コンテナガレージ

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パート3-5

 死角ついてはほぼ見解がまとまり、書き留めるのみ。監視しているのだ、あちらもただ観察しているだけとは思えない、僕が読み漁る本や取得する情報から彼らなりの死角について議論に議論を重ねている。訊かれたら答えよう、僕はそう決めた。

 バスでは右側の席に陣取る。左側はどうにも窓全体を視界に入れようとすると、後ろの人物と目が合ってしまう。それに、薄暗い空模様ではなおさら、反射した窓を通じて話しているみたいで気まずく、だから、右側それも、人気のない、右のリアタイヤのひとつ前の席が僕のお気に入りの場所。まあ、人気のない席の前であっても後ろであっても、僕の回りはいつもひとつ分空いている、気にすることは無駄である。

 事故車両がレッカー車に引かれて、バスを降りた僕の目の前を通過していく。駆動力を失った塊は、スクラップ置き場のさび付いた車両よりも寂しく見えた。今まで動いていたからだろうか。そうか、乾燥した空気が肺に押し込まれた。人が悲しむのは、まだぬくもりを感じるからなのかもしれない。起き上がり、何気ない、いつもの口癖を言い放つ期待を抱き、それを払拭できないでいるのだ。

 ポーチを上がり、鍵を差込む間際に、右腕に確認の視線を送る。不安は的中。ピンク色に紺色のコートが染まっていた。学校でコートを着たときから今までを脳内で振り返る、鍵は差し込まれたまま、外は雪がちらつく。うーん。特に、そういった場面は見当たらない。バスに乗った後であれば、降りるまでしかピンクに染まるチャンスはない。それに色は刷毛のようなラインではなく、液体をたらしたような染まり方である。

 バスルームで色を落とした。コートの生地にはあまり染み込まなかったようで、水洗いで簡単に表面の汚れは落ちた。嫌がらせの類と考えれば、気づかせない試みは評価に値する。だって、こちらの裏をかいたのだから、それはつまり物事の通常の方向性を見抜いていることに繋がる。だけれども、計画性は微塵も感じられなく、短絡的で稚拙。僕の行動範囲から学校の関係者であると、判明は容易い。見つかることが前提だ。

 ……これは見えないことに流用できないだろうか。僕はコートをハンガーにかけ、部屋のクローゼットに干す。暖房をつけたばかりで部屋の温度が低い、なので僕は腕を組んで、リビングを行ったりきたり。決して座らない。考えるときはいつも歩いているように思う。死角を作り出した僕は、失った事象ばかりをカウントしていたが、ここで得られた事象を捜索してみよう、と思いつく。他の感覚器官を無意識に活用し始めた。鋭敏になったというよりは、自然とそれらが発達した感触である。それに、諦めや取捨の決定が早くなった。これは、間違いなく言える。すべてに意識は払えないのだから、局所的で重要な事項、事柄、発言や言動にのみ特化した情報を取得する僕がいるのだ。つまり、これまでの生存に不必要でも生活には重要性を持つ情報を必須だと思い込んでいた。そう、今は見たい景色しか捉えていないように感じる。