コンテナガレージ

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エピローグ1-1

 灰都を学校に送り出して、掃除に洗濯、洗い物。これでゆっくりと二度寝が楽しめる。忘れていた、今日は燃えないゴミの日だ。忘れないうちに出しておこう。早朝とはいえ、もう八時を過ぎている。パジャマから楽な服装に着替えて一階までゴミを捨てに行った。

 テレビをつけないと室内は静か。昔はテレビをつけていなと楽しくなかったが、今は反対にテレビをつけないほうが有意義に生活を送れそうな気がする。

 どうしてあの人を殺したのかってことを未だに消化しきれていない。むしろ、感情に占める割合が増えたとさえ思っている。意図も簡単に車が壊れてくれるとは、思い出すだけで笑みが溢れる。あの人を嫌いだって思ったことは一度もない。好きのほうが大きかったと思うの。縋りたかったときにたまたまあの人がいて、付き合って、結婚して、子供ができた。

 灰都は好き。だって私が生んだんだから。あの人もまあまあ好きよ。じゃあ、なんで殺したのかって?

 うーんと、いなくなったらどうなるんだろうって考えがよぎったのよ。私ってこのまま灰都を育てて歳をとっていくんだろうかって、不安になったの。誰もが描く理想で結婚や出産を経験していない人からは贅沢だと言われるかもしれない、でもなんだか虚しくなって。通り魔に襲われなかったらもしかするとこんな考えは持たなかったと思う。

 怖かったし、死ぬかとも思った、精神も病んだし、世間を憎んだりもした。だけど、生きてる実感が持てていたとも言える。あの場所で試行錯誤で、目の前が真っ暗で道を外れてもやっぱり活き活きと細胞は活性化していた。

 スリルとは違う、もっと根源的な生命反応よ。よく言うじゃない、窮地に追い込まれると隠されていた潜在能力が開花すると。送られてきたデータに反応した私がいたのなら、それを認識できたかどうかはっきりとはしない。むしろ、そのほうが自然ってこともある。用意された答えしか許されない世界ならば今すぐにでも私は生き方を変えてしまいそう。

 いつからだろう、携帯電話がこんなちっぽけな画面に入れ替わったのは。自分でもよく把握していないのが不思議。会社のロッカーで着信の有無を確認した時、ディスプレイが暗くて電源が切れているようで動かなかった。故障だと思って帰り道、家電量販店に足を向けた。携帯はほぼ使用していないため、通話さえまともに機能するならばどれでも同じだと自負していた。最も安価な端末を選んだ。そして契約を済ませて家に帰った。

 そうだ、機種変更を境目に、宛先に覚えのないアドレスからメールが届くようなったんだ。最初は気に留めていなくて、もちろんすぐに消去していた。登録されたアドレスも数年前の過去の遺物。最後にメールを送り返したのは、夫だったと記憶する。

 友達?そんなもの、いてどうなるだろう。

 寂しい?折角の休みを気の置けない人達と過ごすなんてありえない。息子と共に過ごす時間が優先される。

 たまには息抜きも必要?息が詰まっているのなら、なぜその生活を改善しようとしないのかしら。居心地が悪いと言いつつ、現状を変えないのは、過去のあなたをなぞるほうが楽で心地が良いから。つまりは、面倒なのだろう。私はごめんだ。休みぐらいは私でいたい。

 メールの差出人は私の過去を知っているようで、通り魔事件のあらましを定期的に、前回の送信が忘れ去られた頃に送ってきた。それから私は、襲われたのを偶然だったのだろうかと考えるようになる。偶然の定義がそもそも明確ではないんだから、必然もなにもないのだ。だけど、大勢が襲われたのは単に私を殺しいたがための演出なのかも。