コンテナガレージ

仕事(フリーライター)、日常、小説、その他諸々

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「あの人の年齢から察するに未婚は考えにくい。ありゃ、不倫相手の恋人だろうね」
 試聴は行わなかった。
 通常の製作過程ではデモの出来上がりと曲の手直しはひと続きである。立ち返る視点が作品に与える影響を調べたのだ、短期的な注力には短期的な視点がその効果を高める、アイラの思い付きである。彼女はひらめきによって動く。もっともそれは彼女の生活環境の促進を目的とする。自由奔放とは様子がまるっきり異なる。そういった角度の誤信はよく彼女に降りかかる。慣れたもので、彼女はまったくといっていい、障害とは思わない、これがアイラ・クズミそのものを表す。
 出来上がった曲の披露を数時間遅らせた、待機をお願いしたキクラが戻り、曲を聴いたところだった。
 スタジオ内、
 ソファに腰を浅くかける。アイラは、気になっていた。キクラの感想を聞いてるふりに乗じて考察に耽る。機内で開催したライブに歌い手が三人、狭い座席に納まって演奏を聴いていたが、搭乗を決意した訳がどうにも理解に苦しむのだ。マネージャーのカワニが目ざとく見つけた、時刻を教える後方の補助席でお客の顔を眺めていたのだろう。
 三名は敵情視察に訪れた……。
 彼女は目新しさを追求してはいたが、予測に反し、機内の揺れと死体、同業者と、気を逸らす環境に晒された。これといって目星しい成果を勝ち取れてたかと問えば、否と応えるだろう。同業者も収穫は空振りに終わったはず。
 私と競合してる、その誤った認識を彼らは自問から説くべきなのに、アイラは同業者の立場を珍しく憂いだ。
「ねえ、山本西條さんと一緒に仕事したことがある?」唐突、背もたれつきの椅子に座るキクラが尋ねた。神妙な面持ち、ジャイロセンサーの機能チェックだろうか、左右に振る片手には端末の画面が光る。
「いいえ」
「アイラに会わせてくれないかって言ってる」言ってるとは、メールやSNSに送られた文面を読み上げるのだろう、個人的なやり取りではないのだろうか、アイラは質問は脇に、別の部分が気にかかった。
「キクラさんに面会の権利を与えた覚えはありません」
「仕事上の交流があるってことなんだよ」
「ええ、わかってます」
「……アイラに任せるよ、断りもアリだとは思うね」
「業界の先輩だから、とても理知的な判断とは思えません。私は知らない番号には出ませんし、アドレスを教えた記憶は、マネージャーぐらいでしょうか」
「板ばさみの僕の立場は忘れないでよ、フリーは何かと気を使うんだ」
 アイラは足を延ばしてクロスさせる。「午前中に曲の完成を見込んでます。その後、ということにしましょう」
「それって……」顔のパーツが段々と外側に広がる、キクラの上半身は上に上へと伸びる。
「面会の用件を尋ねてください。それについてはお答えをします、と私の返答を伝えて。あと時間を捻出したとも付け加えましょう、事前に要件をまとめる、おかしな日本語ですが、固まってすらいないまま打ち合わせに挑む方が多すぎますので。二度目の会合はこりごりです」
「たぶんさあ、事件のことだと思うよ」
「口外しないように、口封じや圧力」アイラは言う。
「だったらいいけどなぁ。業界から締め出しを食らった人がいるんだって、山本西條さんの関係者の中で、それもさぁ演奏側の人間」スタジオ内は二人である、キクラの小声は実に解せない行動だ。
「私への警告よりも搭乗していた事実を漏らさないよう私の機嫌を取るかもしれない、無意味だということは直接膝を突き合わせてようやく納得、腑に落ちると想像がつく。面倒です」
「だといいけどね。ぱっと見、昔の不良みたいな風貌だから」
「だから、なんです?」
「ほらね、会ったことがない人はそうやって言うの」
「会いましたよ、私」
「いや、だって仕事したことはないって」指し棒代わりにキクラは端末をアイラに指す。
「出発前の喫煙室でお会いしました。そのような名前をカワニさんが、はい、しゃべってました」
「便利だよね、アイラの頭は。試験勉強にこころづよーい味方になって、東大とかどっかの工科大学なんかにちゃちゃっと現役で合格できたんだろうね」
 優れている人物とは、記憶力の優れたひけらかしの能力を持つ人物ではあるものか。
 アイラは饅頭をごっそりつかんで、席をはずした。ちょうどタバコが吸いたかった、良いきっかけ。
 コーヒーを忘れた。しかたなく帰りの電車賃を自販機に投下する、うっすら明滅する光にさえ逃さず吸い寄せられてしまう虫が私に思える。節操なく何もかも取り入れてしまえる、あくなき、貪欲な備わった精神。
 猫舌に構わず暖かい液体を流し込んだ。
 じわり、涙がにじむ。
 あの女性は泣いていた。乗客の何人かは泣いていた。
 私は女性の共感をはねつけ、乗客たちは私の演奏に涙を流した。個の確立と喪失。
 火傷を負うなら、もっともっと強靭な皮膚組織に組成を変えてよかったのに……、
 毒を感じ取る味の見極めには柔らかな生体組織が有効的だったの?
 離れて寄り添う床を、踏みつけた。
 片方ずつ、平等に。
 無人の喫煙所がありがたかった。