コンテナガレージ

仕事(フリーライター)、日常、小説、その他諸々

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「いやいや、楽曲製作の現場は何度かお邪魔させていただいたことがありましたけれど」すべてを話そうとする、"けれど"や"でも"に続く言葉のほとんどは前述を踏まえた、述べた事象を覆す内容。「昨日の今日で、とは驚いてます」胸に手を当てる仕草もどことなくわざとらしい。薬師丸は持参した手土産には手をつけず、レコーディングスタジオのソファに浅く腰をかけて、アイラ・クズミの方に投げかけたのだ。
 アイラはソファの左手、小さなデスクの椅子に座る。そこがいつも曲を作る、彼女の分身が生み出される場所である。 
 薬師丸のほかに女性が一人帯同していた。秘書あるいは部下、薬師丸の付き添いという印象を種田は持つ。存在を隠してるのであれば、私を一目見に来た、という可能性もなくはない。
 三曲目が止まる。おもむろに瞼を開けた。
 薬師丸は一度、キクラに退出を促していた。勘違いも甚だしい、製作者一人の力量で仕事が完遂されると薬師丸は思っていたらしい。厳しく真実をアイラは述べた、最初に聞かせた曲の後のことである。それからはおとなしく立場をわきまえたようで、隣の女性を囁きあうような態度も控えめに、止みはしないものの、上司と部下という関係性の許容範囲に収まる。ただし、好意的には決して捉えられない。
「曲はその、大変満足してます。もうしぶんのない出来上がりに感謝しても足りません。ただですね、なんと申してあげたらよいのか、映像ディレクターが映像の修正をですね、この間アイラさんから指摘を受けた箇所は断固、変えたくないと言ってまして……」
「履き違え」アイラは言う。「曲は映像の付属品や効果音の一種ではない。その思い込みはまず捨ててください。そうしないといつまでもあなたは私とその映像作家の間を行き来することになります。現にもう一往復です」
「何とか、アイラさんの曲の方を映像に合わせるというふうには行かないものでしょうか」
「いかないですね」
 キクラはあきれてる。背中を向けて頼まれなくても席を立った。こっちに視線を送る、話がまとまったら呼んでくれ、という意味だろう。
「曲のアレンジは、いまのですべて、ですよね」
「はい」
「掛け合うしかないか……」薬師丸はあからさまに苦悶を見せ付ける。「少し席をはずします」そうしてスタジオを出た。
 自然と付き添いの女性を意識にあげる。薬師丸が女性の姿を隠していた、名刺の交換は要求されていないし、名前は既に名乗られてもふたを閉じた記憶だ、呼びかける手段は断たれた。だから、というわけではないが、コーヒーのお代わりを注ぎにアイラは席を立った。
 案の定、女性が声をかける。それが俗に言う礼儀という名の関係性を重んじる態度であるから。
「コーヒー、お好きなんですね。よかったらお饅頭もどうぞ、おいしいんです、ここの小堂庵のお菓子」お饅頭はお菓子だろうか、アイラは考えつつも女性の言葉には軽く顎を引いたのみで声はもったいないと、返事は控えた。席に引き返す数メートルを長く感じた。
「大変だったそうですね、昨日ですか、空港から直接こちらのスタジオに向かったとかで、精力的ですよね。いやっ当たり前か、今や巷ではアイラさんの曲を知らない人はいませんものね」軽く握った右手が口元にかかる。柔らかな口当たりの言葉と音質はひどくねっとりとして透明なのに扱いにくく、取り留めのない口火であったとしても、どこか蛇のような瞳と鮫のような肌質が自己実現の要求をぶつけるタイミング見計らう、そんな印象を抱いた、この人物は目的は薬師丸の仕事とは無関係に思える、アイラは確証を得ると、彼女に背中を向けた。