コンテナガレージ

コンテナガレージ

仕事(フリーライター)、日常、小説、その他諸々

空気には粘りがある5-2

f:id:container39:20200509131858j:plain

「コートですか?」

 「ええ、なんと言うか春らしい薄い水色のコートを出勤のエレベーターでみた記憶があります」

 「クリニックに内に更衣室は?」

 「あります。もちろん男女分かれています」つまり、彼女のコートが見られるのは行き帰りのエレベーターしかないと、言いたいのだろう。

 「他に何か気づいたことは?」

 「うーん、これと言っては何もないかな。それより彼女どうして亡くなったのです?」院長は探るように鈴木の目を覗く。

 「他言しなとお約束していただけるなら、話してもかまわないです。でも、まだ、正直事件か事故かの判断はなされていません」

 「普通の死に方じゃなかったんですね」

 「まあ、そうですね」鈴木は曖昧にイエスともノーとも取れるように相槌を打つ。「彼女に恋人がいたとは思われますか?」

 「私に聞かれてもね。ああ、私とは何もありませんよ、言っておきますが結婚もしています」結婚と通じ合う相手がいないこととは結びつかない。例え、契りを交わしたとしても彼氏彼女の関係だったなら簡単に離れるのがしがらみを絡ませて離れづらくなっただけの話。結婚は別れを複雑困難にさせる手間そのもののである。実態は他人と暮らしていることに過ぎない。

 「クリニック内には彼女と付き合っていた人物はいませんか?」

 「さあ、プライベートな事ですから、深くは知りません。もしかしたら私の知るところ以外ではそのような関係があったのかもしれませんが」鈴木は落ちている。証拠に、コーヒーをゆっくりと口に運ぶ間に次の質問を考えているのだ。相手は頭が切れる、そう判断した。言葉にはしばしに断定や決めつめの言い切りは皆無である。慎重かつ大胆に。コーヒーが喉を通過した。鈴木は質問を加える。

 「早手さんを一言で言うとどんなひとでしたか?」

 「難しいですね。そう、あまり感情を表に出すタイプではなかったように思う。どちらかといえばね」院長はちらりと腕にはめた時刻を計る光沢の輝きを放つアナログの針を盗み見た。「もうそろそろ、よろしいですか?」

 「ええ、どうもお忙しいところを。あのこれコーヒー代です。じゃあ、私も失礼します。また、お話しを伺うこともあるかと思うのでそのときもどうかご協力ください」鈴木は手帳をしまうとすぐに立ち上がる。

 「いらないですよ、これ」

 「公務員ですから、おごれられてはいけないんです」鈴木は足早に院長を残して店を出た。

 事件後の被害者の人物像を究明するのは、理にかなっているのだろうか。後ろを振り返り院長がコーヒー代を持って走ってこない事を視認、鈴木は進行方向に顔を戻した。酷い亡くなり方、例えば惨殺や交通事故では被害者がどれだけいい人でどれだけやさしかったかを強調して伝える。反対に、加害者はどれだけ孤独で闇を抱えて、友人がいない、あるいは身よりも家族もいない事実をクローズアップする。結果には原因がある。本当だろうか。刑事をやってきた鈴木の感覚には、誰にでも加害者になりうる素質があると刷り込まれた。一瞬の気の迷いや魔がさす行為は、明日はわが身なのだ。どうしてぐるぐるとこんな事を考えているのだろうか。そうだ。被害者に対する、表現の正負。原因の一端が被害者に見られれば、周囲の評価は不に傾き、被害者に非がないとあからさまに分かる場合には評価は正に振れてしまう。まるで、そう。清廉潔白で心が清らかであるといいたげに。遺族は悲しみにくれて、矛盾をすべてぶつける。愛する我が子を奪ったのは誰だと泣き叫ぶ。もう戻ってはこないのに、死の訪れをないがしろにしていたのは誰だろうか。もっと考えるべきである。

 地下から脱出すると、夕刻の風が待っていた。肌寒い。信号を渡り、駐車料金を小銭があることを願った財布から取り出し、一枚の薄っぺらい領収書と交換した。車内は寒く温かくもなく、フラットである。行き過ぎた夏を先取りの女性の露出具合にそれは冷え性にもなるよと鈴木は呟いて車を車道の流れに乗せた。