コンテナガレージ

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革新1-4

 サーファーは波を待って海面に揺られる。何を考えているんだろうか、考えてみた。ただ単に彼らが言う良い波に乗りたいのか、それとも長く板に乗りたいのか、あるいはもっと上手に試したい新技術があるんだろうか。しかし、それらも波が来ないと始まらない。相手を待って受け入れて利用する。

 私はインスピレーションを受ける物や人がいるのか。言葉にならない思いを消化するためにギターを弾いているのではないと思うのだが、どうだろうか。腕を組んでシャッターを下ろす。

 ギターを演奏するのは私でありたかったから。これが最大の理由。弾いていないとワタシではなり得ないから、こうして音楽についてあれこれと議論?討論?こねくり回して答えを見出そうとする。聞いても答えてくれないケースが大半、考える状態にすら日常生活では困難だった。

 改善のためにテレビもネットも最近はとんと見なくなった。だって、必要がない情報であると気がついたんだ。世の中の情勢がどちらに動くかを逐一大学生の私がインプットしたところで、それらを披露する場は本来の目的の前後に発生する待ち時間や休憩時間であるんだから、私はそのような時は決まって一人でいるために必要性がなかった。   

 おかけで頭はスッキリとクリアになったように思える、ちょうど子供の頃の早朝の爽快さを思い出した感覚かな。

 捉えた波を操る男が板の上に乗って流れていく。ワンとアランが吠えた。楽しいから乗るのか、乗るから楽しいのか。おかしくて笑えてきた。サーファーはたぶん、いや、絶対にこんなことを考えてはいないだろうさ。見せるための行動とは一線を画す、欲求の昇華。

 私は誰のための歌うの?

 自分のため、それとも人のため、聞いてくれる人のため?

 首を振る。たとえ結論に達してもまた問題は平然と擦り寄ってくる。

 ギターが最優される、されてしまうといったほうが正しいの。褐色のキラーの登場により生活のサイクルが劇的な変化を遂げたんだ。振り返って不安に駆られたんだろうけど、脳が変化に応じたルートを面倒臭がって修正を嫌がっているのだ。

 戻ろうとする力は一体、取り残してきた感情のどの部分に起因しているかを探ってみると、ギターでは将来の安定は望めない、そういうものであった。

 馬鹿馬鹿しい。既存の会社に就職が決まり働いたからといって、その先の安泰を確証しているわけでは決してない。私がワタシでいられるためにはここが一番でなりより、他からは苦労だと思われる行動や生活も私は好き好んでそれも無心で取り組めているではないか。こうしなければいけない規則は世の中には存在しない。従って生きてみれば、楽だろうけれど私は知ってしまったからもう手遅れなの。