コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

今日は何の日?2-6

 夕方に日本を発って現地に到着、電車に乗って、首都をほぼ南北の流れる川のほとりに佇む。ずっと川を眺めた。そこに僕がいるように思えた。船が開かれた門を遡上する。上流にも門があった。あそこで水位の調節しているのか、海上交通はかつての主流だった、現在では観光資源に活用している、船上で手を振るお客たち。

 川の近くまで降りられる階段を発見、小走りで下りる。人が多い。だけど、気にはならない。ひとりで川を見ていても誰も、何も、身を案じる親切心は見せなかった、ありがたい。自分のため、いたたまれない気持ちを押し込めることを嫌った、親切を常として生きる人にはどれぐらい理解、体感しているのだろうか。僕は一人で十分なのに。

 川が流れる。息を吸うように、吐くように。一面のきらめき。今度は小型の船だ。漁船に見えたが、船員はサングラスをかけ、帽子を被っている、釣りに出かける格好。

 かつて父親に連れて行ってもらった。

 僕は記憶を川に流す。取りとめのない出来事はいつもこうして川に流した。池ではいけない、打ち返す海でもダメ。流れていなくては。母親が今どこで何をしているのを考える。しかし、思いつかないし、それは僕ではないのだから、やっぱり想いを馳せても、他の家と比べても取り替えることは叶わないのだから、取り合っていては解決に至らないのは目に見えている。それでも、だけど、っていう後悔は張り付いたままだ。拭えないのかもしれない、だったらいっそのこと取り込んでしまえばいい。川のようにね。川はどこでも川。上流でも下流でも、海に注ぐ河口でも、門で仕切る行き止まりでもだ。

 僕の縛りを与えている、理想の両親像を、訴えないことで気づいて欲しいと。

 久しぶりに笑った。

 同じではないか。僕は彼らから生まれた、そして彼らによって生かされた。ここへ来たのだって、飛行機に乗れたのだって、人ごみを嫌うのも、川を好むのも、ホテルの宿泊を断られたのも、同級生を蔑んだのも、すべて全部が繋がっているのだ。わかっていたさ、いいや、それはうわべの理解。衝撃的な体感、体を伝う電気信号の過剰な警笛は未体験だったはず。そういう学んだふりも、僕なのだろうな。

 川が姿を変える。白波が立って巨大な観光船、手を際限なく自信を満たすために振る人々に僕は手を返した、手を振った、笑顔を与えた。こちらを見透かそうと、まったくの無知であろうとも、うん、あの人たちは私に関わっている、そう思えたら十分だ。不足も満足も見事に消え去る。

 機内食は栄養補助食品の穀物でできたバーを一本とオレンジジュースだけ。正式なメニューは断った。食べないと死んでしまうという客室乗務員の申し出を断ったのだ。彼女にとっては食べてもらうことが仕事だったはずだ、申し訳ない、後悔するが、過去には戻れないのだから、すっぱり、あっさり、きっぱり忘れて、ダイヤルを切り替える。

 川を離れて僕は北東に進路を取る。ガイドブックの地図のページだけを切り取って、残りはリュックに。僕には重過ぎた。ぶら下げた財布が胸のまえでスウィング。

 もう一つの川。こちらの方がはるかに川幅が広く、深い底が予測される。川沿いに隣接する植物園に入って、対岸を望むベンチに僕は腰を下ろして、そこで数時間眺めと対話した。対岸は空港と電車の駅があった場所だ。