コンテナガレージ

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火をつける。手元がほのかに灯る。
「いつもの面子、呼ばないつもりかい?」キクラが訊いた。彼はブラインドを閉めてドアを開けた、外のスイッチを押した席に戻る。よいしょっと、声が漏れる。ここの照明はぼんやりとほんのりと灯る。
「出来上がった映像の修正点が報告されるまで本格的な音入れは控える。あの人たちも忙しいようですし、同行はまだ把握していません」あの人たちとは、アイラがレコーディングの演奏に選ぶバンドメンバーのことである。
「ツアーのリハーサルに借り出されたよ、昨日、ごっそりと。静かなもんさ」
「突然ですね」アイラは顔色を変えずに言った。キクラが驚きを求めたように感じたので、あえて平常を心がけた。
「miyakoだったか、ミツコだったか……そんな名前。ミとコは多分合ってる」
「空港と機内でその人を会いました」
 キクラは咳き込んだ。背中が弾む。痰を吐き出す、嗚咽。気管に入ったみたい。
「えほっつっほ。ああ、ふう。飛行機って今朝到着したんだろ?」
「ええ、ここが日本で喫煙室が東京ならば」
「ツアーのリハーサルは昨日からだよ、始まったの」
「海外の空港、帰りの飛行機で、とはキクラさんの勘違い」
「いやいや、それだって奇妙奇天烈、話が合わないよ」キクラは鼻を膨らませた。「アイラは一週間前に日本を発ったんだよね、それ間違いないね?」
「はい」
「君をはじめとしたミュージシャンってのは、ツアーリハーサルの一週間前に海外に仕事であっても渡航をすることは、常識的な見方で言うと、どう言える?」軽い誘導自問だが、彼女は素直に応えた。昼食の借りを返す。
「非常識。体調面の不調、主に時差ぼけからの機能回復を想定した数日の比較的緩やかなスケジュールを組むでしょう」
「リハーサルを済ませていたとしても」キクラは首を振った。「ちょっと普通じゃ考えられない」顔にプロ失格と書いてある。
「普通じゃないのでしょう」
「はっきり言うね」
「仮に私より先に帰ったとします。単にツアー参加を移動手段に代用した場合でも、向こうの空港に到着し、すぐ引き返すだけで約二日を費やす。一日の休暇を経て、三日目に復帰するとすれば、万全とは言わないまでも関係者の肝を冷やすことは稀。綿密でしかも過密なスケジュールが組まれていた、それでキクラさんの言う、"普通"の説明は事足りる。体調不良を招いていなければですが」
「やっぱり、体調管理に厳しいね」
「事務所員の方が一人、風邪かインフルエンザの疑いを持って飛行機に搭乗しました。あるまじき行為だと叱責を加えた」
「その人の人格を疑う?」
「同乗を避けるか、対応策を実践してもらいます。反省は不要ですから」
「相当人嫌いだよね。でもさあ、僕たちとはこうしてフレンドリーに話す、どこが違うの?」
「ビジネス上の付き合いに今日は特別、私の落ち度をこうして補う。いつもならば、スタジオに篭っています」
「まったく、はっきりいうよね」はっきりは二度目。ね、という語尾も多い。男性的な印象を打ち消す効果。外面を女性的な美しさに求める人種がいると情報では聞く、たぶん若いからだろう。皮膚構成、その分化の別れ際に、社会で立ち振る舞う自らの位置の模索、これの行き着いた先が女性化だ。キラクの一面に感じられたのであって、彼はいわゆる男性らしい部類に属する。口調の柔らかさは生まれ持った性質、または選んだ言葉を繰り返し使う、無意識に発する言語だろう。
 アイラはエネルギーを消費する分析をやめた、昼食を抜いた体にはとても堪える、耐えられない、まだ作業は残るのだし。