コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

あちこち、テンテン 8-7

 終業時間ギリギリまでお客が引かなかったため、ディナーの売り上げは好調であった。厨房を片づけて、小川安佐と館山リルカは裏の更衣室へ、ホール担当の国見蘭はカウンターで本日の売り上げの計算。黒皮の帳簿に売り上げを記入。このあたりはまだまだアナログである。これを僕がPCへ打ち込む労力を鑑みれば、いっそのこと紙に記帳された状態が最適とも思えるが、不慮の事故、災害も起こりかねない、二度手間であってもバックアップは必要かと、店の経営に、繁雑さに辟易する店主であった。
 横殴りの雨が室内の古めかしい照明に反射、仄かな淡い光が窓に打ちつけられた水の軌跡によって窓、地面に張り付く。
「お先に失礼します」
「お疲れ様でーす」調理担当に二人組みが帰宅。
「私も帰ります」国見も帳簿をレジの下に押し込み、着替えを済ませロッカーを出てくる。服装は秋の気配。からし色で薄手のコートを彼女は着ていた。「店長、まだ帰らないんですか?」コートの内側に入った髪を国見はかきあげる。
「帰るよ、もうそろそろね」
「そうですか。なんだか今日は元気がないように見えましたけど、大丈夫ですか?」そっとカウンターの天板に手を乗せているだろう、店主の側では重なる食器で上腕から先の視界は途切れていた。
「僕が?いつもと同じだけどねえ」顔を少し上げて、すぐにまた店主は手元に引き戻す。菜箸がカタカタ卵を撹拌。
「なら、……いいのですけど。あの……」店主は国見の言葉をさえぎった。国見は言い掛けて、開いた口を止めてしまう。
「もしも警察が来たらだけど」今は二人だけ、それでも言葉にしにくいこととは何だろうか?彼女はほっとしたのか、いいかけたことを悔やんでいるそぶりは見せないでいた。それほど重要な問いかけではなかったのかも。「国見さんが断ってくれたらありがたい。顔をあわせれば、話さずにはいられない。でも、仕事に忙殺されてる姿を見たなら、あきらめて帰ってくれるかもしれないから。聞いてる?」
「あっと、はい、そうですね。私が断ってもいいのですか?」熱に浮かされるようにまどろんだ顔の国見は、店主の期待に戸惑うというよりかは、こちらの体内、骨や内臓などを透視して見つめている、そんな視線。
「犯罪者の僕を捕まえに来たのなら喜んで出迎えるけれど、事件に関係がない、現場の近辺に店を構えてるだけで、何度も貴重な時間を割かれたんじゃあ、やりきれない。もう話し終えたと自負もしている」
「では、そのように対処します」受け入れた国見の顔に影が落ちた、彼女の要望は満たされていないようだ。
「さっき何かいいかけたけど?」腕をまくる店主がきく、せめてものお返し。
「いいえ、なんでもないです。大したことじゃありませんから。はい、それじゃあ、お疲れ様です」顔の前で大きく手を振る彼女は小走りでドアに足を向ける。
「おつかれさま」逃げるように店を去る彼女を見送った。
 やっと一人、至福のとき。誰もいない室内。茫洋とした明かり。多めの卵で焼き上げた玉子焼きを箸でつまみつつ、カウンターで一本タバコをふかした。営業中は吸わないと決めている。舌の感度の鈍感さを危惧しているのではない、それは迷信だとさえ思っている店主だ。逃れられない、へばりつくしがらみか……。
 器用に根元まで煙を肺に吸入そして排出。
 電気を消して鍵を掛けた。
 雨は上がり街頭に濡れる路面がてらてらと凹凸へ陰影を作り出していた。