コンテナガレージ

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踏襲2-7

 ここから家までは人に会わなかった。

 バッグを部屋において、洗面所で顔を洗う。化粧はしていない、大学に行くためには不必要だと思っている。身だしなみだからと口々に言っても結局は好意的に見られたいがための体の良い口実。礼儀の一つだよと、窘められたこともあったっけ、懐かしい。鏡に向かってニンマリと微笑む。そう言ってくれた人は、学食で髪の毛の入った定食を持って怒鳴り散らしていたっけ。

 麦茶を一杯飲み干して、さらにもう一杯をグラスに注ぎ、それを持って倉庫に移動した。ドアに繋がれたアランが切れそうなぐらい左右に尻尾をふりふり。私はいつも帰宅すると散歩に連れて行くので、反射で連れて行ってもらえると勘違いしているのだろう。今日が例外だったらいつもとはいえないだろうと、訂正した。

 「後でね」そう言い残して、プレハブの倉庫でギターを弾き始めた。供給を主張するアランの呼びかけが続いたが、窓から顔を出して散歩を忘れてはいないと目で合図を送るとしぼんだ蕾のようにくしゃっと地面に伏せて勢いをなくした。

 埃をかぶったソファで演奏を開始する。まるで花を摘むようにそっと優しく柔らかに包んで付かず離れずの距離を一定の力加減で弦を抑えると、狭い直方体に轟く。

 音が跳ね返り排出と吸収で内と外が一体となる。

 ああ、これが求めていたものだ。聴かせるのはではなくって、弾きたいが大前提で呼応した観客の返事が私の歌を完成に導くんだ。

 この感覚を持って歌詞のビジョンを描く、……河川敷で別れを告げられた彼女が一人あてもなく座り込んで、たまに草をむしる。下方では子どもたちが野球の練習で白球を追いかけてる、チリリンと自転車が真後ろを駆け抜けて、規則的な呼吸音を携えてランナーが心拍数の増大で死期を早めていた。知り合いまたは友達が出現。後方には後光みたいな太陽を背負ってまぶし過ぎるほどの明るさ。暗く沈んだ彼女とは対照的。相手は彼女を誘う。恋人と別れたばかりの彼女は踏ん切りが付かない。だって、まだ、整理がつかない……。でも、誰かに寄り添いたい。ずるい私。私はあなたを好きではないのに私を好きなあなたを利用しようとしている。あなたは屈託のない笑顔で薄着の私にジャケットを掛けた。答えは出せなかったけど、とりあえず隣に乗り込んでみようと思うの。ここ以外へどこまでも行けてしまうような気がしたから。夢中になれる何かが欲しかったのかもしれない、振り返らないことがあの時のなりよりだったのかも。

 悪くはないと思った。それでもまだ人の歌をなぞっているだけのことで私をすり込めて瞬時に描ける曲を作らなくてはならない。それから私は忘れないために夕食までひっきりなしに音源を再生した。アランは待ちくたびれて倉庫を出る頃には先に夕食にありついていて、ああいたんだ、という表情で顔を向けてすぐにまたドックフードに意識を移した。屋外は真っ暗で父親も帰ってきてる様子、駐車場に車が帰還していた。運転手ももちろん帰っているはずだ。階段で不意に空を見上げた。誰かに呼ばれたわけでも異様な気配を感じたわけではなくて、見せたがりな空の要求に答えた。勝ち誇る人種のことが少しだけトレースできた。手に入れたら見せびらかしたいのだと。