駆け込むことをお勧めします。後ろの二人にも」