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兎死狐悲、亦は狐死兎泣 9-1

 八月九日
 愛車ランチアに乗り込みドライブへ繰り出す。当てもなく故郷のS市を目指す羽目になった、選ばれた過去の進路に従って車を走らせる、僕のルール。いつ決めたかは定かではない、破棄も自由だとは思うが、仕事と別れた五日目に早くも僕は今日の目的を見出せずに朝途方に暮れてしまった。正直に言おう、昨日の昼食を最後に当てという当てが底をついたのだよ。
 診察を受けた。「思い出した時に来い」、担当医の言葉を真に受けた続け僕は以前の通院日はすっかり記憶から抹消していた。診察券のありかもあやふやだった。給油に寄ったガソリンスタンドでドアをくぐった建物内の精算所、入り口すぐの自販機前でトイレに駆け込む女に体当たりを食らわされて落ちた財布、クリップで留めたカードを拾い集める一枚の診察券に目が留まったんだ。だからかもわからない、女性に注意をする気はすっかり失せた。しかも女性は股を抑えてトイレの前でもじもじするのだ、咎める衝動はあいにく持ち合わせてない。干渉、接触を極度に避ける両親たちからそれは多分学んだことなのだろう。他者にかまけ、悪態をつく反動をもしかするとあいつらは身に備えていたのかもわからない。弱さとの区別、判断を僕に委ねてくれていたら、とは思う。
 朽ち果てるさまを受け入れるビル。赤いさびが外壁のタイルに流れ落ちる。中心街を離れた、まだビルは続くが空を隠すほどの高層ビル群に一度お別れ、周囲に空を目指す、〝聳え〟は見られない。記憶を辿ろうにも降り立つそれらしい駐車場に車を止めるので四苦八苦だ。垂直に車は曲がってみせろ、地主は考えてるらしい。
 診察室、名前を呼ばれた。隣の女性がひやっ、と声をあげた。誰だ?他人の空似、間違われるんだ、特徴も変哲もない平坦な顔立ち。誰だ?切れ長の一重、記憶が引っ張られる。よく見れば、違う。
 「よく来たな坊主」、口の悪い医者に覚えはない。担当医は転院したかな、とにかく誘導に従い診察を受けた。写真を見せられた、どれも僕だという。似てない。写真を撮った記憶は刻まれて光景を事細かに説明できはしまえた。ただし、写真の人物を僕とはどうしても思えない、別人だ、若いときだからという理由も違う。僕ではない、それは僕ではない、それは僕ではない。
 お腹が鳴る。言葉遣いには気をつける、育った環境が不十分、だったらしょうがない、とは思われたくはないのだろう。他人事のよう語りたがる僕は。昔の僕の細胞とやらは、すっかり入れ替わってるんだ。昔のままでは願おうとも人はそのままではいられない。
 だから写真を僕だと認めない、これも的確な描写とは言いにくいな。ドアミラーに映る僕とはだってずれているんだもの。呆れた医者の横顔はいまだに虚言を貫くか、理解していないのはどっちだよ。受付に戻る。背もたれのない合皮の椅子にカードが挟まっていた。