コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

本心は朧、実態は青緑 4

 ステージに引き返すアイラはもう一曲、バラードを歌い上げて、リハーサルに終止符を打った。

 物足りない。

 見学の数人、教会の関係者か、レーベルや事務所関連、もしくは機材搬入・設置のスタッフのいずれかが、腕時計で時間を確認した、ステンドグラスが大半を占める窓から外の明るさを確かめた。

 居合わせたマネージャーのカワニを呼び寄せる。照明の件を伝えた。

 何事かこちらに視線を送りつつ落胆した顔つき、おそらくはライブという私が作り上げた想像の現場を体感していた人物たちだった、不意に現実に戻されて、そう、子供のように没頭の仮想空間を踏みつけ蹴られた感触だったのか、それはしかし私の提供による、発信元に権利があって当然のはずだ、足元は照度が落ちた関係で見ていないんだ。

 無視。無害だったら許してあげよう、ただし一言でも忠告なり教訓なりを伝えようものなら……、まあ、取り合うだけ無駄、という対価に不釣合いな行動だ。

 予備のギターを軽く触る、ストラップが肩に背負い込む、ギターを持ち替えた。

 ステージ袖。曲ごとにギターを変えることはしないでおこう、彼女は落ち着いた面持ちの、スタンドに寄りかかる愛用品を眺めた。 

 触り程度、声も抑え目に、さえずるよう、たとえば曲作りのときに奏でる探り探りの指裁きと言葉にならない音の連続を、前かがみ、ちょっと前重心、それこそ立てかかるギターに問いかけるように、君の居場所と現在の心境を尋ねそうな勢い、格好で歌った。

 そうしてこうしてアイラは明日に備えた。

 ホテルへ戻る前、カワニが尋ねた。夕食会の出席要請である。

 仕方なく彼女は従った。

 座る席を選べるのだとしたら、途中退席が許される相手であるのなら、もしそれが不躾に当る場合、カワニがトラブルを装って私を教会に引きもどす芝居を演じてくれるのなら、と数々の食べ終えたのちの自由を彼女は主張し、取り付け、それらを見事に敢行した。

 ただ、カワニが退出のきっかけを作ったのではなかった。

 アイラが体調を整えることを理由に、立ち上がり(フランス料理かイタリア料理の店だったと思う)、店員が椅子を引き、有無を言わせず反論を許さず同席者の顔を凝視した、これが十数人の列席者の反対意見を喉に丸め込めたらしい。

 途中退席は予期せぬ行動、とあっけに取られた彼らの表情から窺えた。けれど呼び止めるものは一人としていない、私が既に動き出し、テーブルを離れたからだ。他人の食事代まで支払う気障な人種を毛嫌いする彼女は、異に反し、これは状況と意味が違うのだ、そう言い聞かせて、彼らの視線が途切れた個室の外で後ろに張り付く黒服の店員に会計を申し出た。

本心は朧、実態は青緑 4

 選択は多すぎず少なすぎず、かつ見限れて、後悔は最小限に抑えられるか……。アイラは衣装のラックを凝視した。

 理に適った手法。三着から服を選ぶシステム……、アイラは改めてそう実感した。

 着替えた彼女は近所のコンビニで食事を購入した。コンビニは教会を出て目に付く信号を渡った対面の通り、交差点から離れる方角である。交差点を真ん中に教会とコンビニ、という位置づけ。

 アイラは店内のイートインスペースで納豆巻きとカップ焼きそばを平らげる、煙草とライター、出来立てのコーヒーをホットで買った。買い方がわからなかったので、店員に聞くと、レジの下からマジシャンの手さばきで、カップを出現させた。これには驚いた。煙草を一本、コンビニの喫煙場所で吸う。便利な食料の供給施設、それほど人の労働が切り詰められているのだろうな。衣装のせいか、滞在時間の長い視線を感じた。一本に留めるべき、直感を信じてアイラは教会に戻った。 

 一人っきりのリハーサルにアイラは取り掛かる、戻った足でそのまま壇上に上がり、ギターを構える。視界の右端、スタイリストのアキが私の洋服を畳んでいた、彼女の仕事だ。気に病むことは愚か、多少定常な間隔になびいた自分を感じて、彼女はギターを奏でる。音が綺麗、表現方法は自由だ。各自が思う音であればいい、人から余計な道を提示されないのであれば、それがいつも正解に違いはないのだから。

 そっと目を閉じた。

 そこは翌日のステージ。お客の表情を見て、曲目を決める。決め打ちはしない。

 惹きつける、無言を共有。お客が凝視。見つめ返して、恩返し。声を定めて、送り込む。すらりすらりと、わんさか、えんさか。触れて離れて届けて放置。

 照度を落して欲しい、技術スタッフへの注文が増えた。これは教会側に直接進言した方がやり取りの手間が省け、手っ取り早いだろう、どちらせよ、改善箇所が見つかった。翌日に反映させる。

 歌を切った。アイラはステージを降りる。最前列、機材の脇に端末を乗せる、音を収録したい。お客の立場。それを三度繰り返した、場所を中ほどと最後列を試した。いつものやり方、私の手法。端末の感度は最低限の機能で十分余りある、販売し、大音量で流す必要性はないのだから。確認後に消去、そして最後列も指先で画面をタッチ。

 確認画面、よほど誤操作が多いのだろう。操作性の向上について回る人為的なミス。直感がもたらした行動のキャンセル、ズボンは左右どちらの足から脱ぐのかを無意識下に任せる、これと同様の動き、応対だ。

