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摩擦係数と荷重7-7

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 案内をした女性がコーヒーを運んできた。香り立つ白いカップからの豆の匂い。缶コーヒーばかりのここ数日からやっとありつけた本来のコーヒー。
「タバコを吸うなら吸っても構いませんよ?」熊田はどうして自分が喫煙者であるとわかったのか、不思議であった。しかし願ってもない申し出を断る理由もない。
「屋根田さんは吸わないのですか?」タバコを取り出して吸おうとすると、相手ももちろん、タバコを取り出すだろう思っていた熊田である。
「私は止めた口でね。だからこうして灰皿も残っているし、煙草の煙も気にならない。ここで働いている人で喫煙者はいませんが、タバコを吸うたびに狭いブースに押し込まれて吸う姿はもうただの見世物です。だったら、たまに来るお客には気持ちよく吸ってもらおうと思ってね」優しさではなく、たんに経験者からの後輩たちへのささやかな贈り物。見栄の張った、私も昔は吸っていましたとのサインで、気づいてほしいのだろう。
「では、遠慮なく」種田の強烈な否定の眼差しを半身で受け止めつつ、誘惑に勝てなくて熊田は煙を吸った。署内で一本吸ったっきりの喫煙である。「事件を知ったのいつ頃のことですか?」
「ええっと、先週ぐらいでしょうかね、はっきりとした日時は記憶に無いです。これって何かまずいですか?」首だけが前にせり出して、明らかに動揺している。
「今のところは……大丈夫です」たっぷりと間をおいて熊田がつぶやくようにトーンを落としていった。
「これから、まずくなるって言い方ですね?」
「可能性の問題です」
「なんにもしていませんよ、先に言っときますけど」腕を組んで防御の姿勢。屋根田は、感情が手足の現れやすい、種田は芸術家を観察してそう思う。
 「わかっていますよ、安心していただいてください。誤認逮捕はしませんから」屋根田は愛想笑いで表面上を笑う。笑えているだけでも精一杯の仕草なのだ。彼のコーヒーは緊張をはらんでから勢い良くなくなる。
「そうですよ、私は何もしていません」タイミングよく、案内の女性がすっと姿を見せる。風のように足をがなかった。
「お話中に申し訳ありません」刑事たちに断りを入れてから、屋根田に申し上げる。「ファッション雑誌Kから来月号も新作の絵を載せてくれないかとの要望がきておりまして、早急に返事を頂きたいのとことです」
「無理だ。納期から逆算しても20日……。どうせ予定していた誰かが仕事を降りたか、折り合いがつかなくなったんだろう。催促のされた仕事はもうそこで、まとまってしまう。断ってくれ」