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水中では動きが鈍る 1-7

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「……なんでもありません。もう大丈夫ですから」言葉の後半はきりりとしたいつもの種田の口調である。気を使わせないためだろうか、喫煙室を出た熊田に続いて種田も部署へと戻った。
「あんまり、根を詰めるとあとが大変だからな」そう言うと、相田はどかっと向かいのデスクに腰を落ち着けた。取り出したハンカチで顔から首筋の汗を拭きとっている。
「重田さちについては新しい情報は掴めましたか?」種田と相田の会話はいつも決まって種田からの質問で始まる。昨日何をした、どこへ行った、あれが好き、これが嫌、などの自己表現のたぐいは聞いた試しがない。相田にとっても、女性のお喋りは嫌いだ。ストレスの発散に使われているとしか思えないからだ。種田のスマートな物言いはむしろ好都合である。何も話すことがない空間が存在しても種田となら黙っていても息苦しくはないと、相田は想像した。
「ないよ。鈴木が調べた情報とほとんど同じだった」
「ほとんど?では少しは違いが見られてたんですね?」
「まあそうだけど。たしかアルバイトの大学生の証言で、車が欲しいと彼女は漏らしたことあったようだ。通勤には大して困らない距離だろうに、駅から塾までの距離は。もしかすると私生活で車の所有が急務だったのかもしれない」
「彼女の生活行動範囲にある車のディーラーをあたってください」
「新車を買う予定だって言いたいのか?それはおかしい。女だぞ、30を超えた女が少ない貯金から新車なんて買う気になるか?」
「女でも車好きはいるよ」熊田が割って入る。
「しかし、普通は軽の中古車とかで十分でしょう?」手のひらを熊田に差し出して訴える相田。
「子供を生んだあとの準備」瞬きと連動して種田が答える。
産婦人科の通院歴はなかったはずだ」
「これから通う予定だったのでしょう。その前に子供の父親との決別を図った。もしくは、提供された精子による妊娠」
「おいおい、待てよ。それじゃあ何か、彼女は誰ともしれない父親の精子から妊娠したのか?彼女の自宅からは、妊娠に関する書類は見つかっていないんだぞ」手をついて今度はデスクに体重をかけて乗り出す。
「捨てたのでしょう。誰ともしれないのなら知られてしまう前に処分したのです。そうやって、知られてしまう可能性を抹消した」
「話が飛びすぎてやしないか。相手がいたとしたどうだ?そちらの可能性の方がよりありきたりだと思う」熊田が逸れた道を修正する。
「名乗りでないのは、淡白な付き合いあるいは決別を思わせる別れ方でもしたのでしょう。誰もが綺麗に別れられるわけはないですから」
「重田さちの身辺調査から殺人に結びつくのかそもそも?」相田は太い腕を組んで考えこんでしまう。浮き上げた腰を下ろし、誰に言うでもなく呟く。
「それは私も同感だ。殺人が突発的で衝動的だったのなら相手を詮索してからの殺人にはどうしても思えない」
「……只今戻りました」鈴木が怠そうに肩を落とし、姿を見せた。
「なんだよお前、だらしないな。もっとしゃきっとしろよ」相田が自分より弱っているものを見つけ自分はお前よりもまともだと言いたげに言い放った。
「すみません。ちょっと道路が渋滞していたもんで、途中眠気が襲ってきて、ふぁーああーあ。あっすいません」
「まったく、それで、何かつかめたのか?」
「屋根田の事務所で聞いてきたんですが、屋根田と早手美咲は個人的な付き合いがあったらしいですね。レストランで二人でいるところを目撃したようです。その時声をかけたらひどく驚いていたようです。仕事の打ち合わせという感じではなかったと事務所の女性は言っていました」
「……熊田さん、そろそろ事件の真相を教えて下さい」
「えっ?犯人わかったんですか?」
「聞いていない」相田が肩をすくめて言う。
「まて、まて、誰も分かったなんていってない」
「わかりかけたんだが、推論に破綻が生じた」
「先程は、現場の制服警官の一人が犯人のような言い回しでした」種田は熊田を見据える。
「それを言ったのはお前だろう」
「そうでしたか。ああそうです。銀行強盗と事件との繋がりについての解説が途中でした」
「銀行強盗とは直接関係はない。銀行強盗の心理が事件と似ているのさ。被害者について調べれば調べるほどに無関係さを事件と関連付け、あたかも重要な証拠であるかのように捉えてしまう。しかし、どれもまったくの無関係だとしたらどうなるだろうか。関係性を見出したいものが偶然に繋がったとしたらそれを証拠の核として捜査を進めたりするだろう。が、種田の発言で犯人像は振り出しに戻った。そこで、種田の意見を取り入れて考えると」フーっと深呼吸。視線に応えるように熊田は詳細を語り始めた。「……第三の現場から数キロ離れた地点の交通事故処理は事実でありで、事故関係者からも警官の一人が慌てた様子でパトカーに乗り込み去っていくのを見ていた。事故処理の完了がそれから約1時間後。現場まで徒歩で歩いたとしても40分はかかる。それならば、交番に戻りもう一台のパトカーか自家用車に乗ったほうが早い。なぜそうしなかったのかが疑問であるのと、より早く現場に駆けつけるのが交番に勤務している者の責務とを加味すると、やはり乗り物を乗らずに現れた行動は不自然となる」
「警官を調べないの理由は?」間髪容れずに種田の質問。
「まず決定的な証拠がない。現状は状況証拠に過ぎないので事情は聞けても罪には問えない。同様の聴取は二度もできない。規定に反する」
「じゃあ黙ってまた殺人を待つつもりですか?」眠そうだった鈴木は声を荒らげる。めったにないことに3人はそれぞれ鈴木を見やった。
熊田は己のペースを保ち、応える。「見張りはつけてある。怪しい警官二人にな」
「二人ですか?もう一人って?」鈴木は熱くなった頭を記憶の想起で冷ます。
「お前が最初に現場で会っているだろう」
「あっ、あの警官。彼も犯行に関与していると?」
「そいつは模倣犯だ」
模倣犯……ますますわからない」相田はすでに考えるのを諦めていた。
「模倣って、ええっと、その現場に遅れてやってきた警官が本物の犯人で僕を迎えた警官が偽物かな?僕を迎えた警官に不審な動きはなかったように思います。現場に来る前に何かしてたとかですかね?」
「熊田さん、そこまで話してよろしいのですか?秘密だと……」熊田は種田の問いかけを受けて壁にかかる時計をちらりとみた。
「もうそろそろだ」
「そろそろなんです?」
「犯人が捕まる時間」
「ちょっと、それって……」
「なぜ次の犯行時刻を知ってるのですか?」鈴木は皆の意見を代弁する。「一件目から犯行の間隔の推移と犯人だと目論んだ警官の出勤表を照らし合わせると、今日の夕方に久しぶりの休日になる。犯行に臨むなら、ニュースをじっくりと見られる休日が適しているだろう」