否定的、ネガティブに力を注いでいるとその通りになる時がある。子供は落とさないでと言われるとコップに入った飲み物をこぼしてしまう。外からの呼びかけに無意識に落とした時の映像が再生されて体が反応してしまったのである。明日についてもそうだ。面白くはないと決めつけてしまうともうそこからは出られないでいる。人には現状を維持する機能が装備されていると思う。似ているのはダイエットにおける停滞期である。体は急激に落ちた体重を維持しようとある程度のラインで止める。しばらくダイエットを続けてもまだまだ体重は目標値までは下がってくれない。そこで諦めると体重は元に戻ってしまう。このような作用は考え方の癖にも当てはまる。同じような行動を人は取ろうとする。それが楽であり、いつもの安定した状態であると認識しているからだ。ある時に別の行動に移してみると、なんだか違和感が続く。しかし、その違和感も行動が数日、数週間と継続を重ねると今度は別の安定した状態が生まれる。自分は、明日を悲観していたのだろうか。
何ができるだろう。
可能性の示唆。
暇なのは時間がたっぷりとある証拠である。
何がしたかったの、聞いてみてよ自分に、押し込んだ自分に。
いえばいいい、言えないの?言ってみてよ、言いなさい。
窓に映る私が私の全てではない。
窓には別人の顔がときおり顔をのぞかせる。
後天的に作られた私と内在に佇む私。
どちらが本当の私なのだろう。
静かな空間。天井の配管。老朽化の証。
本来の声を無視し続けていたのは誰?声を聞いてよ。ねえってば、聞いてるの。
取り戻してたくはないの?
今のままで満足?アタナにとって警察って何?働く場所、お金とのやり取り、それとも私との繋がり?
思い出してよ、眠ってしまう私を。
呼び出して鍵を開けて。
入れ替りを否定したのは誰?
体が鉛のようの重く地面を目指している。
眠った体は長机に崩れてどさり。
誰も居ないのだから、心配することはない、いや、だって誰がいても心配はしないでいいようだ。
だって、私は眠たい。
それが本来の私だから。