「すいません、じゃないや、ありがとうございます。すいませんって使わないことに決めたんですよ。だって、親切にされて謝るのは感謝を表しているとは思えませんから」得意げに鈴木は言う。彼はおいしそうに煙を吸い込んで吐いた。
「そういう意味の謝罪とは感覚が違うだろう。だったら、おせっかいの時も笑顔でありがとうって言うのか」
「うーんそれは、えーっと困りましたね。そこまで考えていませんでした」
「本来ならば、すみません、親切にしていただいて、ありがとうございます、感謝しています、そう続くんだろう。その後半を端折ってんだろうな。なんでもかんでも、昔の言葉が綺麗だ、という幻想は捨てればいい、思い切って。歳を重ね、人前で話す言葉をやっと使いこなせて他人に強要しているに過ぎないよ、美しい言葉なんてものは。咄嗟に出た言葉は乱れているかもしれない。普段が綺麗なだけにな」
「熊田さん、ひねくれて育ちましたか?考えがマイナス過ぎますよ」
「プラスで明るくなければいけないのか。マイナスがないとプラスが生まれないのに」
「批判的だったら自分の意見もいつかは誰かに叩きのめされて踏んづけられるのがオチですよ。僕はそうはなりたくないですね」
「他人の評価に重きを置いていないよ。私の何を見ている、ずっと傍で四六時中見ていることは不可能だ。僅かな一場面と過去のそれらをつなぎ合わせ、予測し欠損を補い、作り上げたその人となりを、受け止める意味はまったくない、そういい切れる。いいよねって同意を得られるのはたいてい権力や場を支配する人に対してだ。そこに、共感に、意味があって、考え自体に、ではないのだ」
「もしかすると種田よりもドライかも」鈴木は呟いた。おごりのコーヒーでまどろんだ意識が目を覚ます。首を左右に回すとゴキゴキ音が奏でる鈴木。
「そういえば」鈴木は言う。「文庫本の事を聞いていませんでした」
「ああ、忘れていた。それほど重要な証拠が出なかった証拠だろう。重要な発見であれば、あの人は真っ先に教える」
「今から行ったら怒りますね」
「だろうな」
「種田に頼みますか?」
「お前が頼めよ」
「ずるいですよ」
「言い出したのはそっちだ」
「ええっ!」わかりやすく鈴木はうな垂れた。
相田も喫煙ブースに入ってきた、種田と二人っきりの状態に耐えかねてのことだろう。
「相田さん、律儀にこの時間まで煙草吸ってなかったとか?」鈴木が訊いた。
「ああ。それよりも事件の進展は?」
「何んにもないですよ。困っています。もう、ほんと勘弁し欲しいですよ」
「お前のしゃべりが勘弁だ」相田は煙をおいしそうに吐いた。もちろん煙に味はついていない。熊田は仕方なく相田からもたらされる熱量の視線に答える。