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店長はアイス 幸福の克服1-3

 私はこの本を買うことに決めた。そうしたら、決意の合図に共鳴して手に持った番号札がアナウンスされた。雑誌の買取価格は微々たる金額であったが、私が欲しい本はそれで賄えた。手に持った袋もよろしければ、こちらで処分しますがといわれて、差し出した。購入を決めた本は別のレジで改めて清算、掌に握る硬貨で支払う。手ぶらが良かったのに、帰りも片手がふさがってしまった。

 私が幸福だと、人は幸福である。そのような内容が本の一節に書いてあった。楽しい私を見せると相手も喜ぶ。自分に忠実だから、他人へ気前良く、幸せを分けられる。不幸だったら、ほんの少しの幸せを明け渡したくはないのか。屋台のワゴン車、アイスが売られてる。暑いので買った。アイスを舐めながら歩く。もしも、私にぶつかってアイスが地面に落ちると私は怒るだろうか。それとも、二口の幸せをかみ締めたと思うんだろうか。けれど、他人にコーンごと奪われたら、奪い返す。まだ、私のものだもの。

 アイスは店長だ。そう、私は諦めがつかない。奥さんに奪われたからだ。奥さんは地面に落ちてると思えないのはどうしてだろう。一般的に婚約者がいれば、もう店長との先の未来を諦める。でも私は納得できていない。それは、おそらく、店長が同僚と関係を持っているからだ。以前の私もその一人だった。でも、奥さんと結婚するから別れたのだ。アイスがぶつかって落ちるのはどのような状況か。私は考えてみる。本物のアイスが、縁から溶け始める。倉庫に発着するトラックが生暖かいガスを吐き出す傍を、すり抜ける。諦めと享受が一度に味わえる時と思いつく。満ち足りない私よりも満たした分だけでも相手に分け与え、また別の楽しさを探し味わい、堪能する。けれどもしかすると、その別の楽しさも誰かの搾取によって正立を余儀なくされるのは知っているのに知らん顔で過ごすんだろうかとも思う。堂々巡り。結局は、つまりは私を活かすと他が目減りする。視界に捕らえていても感知していなくても機密性の高いタンスみたいに引き出しはどこかに空気の出入り口を求める。