2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「最終便の出発は午後八時四十分。諦めてください」 「私たちは教会の、あそこの、出入り口にいました」 向日が座ると、隣の楠井がバトンを受け取り、話す。 彼女はドアを指し示す、ひかりで指輪が知れた。 「アイラさんのライブ終了は不規則です。予定表ど…
むやみに無許可で溜まってしまう、忘れることができない、常に並列した記憶が堆積。私がおかれた生活状態がこれで少しは想像できただろう。 人は誰しもが、皆すべてをこれまでを覚えているものだと思い込んだ時期が懐かしい……、アイラは教会に意識を戻した。…
「目撃者は、犯人を見てはいないのですか?」アイラは目を開けてきく。 付け加えるように土井が口元に手を当てて、内緒話を伝える仕草でしゃべる、忘れていたことを伝えたらしい。しかし、不破の一瞥が彼に飛んで、萎縮。体格に不釣合いな格好、でっぱるお腹…
不破が応えた。「お答えする前に、まず皆さんの行動を再検討させてください。見落とした点や、思い込みによってついた虚言が含まれているかもしれませんし」 「あのう、私たちって、その、ここにいなくてはいけませんか?」事務所のスタッフ、ショートヘア、…
土井がいそいそとドアを閉めた。カワニが振り返る、アキは発覚を恐れるような動作で端末を肩にかかるショルダーバッグにしまう。飛び出す化粧用のペンシルにコーム、櫛。彼女はヘアメイクもこなす総合的なスタイリストである。洋服のみのスタイリングも世間…
午後九時。教会内のステージの撤廃が許可された、鑑識の入念な捜査を受けた機材とそのスタッフたちが三十分という短時間で機材をまとめて退出していった、目の前をがらがら、台車の手を借りてしまえば、あっという間の一往復きっかりに、最前列を狭める数々…
約一時間、片足立ち、ときに壁に寄り沿っては靴底を壁に押し付け、警察、主に鑑識の手際にアイラは見入った。カワニが汗だくで駆け寄り、姿をみせたときは夕暮れがひたひたと距離を詰める時間帯だった。観客たちはカワニが飛び出して三十分ほどで会場を出た…
「死体のようです」アイラは片目を閉じて、そっけなく応える。「お客の搬出はどうします、警察の車両は一応、交通規制を装うよう提案された方が、後々世間に広まる情報の食い止めにはなります、私のライブとの関係性をつなぎあわせたくないのであれば」 「刑…
「中に観客がいます。拘束されては困ります」 「状況次第ですね、それは。まだ、なんともいえません」 「なにがあったのです?」アイラは興味を装って訊いた。 「殺人です。阿倍記念館と同一の事件が教会で起きた、と匿名の通報があったのですよ」 アイラと…
飾りのように鑑賞に特化した予備の一本にギターを取り替えた、ポジションを確認、あたふた伸びる配線を音響スタッフが付け替える。アイラは左手の黒幕から顔を出すエンジニアに目配せ、たっぷりを交換の間を作り出して彼女は、視線を前に移した。見つめる二…
一報はライブの途中にもたらされた。終局に向う中盤を過ぎた大まかな予定曲の近辺で、カワニがステージ袖に水を持ち、屈んで壇上にあがった。腰の高さほどのテーブルに水は二本、用意されてあった。観客に背中を向けたカワニが、テーブルに手をついて、こち…
『ふふ。歌う姿の彼女だけでは物足りなくなってしまったのです。以前は声だけで満足をして、にやつき、狂喜し、脱落、ときに欺瞞を抱いて、だけど獲得、温かさを掴んだ。そして、抑制。彼女から身を引いた数ヶ月で彼女の新鮮さが取り戻せるかもしれない、こ…
『考えを文字に起こす作業は不慣れ。ならば前置きを述べて、逃げ道を取る作戦だ。稚拙だと思うなら、正直に私の品定めを行え。けれど反論は手紙で、あなたの順番が廻るそのときに発揮して欲しい、願わなくともここでは取り越し苦労であるはずでしょう。とに…
「構いません」 「いいや、メーターを一度止める。すまない、ニ、三分遅れてしまう」 「急いでいるわけではありません。歩くつもりでしたから、それに比べると到着は格段に早い」飛行機が上空を飛来、高度が低い、降り立つのか、飛び立ったばかりか。 「天草…
莫大な金額に当たる信用情報が埋め込まれたカードで無形の信頼を理由に支払いが成立する。店側としては現金が良かったはずだ、来月まで入金は遅れてしまう。どうだっていい、無造作にカードをポケットにしまう。 見送られ、店外へ。もうじき季節が変わる、南…
