コンテナガレージ

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アメリカ行き〇八一便 チャーター機内 離陸後三十分 ハイグレードエコノミーフロア

「伝達事項は以下の通り。まず先頭のビジネスクラスが舞台。制限時間を設けます、いつも通りに。ですので、客室常務員の方に計測係をお願いします、他の仕事に差支えがあるようでしたら三人の誰かがその任務を請け負う。大まかな時間の区切りを分かりやすく文字で伝えてくれる簡単な作業です。十分ごとにアラームを設定しておくと乗務員の方たちも取り掛かる仕事を終えて駆けつけてくだされば十分に応対は可能だと思われる。厳密な計測は必要としておりませんので」
 アイラ・クズミは一同を見渡した。アイラは立った状態での演奏の良し悪し、可能不可能を確かめている。彼女は既に衣装に身を包む。動きやすい服装を選んだ、派手な衣装は近づいてしまうとありがたみの象徴である装飾の意味は半減する。よって彼女の普段着に軽度な装飾を首と手首につけた、足元も多少華やかに着飾る。もちろん、ヒールは低い。安定飛行とはいえ、上空数万フィートに引き起こる外乱は予測がつかない。何事にも備え、高いヒールを如何にして避けるか、アイラはこれを日々関係者に見せつける。衣装、それも靴に注文をつける仕事相手はこれまで現れていない、かといって、そうだ、現れないとは限らないのである。襟と袖口を細く縁取る黒、全体と色分けたグレーのTシャツは右半身が異様に長く垂れる形状だ。無地の胸元が何よりの救い。巷で売られる商品をスタイリストのアキは買い付けた、いいや衣装を貸し出す店が存在するに違いない。アイラの所属事務所内はかなり手狭な印象だった、保管するスペースは見当たらない。しかしその場合自分が袖を通した衣装は汚れを洗い落として返却をするのか、という疑問が浮かぶ。手洗いか洗濯機か、それともクリーングを利用するのか、余計なことにばかり気がつくが、アイラにとって、これは集中の証なのだ。目端が利く感度の良さを如実に表している。
 ビジネスクラスに続く機首側、同フロアの最前列左側通路にアイラは立つ。客室乗務員二人は反対の通路に、カワニが最前列、その後ろに席を空けてアキと楠井が座る。
 スタッフTシャツに着替えたカワニが手を挙げた、彼の着衣は先月の九州ツアーで販売したグッズである。
 アイラは軽く顎を引いて発言を許す。
「演奏をきっちり二回に分けてください!断固として僕はね、言いたいことを言うんです。アイラさんが体調不良に見舞われては、渡航の目的はもう半分が残る。渡米先の予定だってこなさなきゃならないんですから。長時間のフライト、時間の猶予はたっぷりあるんですもん。もう少しインタバールをあけて次の演奏に移りましょう?、ね。エコノミーのお客さんは埋め合わせとは違います」
 低空飛行のようにアイラはそっと言葉を返す。「ビジネスクラスの貴重なひと時を奪った。こちらの不備、胡坐を掻いていた、と私たちは正直に認めた。どちらもお客なのだから区別は差別にあたる、という風潮には反対、私はカワニさんの意見と同感です。とはいえ、すでにお客さんには搭乗の無料と有料に区別がついてしまっている。しかもそのことに区別をもたらしたライブハウスの利用停止によってどちら客層も搭乗を許された、異なる応対にお客さんたちは文句を言える立場ではないのです」
「私も、いいですか」弱弱しくアキが直言する。アイラは許可を与えた。「衣装は通例通り、同じものを二着用意してありまして、二回公演に区切った演出だと、合間に着替えの時間を用意していただくと、その、視覚的な印象の違いは多少軽減される。それと、アイラさんが続けて、要するに休憩を挟まずに二回目の演奏に向かうとなったら、着替えに割く時間を教えてくださると助かります、はい」
「計測係はCAさんにお願いできないでしょうか?」楠井はけだるそうに告げた。具合が悪そうである。
「予防接種は受けましたか?」アイラは彼女にきく。
「いえ。ですけど、私はイ……」アイラはさえぎった。
「それ以上の発言は求めてません。接種の有無を尋ねたのです、受けていないのでしたら、離れた席から動かないことを願います。乗務員さん」アイラの通路に佇む客室乗務員へマスクを貸し出しを求めた。なければ、アキが所持しているだろう。あえてお願いをしたのには理由があってのこと。演奏に関わるスタッフの自覚を改めて意識に上げた、彼女たちの気を引き締めたのだ。自覚を植えつけるには、彼女たちに簡易な仕事を頼む。もちろん、彼女たちの本来の業務に支障が出ない程度にである。一人の背の高い乗務員が機首側のギャレーに入った、慣れた応対。
「演奏は続けて行う。衣装はこの一着で通します。室温は一定です、乾燥が気になるでしょうから、水分は多めに用意してください。用意は」戻った客室乗務員にアイラは言う。「乗務員さんにお願いします」