M社からも尋ねられた質問なのだろう、受け答えに迷いがない。時間を掛けて構築した考えだと、鈴木は感じる。「こちらも同意見です」
「ならば、わざわざ足を運んだのは何故ですかね。私以外にもリコールの車が見つかったとか?」
「今のところ、そのような報告は受けていません。あなたを訪ねたのは身を案じてのことです」サイトへの書き込みは伏せておく。やり取りで有利に立つには手札の数よりもいつ使うかにある。
「映画みたいに走行中に爆発とか、エンジンを掛けると木っ端微塵に吹き飛ぶとかですか?」おどけるように不来が言う。
「あれはあくまでも映画ですから。日常ではもっと単純に人が死んでいます。爆弾を作る労力より刺し殺したり突き落としたりするほうが割りと一般的ですからね」
「刑事さんが赤裸々に語りますね」不来の口の端が片方だけ引き上がる。
「新聞を遡れば入手可能な情報です、隠蔽はされていません。テレビが食いつかないだけです」
「へえ、刑事さん、なんていうか達観してますねえ」今度は顔全体に皺が寄る。女性が好みそうな顔立ちであると、男の鈴木にも感じ取れる。無機質な室内は一人暮らしの男性としては綺麗すぎるし人の気配がまったくない。所有には興味がないのだろう。そういう男もいる。だいたい男がフィギアを飾っていて当たり前なんて幻想はそもそも生活に余裕を持つ選ばれた人間のみだ。日々の生活で手一杯の人に人形を飾る選択肢はない。
「麻痺したんだと思います。こうしないと正常を保てないのかもしれません。私のことはどうでもいいですから」
「冷めてしまいますよ」
「ああ、ではいただきます」鈴木は液体と外気の温度差で立ち上る湯気を一吹きしてコーヒーを喉に流し込んだ。「……おいしいですね、これ。うんと、でもどこかで飲んだような気がするなあ、気のせいか」
「味が分かるんですね。これまで飲んだ人は他との違いを並べるほどコーヒーを飲んだことがないくせに一番美味しいと簡単に感想を言いますから。それ、喫茶店から買った豆で淹れました」
「その店、綺麗な店員が働いています?」
「ああ、ええ。刑事さんでもきれいなんて言うんだな。もっとこう客観的に物事を捉えるのかと思っていました」
「これは、その、個人的な意見でして、捜査ではないですから。私も仕事を離れればただの人ですから」鈴木は照れ隠しにもう一口。
「思い出した。あの店で車の不具合を発見したんだった。話しに出たその店員が指摘してくれたんです、車がおかしいって」
「おかしいと彼女が言ったんですか?」
「正確な表現は忘れましたけど、今直ぐに車を見てもらうべきだと強く主張するもんですから、その足でディーラーに点検をお願いしましたね」彼の話し方の傾向は客観的に事実を捉えるということ。鈴木が綺麗と形容した店員も思い出し遡ってるようにみえた。
「彼女、車に触りました?」
「いいえ、エンジン音を聞いていただけですよ。それだけで故障を見極められるのかって疑いましたけどね」
「しかし、検査してみると異常は見つかった。原因は何だったんです?」鈴木は知らないふりで話を訊いた。
「よくはわかりません、部品の劣化だろうと聞いています」
「故障部分はすべて同じ箇所でしょうか」
「ううんと、おそらくはそうだと思います。なにぶん、エンジンルームや下から覗く足回りを見せられても私には何がなんだか。あの車だって思い入れがあるわけではなくて、まあ新車で購入したのだから数年は快適に走ってくれる願望を持っていたのでしょうね、本当なら別の車にのりかえていますよ」
「でしたら、車種を変えたらいかがです?M社から乗り換えを提案されたはずです」
「提案?まったくありません。むしろ、早急に原因究明に当たるから代車で我慢して欲しいと言われましたよ」
「……」顧客の流失を恐れたか。他社に赴けば乗り換えの理由を聞かれるかもしれない、情報を漏らさないための引き止めか。しかし、不来の口ぶりでは積極的な引き止めや優遇措置は行われなかったように思う。
「刑事さん?」不来が上目遣いで声をかける。
「ああ、すみません」
「私、そろそろ仮眠を取りたいのですが、お話はもう宜しいでしょうか?」両腿に手を当てて立ち上がる仕草で不来が退去を促す。
「はい。お忙しいところお時間を割いていただいてありがとうございました」
玄関扉の隙間が広がった途端に視界を埋め尽くす雪が目に入った。玄関まで見送りに出た不来にコーヒーのお礼を述べて、鈴木は滑らないよう車に急いで戻った。