コンテナガレージ

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仕事(フリーライター)、日常、小説、その他諸々

ワタシハココニイル8-1

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 午後九時半、署内で働く人間のほとんどが家路を急ぐ頃、熊田たちは鑑識の結果を待っていた。被害者、触井園京子に近しい人物は誰一人浮かび上がってこなかった。唯一、メールで仕事のやり取りを行った出版社の人間が見つかったものの、被害者との面識は初回の打ち合わせのみと発覚。淡い期待はもろくも崩れ去っていた。

 触井園は旅をテーマにした記事を書くフリーのライターであることがわかった。署に戻ってきてから刑事たちが掴んだ情報である。それ以外はまったくこれっぽっちも被害者の背中は見えないでいたのだ。ただし、職業から察する殺風景な家の正体はおおよそ納得のいく結論に刑事たちそれぞれ、あるいは一連の事象を体感した誰もが至ったことだろう。無論、これらの非日常に普段から身を置く彼ら刑事にとっては考えるまでもない。しかし、これらの当たり前を刑事たちは話題に出さずにただ思い思いに過ごしていた。

「はい、そちらに出向けばよろしいのですか?電話で伝えたほうが早いと思いますが。そうですか、わかりました。失礼します」

 種田がデスクの受話器を戻す前に相田がイライラしながら顎をしゃくって聞いた。「なんだって?」

「神さんがまた、下に来るようにと」

「あの爺さん、なんでこうも自分を貫き通すんだ。今の電話で代わって話せば事足りるだろう」デスクに腰を乗せた相田が怒るものだからグラグラと接地したデスクにも揺れが伝わる。

「ちょっと、怒るのはいいですけど机を揺らさないでくださいよ」鈴木は隣で、たまっていた領収書の清算をすませてしまおうと必死である。

「大体お前が毎回きちんと領収書を精算していれば俺が怒る前のとっくのとうにそんなもんは片付いているんだよ」

「じゃあ、相田さんはどうなんです?やったんですか?」

「ほうれ見ろ」最上段の引き出しからクリップで留められた領収書の束を鈴木の眼前で泳がせる。

 手の甲で、鈴木は束を払う。「躰は大きいのに性格は几帳面なんですね」

「今なんて言った?」地雷を踏んで鈴木の体に響く音を相田が発声。

「いいえ、なんでもないです。それよりも鑑識に行きましょうよ、熊田さん」危険を察して斜向かいの熊田を鑑識室へと誘う。

「鈴木と相田は休んでいろ。種田と二人で十分だから、行くぞ」

「えっ、ちょっとそんな、相田さんと二人なんて……」

「さあて、これからお楽しみだぞお」

「ああああ」ドアを隔てると鈴木の断末魔は面白いようにシャットアウトされた。

 廊下を歩いて種田が言う。「お二人を置いていくのですね」

「神さんはあまり人が多いと注意が散漫になって話がとっちらかる。見慣れた顔の方があれこれと詮索する労力にエネルギーを消費することもない。上司である俺が行かなければならないし、それに鑑識の見解はお前を連れて行けば一言一句記憶しているだろうから、あいつらを置いてきた」人が歩かないだけで建物が無機物に戻る。一階の廊下を二人は歩く。

「しかし、仕事です。緊急性といった概念は持ち合わせていないのでしょうか」神が手間をかけて呼び出す理由が種田には思いつかない。

「急いだ所で取り立てて事件の解決のためになるとは考えていない。そう判断したのだろうさ」