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空気には粘りがある2-1

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 現場からめぼしい証拠は出てこなかった。夜が明けてからも捜索は引き続き継続されていて、むしろ明るくなってからの方が仕事ははかどったぐらいである。熊田も捜索に参加し、あたりの地面を細かくチェックしていったが、何も出てこなかった。被害者の遺留品を探すのは、明確に財布や携帯を捜すと決まっていれば、それらを思い浮かべての捜索になるので、具体性を欠いた現在の熊田たちには空気を掴むような手ごたえのない作業であった。

 人通りが増える。時間は午前七時を回ったところ。学生や会社員が駅に向かい坂を下りていく。何事だろうと立ち止まる人はいない。だれもが足を止めずに、乗る予定の電車に合わせて通過していった。最寄り駅では種田が目撃者を探している。知っていたとしても、電車に乗り遅れないように自ら名乗り出て朝の貴重な時間を消費する者はいないだろう、もっとも名乗り出てくる者の大半は暇な時間のある人ばかりだ。正直で正義感のある目撃者はほとんどいない。忙しいから偉いわけでもないか、熊田は見解を訂正した。屈んだ腰が張っている。

 捜索の作業はあらかた目処か付いた正午過ぎになって打ち切られた。現場付近に、証拠となる物証はないとの判断である。捜索が打ち切られた理由は、鈴木からの情報に大きく左右されていた。被害者には、捜索願が今日の午前中にから出されていたのである。

 署に帰った鈴木が検死官と鑑識から手がかりとなる物証の有無を尋ねたが、特に身元を証明するようなものは発見できなかった。遺体に付着していた土や草なども現場で付いたものと断定され、被害者以外の痕跡は皆無であった。

 鈴木はそれらの業務を終えてデスクに戻る。

 もうお昼近くの時間である。長丁場になりそうな予感がしたので休憩のために喫煙室に入った。被害届けを受理した同僚からその話を聞いて、念のためにと調べてみたところ、添付されていた顔写真が現場の死体と酷似していため、真新しい煙草を捨てて被害届けを提出した家族と連絡を取ったのである。

 間違いかもしれないとの前置きをしてから、検死を終えた遺体に呼び出した母親を対面させた。鈴木が顔に掛かった布を取ると母親は泣き崩れ頬をさすり、言葉にならない声を上げた。 

 鈴木はいたたまれない気持ちを抱えていてもこの場から離れられない。どうして、うちの子がと言うセリフを何度聞いただろう。事件や事故は新聞やテレビの中の出来事であって私たちには降りかかってこない。現実とは乖離した出来事であるとの認識なのだろうが、実際は明日や数時間後に身に降りかかってきてもおかしくはない。

 鈴木が刑事であるから一般とは多少事件に対する頻度の把握の違いはあるだろう。しかし、刑事たちは明日はわが身と心構えはできているのだ、だからこうして冷静に勤める機能も有している。

 母親が落ちつくのを待って鈴木は署を後にした。捜索願の書類には彼女を表す情報が網羅されており、精神の不安定な母親から聞くよりも的確でいて私情を挟まない情報が得られた。署から駐車場の車までに熊田に報告を入れる。

 「じゃあ、そのまま被害者の勤め先と当日の行動を調べてくれ」、と熊田からの指示で鈴木は書類に書かれていた彼女の勤務先に向かった。

 目的地は、S市の中心街。オフィスビルが立ち並ぶS駅周辺にあった。何度か一方通行の道路で行く手を阻まれたが、ようやく目的のビルに到着した。車はちょうどビルの前にあるパーキングエリアに止める。ビルは茶色の外観、エレベータホールはこぢんまりとしたマンションを思わせるつくり。中規模のビルである。1階で会社を確認して、5階を目指した。