コンテナガレージ

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店長はアイス 幸福の克服3-5

 鈴木が場を支配する時間、熊田はぼんやり事件をたどる。腑に落ちない点は二人の死によって明らかにされない。生存してたとしても、いいや生存の場合はその事実にすら関与できない。日井田美弥都の頭脳が欲しい、熊田は思う。種田とはまた異なる指向性がどのように作られ、なおかつ生きていられるのかが不思議だ。彼女の顔は常に反対、つまり後ろに向いている。世の中の生き抜くまでのあらゆる事象を把握している、そんな達観さえも匂わせる言動。期待感を感じつくした後の境地に似ている。しかし、生きてる。普通ならば世界とのつながりを絶つのにだ。どこかに楽観的な観測さえもひそかに秘めているとは、思えない。淡い期待は持ち続けているだけの、つまりは幻想で現実の次の一手を変えるほどの力はない。こうなりたいと思ったときに行動が伴うはずだ。何を頼りに明日を待つのか。これは私にもいえる。熊田は二本目の煙草を吸う。反射的にコーヒーの残りを目視。生きるため、単純すぎる目的に美弥都が支配されているとは考えづらい。では、誰かのため、他者のためか。年齢的に彼氏、夫、子供が居てもおかしくはない。ペットを飼っているのかも。しかし、どれもが自分を高めるため、そう世話を焼いている私のための配置された役者なのだ。可愛いし、いとしいし、頼りにもなるし、生活に張りが出るとも言われる。でも、錯覚だ。忙しいことが善と決め付けてる。楽しいから夢中になれるから、とは別の思考。おそらくは、他人のそれをみたままのやるべきことのリストの消化なんだろう。これをしなくてはと、己に課す。やらなくてもいいのに。動物のために暑い日中を避けて散歩をするらしい、忙しい彼氏のために料理を作って待つ、夫のため子供ために家を掃除する、どれもが誰かのためを強調。返ってくるべき善の行いのために。それに比べて美弥都は改めて観察するととても身軽だ。重苦しい、枷は早々に取り外したらしい。あくまでも私の想像。
「日井田さん、刑事になる気はありません?」熊田は言った。美弥都を含む一同があっけに取られる。隙間を縫って流れる音楽。軽妙なギターが小刻みに旋律。
「一般人ですよ」種田はあくまでも抵抗の構え。
「だから誘った」