コンテナガレージ

仕事(フリーライター)、日常、小説、その他諸々

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ギターを手に取る。面倒であるし、不本意だ。しかし、これは仕事である。約三週間後が締め切り。たまに、期限に余裕を持って曲を収めると、改変を求められることはしばしばである。それも手直し、という次元を超えた、新品を作ったこともあった。ライブでは歌わないことを割り切ってエスカレートする要求に応え、作る。その媒体においてのみの使用に限る。ラインナップの立て看板を引き下ろす、そうして余分な印象をせき止める、ささやかな抵抗だが非常に効力をを発揮してくれる、私が学んだ数少ない奇体な対処法なのだ。事務所側はクライアントの立場を訴えるが、将来を見据えるならば、短期的な取り組みに長期的な方向性、その適正に合い、ようやく曲に認知される、実験の場としては利用価値は高い。実際、歌ってくれとの要望もクライアントやお客から寄せられる、お眼鏡に適った曲だ。歌わない。商品を引き立てる歌はお客の想像を駆り立てる要素とはかけ離れたアイラに不要な歌と、彼女は分析してる。引きは強い。が、一過性。要するに長く続く本質は内容物に組み込まれていない、ということだ。広告がその一時の印象を強く高める効果を狙っているからかもしれない。無条件に引っ張られる、とも効果の正体を表せるだろうか。とにかく、アイラはクライアントの改変要求を演奏機会を減らす目安にいつからか置いた。
「私、アイラ・クズミの大ファンです!」彼女をフルネームで呼ぶ、ファン同士が流行らせた呼び方。呼ぶ呼ばないは自由だ、勝手にファンクラブも作るがいいだろう。ただし、徒党を組んで、ただ演奏を愉しむお客にまで強要し、やらないとファン失格というレッテルを貼り付けるお客であれば、有無を言わさずに客席に呼び名の自由は公言する。先の話だ、しかしながら、客席の実態を知らない私でさえ事態の予測が簡単に思い浮かぶのだ、それはつまり近々起こる可能性をはらむ。現に客同士の取っ組み合いの喧嘩は何度か起こっていた。アイラは個人的好意と憧れを餌に、呼び寄せる行為は断じて控える。
 なぜファンについて沈思する必要が?アイラは演奏を止めた。
 気配を感じた、女性がそばに立っていた。
「身の程はわきまえてます。それでもやっぱりこの機会を逃したら一生、もう一度はって……」水が目に溜まっていく。「お願いします!サインをください」
「断ります」願いをぶった切るアイラ。
 胸に抱えるサイン色紙、まだビニールをかぶる、それと日常は購入後の数回を利用回数とする黒のマジックは急いで買い揃えたと映る、必死なのだろう。けれども、アイラは書かない。
 いつも、書かないのだ。
「お仕事中だってことは判ってます、私の動機だって不純だっておっしゃりたいんでしょう。けれど、欲しいんです。もう目の前で言葉を交わせません、そのぐらい知ってますよ!」ヒステリー、というのだろうか。女性の甲高い声、きんきんと響く金切り声が耳を劈く。
「サインを書かないのではなくて、もともとサインは書かないのです。ええ、思い浮かんだ指摘に答えると、巷に出回るサインはその都度変わっている、その場の思いつきで書いたものですから、当然なのです。書くことを拒否する労力を惜しんで書いてしまったのです、あなたが見たそれらは。本来は書きたくはない、という刻印です。誤解を生んでいたのなら、解決したでしょうから、どうか席に戻ってください。それにあなたは薬師丸さんの部下なのでしょう、クライアントである私にサインをしかも仕事中に現在の私と映像作家の間を取り持っている、焦りと緊張と不安が渦巻く心象にあなたがその色紙を持つ姿はいかがなものでしょう。あなたの今後を左右しますし、あなたを指導する薬師丸さんにも、それから薬師丸さんが謝罪を申し出ることで私にまで影響が及ぶ。どうか鞄にしまってください」
「すいません、お待たせをしてしまって」
 状況を見透かしたように薬師丸がスタジオに戻った。女性はアイラの傍らに立ち尽くしてる、かろうじて色紙は背中に隠したか。アイラは椅子ごと振り返って言う。
「そちらのお饅頭、いただきましたので」口を動かす演技。まったく私は何をしているだろうか、アイラは自身の対応力を、臨機応変な態度変化を呪った。隣の女性は、背中、上着の下に色紙を隠す、マジックは袖に隠した。
「小堂庵の店主は、私の幼馴染でいやあ、喜ぶだろうな」彼は目を細めて頷く。
「曲はこちらで作り直そうと思います」
「はい?」
「三度目は面倒なので言いません。曲を映像に沿って作り直します。そうですね、明日の夕方に連絡を差し上げます。期日は明後日、明日で完成しなければ、明後日には完成させるでしょう」
「ありがたいことではありますけれど……、作品のクオリティといいますか、短期間の作成でも、可能なのですか?」
「長期間を要する作品はその作品を客観的に捉える他者視点の獲得を意味する。つまり、忘れ去って、まっさらな視点、立場によってもう一度作品の評価をはかり、潔く削ぎ落とす箇所、大胆に膨らませる箇所など全体の質を向上させる、これが時間がかかる理由。その点特異な体質の私は、短い期間にも要望なりアイディアを盛り込めます、一日ですっかり忘れ去る機能を持ち得るためでしょうね。自慢ではありませんよ、私にできることを言ったまでですから」
 会話に費やす労力はここでやっと打ち切られた。
 取り付けた約束を胸に、納得して、彼らは帰った。