「お客さん、ライスが食べたいみたいですね、また訊かれました、置いていないのかって」小川が肩をすくめて厨房に戻る。ホールから国見の声。追加のビールを持ってくるように、声がかかった。
洗い場の横、中が透けてみえる古めかしい冷蔵庫を開ける小川は瓶ビールを手に取り、腰から下げた栓抜きをてこの原理で力を込めることなく、スムーズに開封。手を挙げる国見の指が示す三のサインに小川が三番テーブルにビールを運んだ。
店長は全体の状況に目を配りつつも、調理の手を休めず、頭ではまた来週のランチメニューに取り組んでいた。
求めに応じるべきだろうか。
あまりにも予見された現状ではないのか。もしかするとこれも策略かもしれない。
お米以外の穀物を日本市場に投入したい他国や企業、個人の計略にまんまと日本政府が折れたのかも。いいや、交換条件に日本の食品、製品輸出の更なる勢力拡大を相手側に飲ませた、とも思える。所詮は、どちらも自国のコストと利益を天秤にかけた取引。損失は国ではなく国民が被ることになるが、国の産業保護の徹底はこれまでの政治のあり方を眺めていれば、効果的な対策は採られない。
お客は流されてお米を食べていたこと、小麦に切り替えつつある現状とこれからをどれだけ把握しているんだろうか、彼は体、手の動きの合間にホールで食事にありつくお客をなんともなしに見やった。
午後九時半。店は落ち着く時間帯に突入していた。雪もちらほら、出窓に現れては消える。
「もういいかげん、滞在時間を大幅にオーバーしています。あのお客さん、三十分前に酔いつぶれて、ほら寝息を立てます。お客さんも帰ったことですし、起こしますから」ライスの代わりに注文が殺到したピザのおかげで、館山は釜の前を離れられずに、出来上がる料理を運ぶ時にだけ見える、または聞こえるよいつぶれるお客が気になっていたらしい、忙しさもそれに付与されたのだと店長は感じた。
「手荒な真似はダメだよ」深くうなずく館山、同意とは裏腹な表情の固さだった。
「お客さん、申し訳ありませんが、もう閉店です。お客さん!」
「……ああうん、なんだこの、米を前の値段で売ってくれる約束はどこへいった……」お客は周囲を見渡す。「あ?うん?あれっ?おっ、ここは、うん?」
「あのう、そろそろお店を閉めたいんですけれど?」意識と正気を取り戻した男のお客に館山はやんわりとした口調に切り替えて、退出を促す。