コンテナガレージ

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鹿追う者は珈琲を見ず 1

 滞在二日目、八月三日土曜、宿泊客を迎え入れる決定事項が通告された。三組が訪れる。午後四時、チェックインを皮切りに人口密度が増し三名のお客がホテル館内の喫茶店に居場所を求めた。小松原俊彦、妻は収穫体験の農場へ遊びに出かけ気ままな孤独を堪能するのさ、気取った口調をカウンター席、日井田美弥都の正面に彼は陣取る。毛穴の開いた歪な肌と地肌が目立つ両サイドを短く借り上げた髪、頭頂部、後頭部にかかる髪はきれいに撫で付けてある、整髪料のつんと鼻を突く香料が彼が動くたびに香る。
 三つ席を空けたL字の角を体側の左に室田祥江が斜めに腰を据えている、肌に張り付く薄手のワンピースを小松原は横目で盗み見ていた、彼女は視線も隠微な想像お構いなし、我関せずの面持ちでその振る舞いには潔さを感じとれた。そしてもう一人が入り口側の壁、二人席にあえてベンチシートを空けその対面に座る。理に適った位置取りといえる。人の動きを視界から廃絶、滞る空間、無機物と自分が理想なのだ、女性は安部、支配人曰く彼女は宿泊客でありホテルが雇う従業員でもある。私のように臨時の雇用ともどうやら雇用形態は異なるらしい、私はいわゆる契約社員としてのホテル側との雇用契約を結ぶのだが、安部は『ひかりやかた』の経営母体、いわゆる本社の事務方、経理や総務などと在籍区分が近い。彫刻家安部の生活費を工面、給料を会社支払うことで安定した美術品の創出・修復という仕事を一任する。いわれてみると石の彫刻が各所に点在していた、美弥都はすべての位置とその形を回想する、が一瞬で引き上げ興味を失くす、他者の意思を読み取るとはつまりは自らの投影に他ならない、造形物がいかに主張しようと受け手は個人がはぐくむもの。とはいえ、持ち合わせる想像は手を借りて枠内に手を掛けられはするだろう、それもしかし一過性であったらやはりもとの鞘に刀は収まる、刀身か鞘のどちらかの形状に変化を加えて漸くだ。無意味なことを分かりきったことを蒸し返している、美弥都は強く再浮上を嫌って記憶に錘をつけてを離した。
「前の方は今日お休みか何かで?」小松原はグラスを空けると権利を得たという彼なりの解釈、こちらになれなれしく話しかけた。
「前任者を指す質問ならば私は何も知らされておりません」
「好きですよ、僕。嫌いじゃないな、そういう態度」頬に皺が刻まれる。顔相は鋭い個人の観察眼による賜物、こうして数多くの人を眺め、見、接する機会に恵まれた、重ねた年齢に応じてというよりも一回を克明に見極め覚える、書き記され後世へ残る書物を先じて開くべきではないのだろう。占いの本質は人知を超えた魔法を彷彿とする速射性、早い応答が第一に盲従を相手に植え付ける。記録を丹念に振り返るそれらしい言葉の自重はガスが充填する風船のごとく軽さを身に備える。取り留めのない連想だ、美弥都は離れた。
「ナンパならほかでやってくれる?」室田祥江が頬杖をついて嗜めた。