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水中では動きが鈍る 3-2

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 まず警官の逃走については、特に尾行を巻くための逃走ではなったそうだ。正義の象徴である警官としての自覚が裏目に出たといってもいいだろう。急ハンドルで進路を変えたのは覆面パトカーに目撃されたため。つまり、追いかけてくる熊田の車両を覆面パトカーだと思い込み、とっさに信号無視の発覚を恐れてアクセルを踏んだそうだ。しかし、熊田からは自分たちに気がつく前にとてつもないスピードで走行していたように映っていたのだが、それも理由があって単に、ネットの生放送の録画設定をし忘れたための急発進だったのだ。今時携帯やスマートフォンが屋外で簡易に持ち運べるデバイスとして売りだされているというのに、記録としてあとで見返すためには録画が必要だったとの言い分である。熊田と同年代の署員たちの会話から漏れ聞こえてきた内情は、理解ができない、あるいはそんなことしか楽しみはないかと言った意見が交わされていた。熊田はじっと喫煙室の窓からその署員たちに背を向けていた。人の行動はどれをとっても一様にはならない。まして、信じられている普遍的な事象もコミュニティや組織、都市、国を出れば非常識となりうるのだ。現在は最小のグループが個別に生まれているのを知ろうはしないために凝り固まった柔軟性にかけた理屈でしか物事を把握しない類の連中はそれを蔑視する。熊田自身にもそれは言えることである。後輩や部下が近くで何の気なしにその年代の普通を持ちだして会話をすると私との違いが感じられ、接見も可能だ。そこでやっと、ああ違うんだと遅れた認識で上書きのアップデートの完了となり、次回の会話から相手の寄り添った私が誕生する。若者に気持ちを寄せていると自分の中の誰かが言っているが、取り合わない。そいつは、変化を恐れた私で役割は車の運転の簡略化に携わる己。あれこれと一々動作のたびに思考にのぼらないように反射的に簡略して動作に映す役目であり、繰り返すのが好きなのです。理由は楽だから。そう、習得のダンスを踊るのは簡単なのだ。一から十をこなすのはしんどい、だから人を真似て楽をする。それと捕まった警官のうわさ話をしている署員も同じなのだと、熊田が思う。
 二本目のタバコを吸う頃になるとまた別の署員が入ってくる。話題はやはり捕獲された警官について。三件目の現場に遅れて来た理由を尋ねられると、警官は交通事故の処理中に通報があったので相方を先に現場に行かせために遅れたのだと主張。これは熊田も知り得た情報である。知りたいのは彼の移動手段だ。交通事故の現場から死体発見現場までの距離は直線にして約4キロ。現場に行き着くは国道沿いを歩いてくるしかない。しかも警官はトンネルの手前、パトカーや佐田あさ美の車が止められていた側から現れたのである。もしも歩いてきたのなら、トンネルの奥側から現れるのが当然の結果なのに、わざわざ遠回りの佐田あさ美が通ってきたルートで現場に入ったのだ。別班の捜査によれば事件発覚の前後一時間に国道沿いを歩く警官の目撃者を探したようだが、誰一人として警官を見たものはいなかった。
 警官の自宅捜索で殺害に使用されたと思われる鈍器とナイフが回収されたと、喫煙室に駆け込んできた者が言う。
 本当にあの警官が犯人だろうか?