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ソール、インソール プロローグ3

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 取り込まれた情報で私は一度パニックに陥った。まあ、なんとか時間を掛けてやり過ごしてはみたが直面した時はもうなんというか、躰が破裂しそうなぐらいに圧迫感を覚えたよ。でも、もうそれも検診を終えてからはなんともない。快適で快調そのもの。うんと視界が開けた感じ。最近では、親も私との散歩を楽しむようになり、私にやっと外の世界をまじまじと見定める機会がもたらされた。それでも親たちの時間で言う一日のほんの数十分、こんな決められた枠内で生活を余儀なくされるなんてどうかしている。太陽と月の動きにわざわざ連動する必要性はまるでないのに。常識はいつも覆される、提示されたその時だけは絶対だと信じこみ、後日誤報だと胸をえぐられる。正しさとは受け取る側の理解でしかない、むしろ変遷とする考えを常に持ち合わせているとジプシーだと後ろ指を指されてもそちらのほうが理にかなっているのかもしれない。だって、どこにも正解なんて見当たらないし、まして言い切りや断定を決め込む人に限って次に会うと真逆の思想であたかも以前から明示、主張する個を性懲りもなくぶら下げるのだ。
 だんだんと息を吸う感覚がつかめてきた。しかしまだ言葉は話せないようで、調子が悪い。テレビでは私の同類が声を出している姿を何度か散見していたので、おそらくではあるが私にもその能力が備わっているのだろうと考えをめぐらせているこの頃である。標準の機能として親と同種のものが私にも使用可能であった。ただ、この力をこちらから親に素直に見せるとおそらくまた必要以上に構われるのでしばらくは黙っていることにする。もちろん、時が来れば能力を解放せざるを得ないがまだその時期ではない。何を持って結論づけたのかを明確にそして論理的な説明を求めるのは不可能だ。でも、誰もがそんな曖昧な感覚に頼ることは大いにあると思うのでその点は安心。次第に広がる肥大した感覚機能の影響はもう止められない。敏感に頻繁に、それでいて鋭角に私の好奇心を刺激する。

 踏み出しても良いのだろうか?
 つきまとう不安はどこから来るのだろう?
 まだ何も成し得ていないのに誰の体験を踏襲しているの?
 捨ててしまえばいいさ、そんな得体のしれない手垢のついた情報なんて。
 行く先は真っ白で決まり、決めるのは私である。

 ところが、二回目の検診から躰に異変が生じた。色々と調べてみるが思い当たる節は検診のみであった。他人に預けられてもいないし、ずっと親と共に生活をしていた。親は私の異変には気がついていない。私から異変を知らせる手段は皆無だ。発声の機能は取り戻していたが、まだ問い掛けに答えるだけで精一杯の状態、言葉が伝えられたらと思う。
 しかし、制限の持続で感覚が麻痺したのか、声は出せなくなってしまった。困ったことに異変は私の眠りを妨げるのだ。一見寝ているように映る私でも内部ではぐるぐると考えを私のあずかり知らぬ所で延々と計算の答えを求め続けていて、かと思えば親がすっと私に触れると鳴りを潜めて見つからないよう深部に姿を隠して身を潜めるのだからまったく厄介である。悪事を働いていると直感した。それでも証拠は何もなく、訴えても私は気が触れただけ、特に異常は見られない、ストレスあるいは疲労が溜まっているのだろとう診断されるのがオチだろう。否定はできない。が、肯定もできないのが現在の見解である。不穏な事は得てして初体験が大半。見た、出会った試しがないから判断のしようがない。しばらく様子を見ることにでもしようか。親だって心配そうに、こちらを覗いている。私が生きるためにはこの人に気に入られる必要がある。
 一人で満足に食事もできないのだから。