コンテナガレージ

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赤が染色、変色 8

 彼女の番、係員が端末の提示を求めた、もちろん、私は優雅に端末を手渡す。五インチの画面を係員が緑色の二重丸の機械にかざす、こちらには見えないタブレットを眺め、本人確認の承認をしているだろう。向きを変えて渡される端末に妙な親切心を彼女は抱いた。とはいうものの、うん、まるで平気。人ごみもへっちゃら、理由は皆まで言うこともないよね。

 私が浮いているのか、それとも廊下の絨毯の異常なまでの柔らかさがそうさせるのか、判断に困る。

 行列は進み、流れに乗って、とうとう待ちに待った夢に見た、抽象に告ぐ抽象を何度想起しては、一人ニヤけたあの、アイラが歌う、ライブ会場に三葉は足を踏み入れてしまった。

 けれど、私はいつもの私。ただし、気になることが一つ。アイラのライブにしては不釣合いなやけに低い質素な天井だ、まるでなっていない。こういったら怒られるんだ、地下のライブハウスは狭く、かなり年季の入った床だってよくみたら塗装がはげて傷だらけ、明るいところでみたらもっと汚かっただろうし、本質を問いなさい、三葉は言い聞かせると、端末を固く握り締めた左手を前後に振り振り、座席を探した。いよいよだ、始まる……。

 着席。三葉はするりコートを脱いで折りたたんだ。そして埋まりつつある席との隙間を申し訳なさそうに通り抜け、トイレを目指した。万全の状態で望みたいの、誰だってそう、他のお客だって、皆考えることは同じ。

 廊下は興奮と期待、神妙な雰囲気も混じる。そればかりか、死を受け入れるような表情で壁に寄り添う人や、天を仰ぐ人、祈りを捧げる人、しゃがんで一心に彼女の曲を振り返る人、呼吸を整える人、見止める前から涙を流す人、踊る人、喜ぶ人、飛び跳ねる人、靴紐を結びなおす人、タオルを巻きつける人などなど。

 ――囲われた個室、順番が廻って、私は腰を下ろす。胸元からきらりと光る金属を取り出した。