ステージに引き返すアイラはもう一曲、バラードを歌い上げて、リハーサルに終止符を打った。 物足りない。 見学の数人、教会の関係者か、レーベルや事務所関連、もしくは機材搬入・設置のスタッフのいずれかが、腕時計で時間を確認した、ステンドグラスが大…
選択は多すぎず少なすぎず、かつ見限れて、後悔は最小限に抑えられるか……。アイラは衣装のラックを凝視した。 理に適った手法。三着から服を選ぶシステム……、アイラは改めてそう実感した。 着替えた彼女は近所のコンビニで食事を購入した。コンビニは教会を…
前列の席にアルミのテーブル、その上に音響機材が並ぶ。映像記録のカメラの搬入がないのは、かなり身軽で、小規模な会場に適している。近頃は回線の高速化がもたらす恩恵に随分と胡坐をかいた受け手側の態度が一般的な流れだ。遠方の彼らへ短期的なスパンと…
会場の教会はひっそりと静まり返った姿が通常の佇まいらしく、絶えず人が吸い込まれ吐き出す隣のビルの気配に比べて、どこか死を連想させる。 「アイラさん!電話にも出ないで、どこをほっぽり歩いてたんですか?」カワニの口調は時々文学的な書物しか用いら…
アイラ・クズミは九州ツアーライブ・第二週目、平日の二日を乗り切った。お客の入場に際したステージ上の待機は免れ、花嫁たちが祝福を、羨望を契約という錯覚におぼれ、身に浴びる中央の通路を悠々通って、演奏台からお客の顔を見渡すことができた。しかし…
冷えた体をまずは温めよう、彼女はバスルームでお湯を浴びた。 温かいでしょう? 冷たさを知ったもの。 聞きたいでしょう? 呼ばれたいもの。 会いたいでしょう? 初対面だもの。 話したいでしょう? それは、どうかな……。 正直になりなさいよ。 うーん。ど…
特殊なファンの集いの存在を、私は聞きつけて入会を訴えた。アイラのためだから、彼女のことをより深く、正確に感じ取る、それには時間的な面から一人では不可能だと、判断したの。大人数でしかも定期的に会合を開く会は眼中にないどころか、選ばない理由し…
手紙は日曜にポストへ投函して、火曜には届くだろう。 雨が降り止んだ土曜日、宇佐マリカは不毛な議論の対処に追われた。 掻き消えた隣室の生活音。男女の笑い声よりも冷たい滴る雨に、私は擦り寄る。マリカは開け放つ窓に体を挟む、片足を伸ばし、食い込む…
中間の意見が、ハンモックで揺れていると、思い込んでいる臆病で怖がりな連中。 十分だ、一人で。高齢な人物はこちらを哀れんだ目で見つめる。そろいも揃って経験を振りかざした押し付けを気にも留めないとは、しわがれた肌を、手足を、首筋を、顔を見つめる…
厳しいのが世の中、どこでもいつでも投げつけられた言葉。 宇佐マリカという人物は名前にそぐわない容姿を与えられ、執拗で陰湿な仕打ちを受けた過去を身に刻みつけてここまで無理やり十代を乗り切った、生きた。人を辞めようとは思わなかった、むしろそれは…
著しい外壁の腐食、サビと長年の風雨が織り成すえもいわれぬ風貌のビル、その二階が目に入る。古ぼけたかつての事務所、窓に印字されたとっくに立ち去ったありふれた中小企業の会社名。おうど色、金属製の重たい扉を引き開ける。二重顎の中年女性が黒目がち…
翌日。月曜日。 滞りなく作業、主に歌声とギターの響き、音の返りに関するチェックは午前の段階、雨が降り出す雨空のうちに幕を閉じた。湿度が高まるとくぐもった音が現れやすい、湿り気は楽器には特に大敵、雨か晴れは大歓迎で曇りは多少憂鬱だろうか、仕方…
約一時間の休憩の合間に、ステージは出来上がっていた。ステージ設営に関する要望はカワニに伝え、設営業者に正確に行き渡ったようだ。当然だ、注文は大まかに伝えただけ、再現不可能だったら彼らの仕事は金額を請求する資格はとっくに剥奪されている、注文…
三時間か四時間を消化、夕方に迫る時間帯に達した時点でアイラはおもむろに手を止めた。 カワニの姿は見ない。 会場設営は教会内の木製のベンチを利用すると、到着の直後カワニが話していた。ベンチは中央の通路で分断されて左右それぞれ、縦に十五脚が並ぶ…
第二週目の会場は厳かな教会であった。ゴシック様式だろうか、小さい尖塔が建物の正面からちらりと首を伸ばす熊本市内のどこか、である。左手にビルが迫る隣接した立地、この教会は町の発展以前に居を構えていたことが窺える。 敷地の左手、教会建物の手前に…