「私にも内緒ですか、先ほどの上川さんとの会話の内容については」前の車両の左折に合わせた減速、再びの加速に乗じて、国見がきいた。
「うん。あっちが内密を求めたからね。約束はしていないけど、聞いてしまった以上、話は口外しない」
「誠実です」
「そうかな。普通だと思うけど」
「噂話に興味が無いみたいですね、店長は」
「会話に登場する場面にその人物がたとえその場に、会食に同席していても、からかいの道具としては使いたくはない。暴露される、あるいは想像で話される人たちの真情を受け止めるべきだとは思うから、しゃべらないように心がけるだけさ」店長はサイドウィンドを半分、下ろした。塊の風が顔のほてった熱を取り去る。
「やさしさですね」
「いいや、平等でありたいのさ。それに会話の主導権を握る人物は得てして、似たような話、あるいは変哲のない話をありえない場の盛り上げのため事実の改変させる。罪悪感を微塵も見せずに披露するしね。見て欲しいんだろうね、だけど僕には侵食する自我が暴れてるようにしか思えない」
「聞いていいですか?」
「さっきから質問には答えてるつもりだけど」
「私と話して、退屈だったりしますか?」
「退屈でも目的地までは一緒。抗えないことに取り合う必要があるだろうか?」
「はぐらかさないで、応えてください」
「どうも、苦手な雰囲気だ」
「店長」
「タバコを吸うよ」
「禁煙車です、ほら、灰皿は取り払われてます。吸ったら煙で追加料金を徴収されます」
「へえ、詳しいんだ。車を借りるんだね」
「借りますけど、そうではなくてですね、ああん、また信号」国見は接触を試みた、店長の体が揺れる。店長は瞼を閉じていたからだ。「聞いてます、起きてください」
「……誰がどう見てもそこに人がいたら話をするという幻想をまずは取り払うべきだ。話していない、あるいは話しかけてくれなかったとしても、相手が求めることをその人が拒否しているとは限らないのさ。必要性がゼロであるならば、余計な労力を好んで振り絞るだろうか」
「私の問いかけは、不必要ですか、瑣末ですか、無意味ですか?」棘のある言い方だった、国見の悲鳴に傾いた音声でそれがわかる。わかるか……。上手な言葉だ、曖昧で無味乾燥で、それこそわかったような口ぶりに、誰かのかつての昔の幼き日の、あの人の、そう特定の誰かの、口癖だった。顔は覚えてはない。音だけが耳に残る。今でも呼び覚ます、数年おきに。不意をつかれた時に。
「応えている。十分に僕は答えてる」
「答えになっていません」
「綺麗だね」
「えっつ、今なんて、いいました?」
「前の車、ブレーキランプは片側だけが光る。そもそも、後方車両に伝える目的だから、明かりは一つでいいのに、ウインカーに合わせたのかもしれないな、うん」
「どうしていつも、そうやってはぐらかすのですか?」
「ブレーキの踏みすぎだったら前の車に言ってくれないと、僕はあくまでも中立の立場」
「家まで黙ってます、正直に、しゃべりたくなっていってほしいですよ」
音声が止んだ。あまつさえ自分が一番で勝手がよくて、それは不確かな肉体が精神とのコンタクトを結んで意識を失っても、繋ぎとめたところへ帰還を果たす。だから、意見が一律で一方的で平均的な標準と機能性と世間と規律と女性らしさと家族とを求める。僕はいつも居場所を失う。それだから、いつも人が私と思えてしまう。己の肉体を知り尽くしたら時間はとっくに一日の終わりを迎えて、弓張り月が空から見下ろすんだ。月が綺麗って思えるのは、私だけだろうな。やっと、だって、反射した光で見られてたんだから、真昼では太陽に適わないもの。
車がひた走る路面を眺めて、店長は車の構造を脳内で追った。