コンテナガレージ

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熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 1

「電車とタクシーを乗り継ぐ、それほど車移動に時間的な利得は見出せません。最寄り駅から歩くと思われたのですか?」日井田美弥都は店長の助手席に揺られる。

 半ば強制的だった。

 自宅から目と鼻の先無人のH駅に向かう矢先、歩道に出た所へ見慣れた車が颯爽彼女を出迎えた。

 どうやら駅のロータリー、それも中央の時計塔の陰に隠れていた。見つかれば私のことだ、知らん顔で乗車を隣駅に切り替えることは予測の範囲内であったのだろう。
「送ってあげなさい、いつもお世話になってあなたを支えてる人をいたわってこそお店と私たちの生活は成り立つんだって、力説されたのさ。うちの奥さんにね」

 店長の奥さんとはほぼ面識がない、顔を合わせたのは一度か二度。店長が忘れた弁当を店に届けた時に挨拶を交わした。個人事業主の店長は店のあらゆる係りごとをこなす。開店から現在に至るまで奥さんの手を借りずに切り盛りする、とはいえ弊害はやはり訪れるもので長期間営業を続けてにじり寄る現れた疲労には抗えはしなかった。そこで美弥都が雇われ、店長とアルバイト店員の二人体制によるコーヒーサービスの提供が確立したのである。平日の定休日と年末年始の数日を除き、一年を通じて店を開ける。
「一人で回りますか?」休憩返上で店に立ち続ける、休業は免れるだろう。が、一週間も持つかどうか非常に気がかかりだ。何せ開店直後は行列を裁く注文の嵐に一人でトーストを焼き、平行作業のコーヒーの抽出に追われる。二人で手一杯、めまぐるしい煩雑さを日々味わうというのに……、美弥都は思う、奥さんをとうとう引っ張り出すのかも。
「秘策を設けているのさ。仕入先のパンは特別製だ、お客さんならほとんど知りえる内情だろうからそれを逆手にとって納得させる。製法にこだわってるが故の数量限定だってことは織り込み済み、だから仕入先の事情によって数量が減ってしまったと先に言い訳を打ち明けてしまうんだよ」店長は進行方向に注ぐ視線を助手席に切り替える。あまり運転技術は高くはない、自負してるので早々視線は波打ち際の海岸道路に戻される。「四分の三ぐらいなら何とか僕一人でも裁きれるだろうしね」
 どのような計算方法によったのか、私にはわかりかねた。それとも秘策、とっておきの助っ人、おそらくは奥さんを駐車場に待機させているのかも。赤ちゃんはようやく言葉を話す年月に達した程度、まだ子守役が傍にいなくては。個人的な事情を許して欲しいがため、騒音を撒き散らす危険をはらんだ小型拡声器を背負い、接客にいそしむはずもない。もっとも私が店を離れなければ、ということなのだろうが、それは店長たっての希望、願いであり、一度目に美弥都は提案を断った。経営を危惧する現在の心境がその理由である。だが店長はかたくなに経験を私に求めた。店と自宅の往復で一日が終わる配慮なのかもしれない。美弥都を名指し、『ひかりやかた』なるホテルの要請をあっさり彼女の快諾を問わずひとつ返事で受けてしまった、聞かされたのは一昨日の夜であった。拒否もできたが、強硬手段に打って出た店長は稀に見る振る舞いで、それほど私に断って欲しくはなかったらしく、何かしらの理由を胸中に恐る恐る理解を募る申し出の最中私は悟ってしまったので、無理やり体躯に鞭を入れこうして今日を迎えた美弥都である。