コンテナガレージ

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摩擦係数と荷重5-3

f:id:container39:20200509131858j:plain 行きに見かけた国道沿いのレストランに車は止められた。熊田からどこで何が食べたいとの要望を聞く機会は設けられないで独断で昼食場所はファミレスと決まる。刑事という職業に就いているからなのか、鈴木と種田は嫌な顔をひとつも見せずにいた。日々時間に追われている職種のために、食事に煩くはないのだ。食べられるだけでもありがたい状況を何度も体験して思考を書き換えたのだろう。
 赤いビニールのシートに腰を落ち着ける。制服の店員がかしこまった物言いで水を出しがてらメニューを渡す。3人とも選択の時間が短く、店員が去る前に注文を終えた。
窓の外は徐々に日が傾き、駐車場から店までつかの間の外気温でさえ冷たいと風を感じた。急激な温度変化。雨の多かった先週のほうが暖かったようにも感じる。
雨が降っていたから寒い、今日は晴れているから暖かい、どちらも思い込みである。
 人が面と向かい、近い距離にいるからといって会話を強制される覚えはない。加えて、仕事仲間だからといって無駄口を喋り合う必要性はもっとない。意思の疎通などは心が通っていなくでもできる。それに心は絶対通わない。種田がそのいい例である。誰と話していても心はここにあらずで、どこか遠くを見ている。楽しいの?と聞かれることもあった。しかし、いつも楽しければいいのだろうか。アドレナリン全開で、年がら年中快楽の虜になるのは中毒者でしかない。
 寄せ付けないオーラが漂っているのではなくて、これが種田が思い描いた結果である。人との時間が長すぎると置いてきた自分を探すためにそれと同じ時間が必要になる。人に合わせているからではない。勝手に他人の思考が入り込むのだ。もうどれが自分かもわからないくらい。
 だから、種田が機械のように冷静なのはこれだけは他人からの評価が一致するつまり種田であると認識されるからなのだ。あとの人格は現れるとやっかいで、種田だとは思われない。
種田はカレー、熊田は生姜焼き定食、鈴木はハンバーグ。
 種田のカレーが一番に次いで熊田、鈴木の分と運ばれた。食事中は皆、沈黙を貫き通していた。無理をしているわけではない。食べ終わってから言いたいことを言ったほうが時間的な効率を考えればベストな判断である。食べて話して食べて話してであると、何を食べているのかすら、味の善し悪しは最初の一口しか感じていないのではと思う。あれこれと食に対する講釈を垂れる人は料理が好きなのではなくて、ただ知識をひけらかしたいだけ。もちろん3人はそれに該当しない。料理経験のなさも多分に含まれているが、何よりも食べたものが言葉で表せるぐらいの単純さとは考えていないからである。刑事として人の生き死に、個人的事情、癖や欲望など根本的な人の生態が顕になったのが事件なのだ。だからこそ、たとえ、犯罪者の人となり、性格、生い立ちをトレースしたとしても本人が犯行に至るまでの正確な感情をたどれはしない。いくら、言葉に置き換えて情報を詰め込んでも奥底に潜む闇や光を伴った天望は明確に外部には写してはもらえないで、淡くたおやかにだけぼんやりを、情景のほんの一部をみせてくれる。
 食後のコーヒーを堪能する3人。会話はタバコを吸って良いか、の種田に対する喫煙者2人からの要求で始まる。