コンテナガレージ

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パート1(2)-1

 暖かく感じたことのない南風に曝され結んだ髪が解けそうなぐらいに空を回遊、途切れた左の視界を補う右目をかろうじて薄く開ける。タイミングが悪い、砂埃が目を開けた途端に襲われた。コンタクトを装着していたなら、多分、今頃うずくまって涙を流している姿は想像に容易い。

 左の視界が欠けていたが、かすかに右目が見えていたら、十分まっとうな生活は送れる。ただ、会う人には説明が必要なので、初対面の場合は挨拶の後に名前と眼帯の説明をセットで行う。慣れてしまえば、不自由さを人間関係で見出さずに意思の疎通が図れる。もちろん、陰口や憶測は僕の耳に入る。最近は、誰がどんな噂を立てるのかを僕が予想を立てるのだった。僕に対し、僕の不在に、まったく一言も意見を言わない人いない、とは言い切れないか、百人に一人は一切僕の左側の視界を半ば無視する形で接する。だから僕もそのような人を目指し、毎夜人の幸せを願う。

 通学では地下鉄と電車を乗り継ぐ。数ヶ月で車窓には飽きてしまった。「大変ねえ」そんな慈悲の言葉もいくつか車内でかけられた、その度に微笑で受け答えた。これが相手が要求した本来の姿。運動は得意だったはずが視界が欠けて苦手な分野の仲間入りをしてしまう。得意とは胸を張って言えなくなった。僕は絶対か無、物事一般を天秤にかけ、指標を計る。そこで曖昧な傾きは保存しておくのだ。また、通学時間の長さを利用してに本を読むのであるが、これがまた読みづらい。通学の満員電車内で本を広げると、左隣に顔を傾け、尚且つ本の左ページを中心に位置を寄せる不自然な体勢を余儀なくされるのだった。

 そうして、日々通学する僕にとって非常に残念で抗えない事情が最近ずっと僕の心身を揺さぶる。授業が面白さや興味をそそる対象ではなり得ない。教師の口調も平坦で遅れた速度は眠気を誘う。聞こえているはずであるし、情報として取り出す術をまずは生徒に教えるべきなのに、知識は自然とどこからでも、強制的に教えなくても脳内には残っている。根本の理解はまだまだらしい。そういう僕もつい最近やっと取り出せるよう、会得したからあまり大々的には公言し難い。

 海外の教育様式を取り入れた地続きの教室。授業が終わり、今日はまっすぐに帰れる。しかし、図書館で調べたいことがあったのだ。

 クラスメイトが連れ立ってトイレに流れる、僕は生徒の波をぬって場所を移す。静まった図書館に入り、窓際のPCを立ち上げた。朝に読み終えた小説の作者が好みなのだろう、頻繁に小説に登場する言葉の意味を検索をかける。家で調べないのは、検索結果を母が必ず調べているためだ。この言葉を調べたことを母が知れば、ショックを受ける、僕には確信があるのだ。上級生が三人出入り、PCをシャットダウン。椅子に座り、生物の図鑑を長机に広げて、外部へ図鑑に夢中な僕を見せ付ける、本体は死角について考察を重ねていた。

 時間を見計らって、僕は図書室を出た。背負った鞄に違和感。多少軽く感じた。中を調べると、漢和辞典がない。仕方なく、教室に戻る。掃除当番は帰ったようで、教室は誰もいない。他の教室も、ほとんど人はいなかった。無駄な労力と思いながらも、机を覗いて鞄に辞書を入れた。その時に僕は呼ばれる。