本心は朧、実態は青緑 4

 前列の席にアルミのテーブル、その上に音響機材が並ぶ。映像記録のカメラの搬入がないのは、かなり身軽で、小規模な会場に適している。近頃は回線の高速化がもたらす恩恵に随分と胡坐をかいた受け手側の態度が一般的な流れだ。遠方の彼らへ短期的なスパンという需要が生まれるあまり、演出側の短期開催がもたらす日々の負担が対照的に肥大の一途……。私はそこから早々に足を洗った。不規則な登場を与えることで克服をしたと自負する、そう、定期ライブは隔週である、開催間隔期間としては中・長期の位置づけだ。もちろん、まだ実験の段階である。成功とはいえないだろう。しかし、定期開催のライブと比較をした今回の遠征は特別な感触に触れる確証が高い、と私は見積もる。お客の年齢は多岐に渡る。未発表の曲、カバー曲も幾つか滑り込ませた、戸惑った反応は当然だろう、曲名を伝えたのみで詳細は語らない方針を採ったのだ。ネット上での論争や憶測から事実の解明、ひいてはレーベル兼事務所への問い合わせが予測される。ホームページ等では一切の公演内容や曲目に関する諸事項の返信は控える、という文言の掲載を、九州ツアー初日のライブ終了と同時刻にレーベル兼事務所・プリテンスにお願いしていたアイラだ。

 それらの片鱗は見えた、といっていい。

 定期公演とはその辺の食いつきというか、お客の煌き、目の輝き、体が発する期待感はまったく異なった、と先週と火曜、木曜の公演で実感はしてる。アイラは、通路を塞いでしばらく立ち尽くし、それからつま先をパーテーションに向けて身を隠す。

「アキさんに会ったら、伝えておいてください」アイラは上着のパーカーを脱いだ。長袖のシャツはしっとりと重い。張り付く袖を引き伸ばし、片腕を引き寄せて、もう片方も。腕の一部、手首から先を可動域ぎりぎりまで関節を伸ばすと仕切りを越えてしまう、気にするものか。相手はマネジャーである。ハンドタオルが椅子にかかる、これもいつもの用意。

 ツアーグッズで汗を拭いた。タンクトップの下着を着る。それから見上げる高さにはめ込まれた三枚のステンドグラスの左端の真下に位置するハンガーに手を伸ばした。衣装の袖部分は黒い光沢、胸元とお腹とバックが大きな格子柄の深い青がこれも光沢を帯びてる。前に選んだステージ衣装を連想するアイラは、同一のブランドと予測をした。しかし、製作者やコンセプトには無関心でいられる、それが彼女の機能。ジーンズも脱いで、ばさっと一振りしてから、ハンガーにかける。下着姿の時間が長い。焦るつもりはさらさらないのだ。パンツは伸縮性のあるこれまた光沢を角度によって携えた一品。足首ががらりと空く、靴はぺったりと平たい踵の靴である。私の好みは事前にスタイリストが了承済み、どうしても演出上、譲れないときは進言をしてくれるので、とてもわかりやすい、無駄なやり取りを排除できる。アキの機能性は高い、私と彼女の境界域の重なるポイントを常に抑える方針が好感を持てる。

本心は朧、実態は青緑 4

  会場の教会はひっそりと静まり返った姿が通常の佇まいらしく、絶えず人が吸い込まれ吐き出す隣のビルの気配に比べて、どこか死を連想させる。

「アイラさん!電話にも出ないで、どこをほっぽり歩いてたんですか?」カワニの口調は時々文学的な書物しか用いられない表現を使う、現在で言う死語を彼は平気で使う。包み込んだ声が通り抜けるやいなや背後を廻って追いかけ、追い抜く。

「まず、電話に出る約束を交わした覚えはない。さらに、オフの時間における自由について、あなたの監視の下で歩行の禁止も言及されたでしょうか」アイラは肩を竦めた。

「知らない土地ですし、万が一のことだって私はマネジャーですよ、あらゆる事態を想定して動いてるんです。少しはアイラさん、あなたは有名人であることを自覚してくれませんかね、パニックが起きて当然の人物ですよ」

 すれ違う人に顔は見られたように思う、それでも声を掛けられなかった。興味があっても、声を掛けにくいのだろうか。ちなみに、私は現在も電車でスタジオに通う。通勤ラッシュであるために車内で声を掛けることを躊躇った人は多いだろうが、それでも大体同じ時間帯に車両に乗り込み、乗車駅も無論同じだ。つまり、気がつく人物が大勢であっても、彼らが平静を保っていられるのは、声を掛けるのを躊躇しているから、ということが言える。ただ、カワニが必要以上に訴える態度もわからないではない、ここは彼に従うべきだろう、アイラは思う。一般的な感覚を彼に任せてみる、これも実験に加えてみたら……。

 しばらく間をあけて、応えた。「わかりました。以後気をつけます」

「はれ?」カワニは破裂音に寄せた「は」の音を発した。小ぶりな目がより一層丸まる。「……珍しいっていうのは、このことですね、はい。もしかすると」アイラは遮る。

「雷も雹も霰も雪も降りません」

 汗を掻いた、着替えが欲しい。

 アイラは教会内を見渡した。ここに更衣室はなく、簡易なパーテーションで仕切られた区域が着替える空間、スタイリストのアキによってそれは作られていた。彼女が機材を運んだのである、折りたたみ式で持ち運びに適した二枚、それは約二畳分のスペースを遮断する。「アキさんはどちらに?」

「食事ですよ、食事。衣装はいつもの通り用意してあります。僕が、外出の許可を出しました。文句は受け付けませんからね」どこか家族的な、根っこの部分の怒りを取り除いた、彼の主張である。

「ステージで着用しない衣装を買い取ろうと思ったのです」アイラは通路を歩きながら語る、席にカワニが除けた。「二着を汚しては返却に困る。私も一応配慮というものを心がけているのです。これから着替えます、何かライブの変更点があれば、今のうちに聞きますが」