「ドクターの専門は?」
「皮膚科です」
「申し訳ありませんが、そのまま速やかに席についてください」
「以前の専門は救急です」ドクターは眉を器用に上げる。「年齢に伴いまして引退したのですよ」
女性刑事は顔の角度をきつく、上階を眺める。二階に再び姿を見せた男性の刑事をじっと見詰めている。ドクターの声も年齢にしては大きく、会場はいつになく寝静まっている、たぶん二階の刑事にも声は届いただろう。アイラは代替の会場を押さえる許可が下りる時間を、彼らの観察に充てた。
一階のステージ、紫の照明が煌びやかに目に映ったのは始まりの一曲が演奏されたもう、幻の時に遡らなくては。二人の刑事が声を潜めて対策を話し合う。表情は固いとはいえないか、判断を仰ぐ女性と指示を発注する男性刑事両名はクールで凛と張り詰めた、しかし崩れない危うさのバランスで現状に対応している、とアイラの感想。人は他人の死にどれだけ敏感に、どれほど冷徹に切り捨てられるのか。身を固くし、震える観客たち。得体の知れない恐怖に打ち勝とうと必死だ。対象物をまずは探すべきなのに、それでは一生恐怖と戦わなくてはならないのだ。何も見ていないし、見ようと目を見開らいても、過去の記憶にすがって、見えているのは生命維持のための微細な対応。
「ドクター、下に降りてきて診断をお願いします」対応が決まったらしく、ドクターが呼ばれた。確かめるように階段を一段一段ドクターは降り、死体に寄り添う。一階、二階、三階、各階の観客が身を乗り出す。
しわがれた声、感想による、あるいは緊張によって先ほどの快活な腹圧を込めた音声はどこへ、喉声でドクターは言った。「彼女を動かしたい。だが、写真を撮らないことにはこれ以上の検死は難しい。高精細なCAMERAを調達できませんか?」観客の大半は、カメラを受付に預けていた。ホーディング東京ではカメラの撮影及びカメラ自体の持ち込みも禁じている。ただし、端末は観客のビジネスやプライベートを鑑みて、多少の融通をきかせていたが、端末に取り付けられたカメラの撮影は固く禁じていた。受付でそれらの文言は口うるさく繰り返されている、撮影を好まない私が打ち合わせの段階で会場側、つまりホールディング東京に聞いていた。そこでアイラはバッグのカメラを思い出した。
「カメラなら楽屋にあります」アイラは進言した。死体を囲う三名が振り返る。男性刑事が言った。
「会場の外ですよね」
「ステージ裏」アイラは親指で示す。「通路に楽屋までの経路は、そこの出入り口を封鎖していたので、人の出入りは遮断されている」
「メモリーカードの返却が遅れるかもしれません」
「記録用、写したという事実が必要であった。映像、画像は記憶してありますので」
刑事は軽く笑った。
何かおかしいことでも言っただろうか。