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消灯後一時間 ハイグレードエコノミーフロア

悠長だ。直ちに伝えればいいはずが、手をこまねいて足踏み。アイラは新曲について考えようとした。けれど、あと少しだけ猶予を与える、彼女は気まぐれな心理を、不安定な上空を言い訳に庇う。
 締めた窓のつまみを押し上げる、アイラは真っ暗な空に問いかける態度を作る。「価値、価格の正体を知っているでしょうか。商品には市場に出回るべく価格が付与される。あなたの曲も私の曲も同様です。しかし価格は示し合わせたようにある一定のバンドに落ち着く。価値の高さ、を売りにするのなら高価格をつけることも考えられる戦略。まったくおかしくはない、平均的な出荷枚数、原材料、生産に必要な労働力を元に平均的な価値を加えた価格が、たとえば私とあなたのCDに倍以上の開きが生じてしまうと、曲を購入する予定だったお客の大まかな購買意欲は他の商品軍へ流れる。この程度の価格ならば、という特定のジャンルに対する指標をお客には植え付け、示す必要がある、売り手側の理由です。したがって、価格差の少ないCDが市場に出回る光景が日常となる」アイラはフードを取った、機内は暑い。「販売価格は変動を嫌います、動かした場合の得られる利益や損失におびえるのです。すると費用価格に関心の目、焦点が移る。費用価格とは生産に要した必要経費を言います。商品は利益を生むよう余分な価値を持ちます。つい先ほども言いましたが、資本の提供者のみが生まれた利益の消費であると、生産の拡大は見込めない、現状の維持にとどまってしまう。あなたはそこから抜け出したいので、独立を決意した。同質の商品、CDをお客に買わせる価値はどのようにして付与したらよいのか、という私に私がするような質問でしたね、結論を先に言いますが、価値の大きさについては、欠かせない生産の設備や機械などの不動の資本の大きさがものを言う。考えても見てください、あなたが所属した事務所、レコード会社は組織の体力に長けていた、現在のあなたと比べるとその差は明らか、大勢が係わる、資本がその分、今の独立を目論むあなたよりも必要となる。それらは欠くことを許されない資本です。販売価格はほぼ一定に推移する、といいました。価格面での取り分、利潤を増やすには現在のあなたの手法、独立に打って出る決意は正しいのでしょう」

消灯後一時間 ハイグレードエコノミーフロア 

誰かが隣に座れる。
 アイラ・クズミは窓際を選び、毛布に包まり頭にはパーカーのフードをかぶる。変装とは無縁の彼女だ、普段の生活でもマスクや帽子は身につけずに日常生活を送る。知名度の高さに比して反比例の下降線を描くメディアへの登場回数を、彼女は誇る。アイマスクを、呼びつけて客室乗務員に用意させるのは酷に感じた、よって視界を遮るアイテムにフードを利用したのである。
 肩を叩かれた、
 否つつかれた、というべきだろうか。アイラは細目を開けて隣席にてらてらと蔓延る気配を探った。薄暗い照度でも数十センチならば、顔の視認は可能だった。山本西條の日に焼けた肌はよりいっそう深い影を携えていた、規約を破ったお客はこれで二人目、何か特別な用事なんだろう、アイラは座りなおした。
「……何、か?」喉が詰まる、若干声が掠れ気味だ。やはり機内は乾燥してる。喉を押さえてアイラは尋ねた。当然、相手が口火を切ってまくしたてると思っていたのに、一向に口を開かない、かたくなに拒んでしかし、意思は伝えたい。決めかねている、そんな内情と背景が感じ取れ読み取れた。
 起きた直後のクリアな頭に余計な個人的雑事は似つかわしくない、不釣合いだ。可能なら、早々に立ち去ってくれた。アイラは重々しいしゃべりだしに耳を傾けた。
「ぼくから聞いたことは内緒にして欲しい。あつかましいってことぐらい、わかってる。後先考えてる余裕、なかったのさ。思い立ったら席を予約してた。変装とか事務所にばれたらとかいろいろフライトが迫って今日が近づいて、考えたけど、行ってしまえってね。深く考えて行動するタイプに見えないだろ?だからこそのぼくの今の立場……」山本西條は不思議そうに昆虫を見つめる猫のように首を傾けた。「聞いてる?」
「本題はまだですね」
「独り立ちを考える、事務所を立ち上げるつもり。具体的になにか、どうこうっていうのはまだ何も手をつけてない、あらゆることがこれから」
 アイラは話の先を求めた。
「このままじゃ足りない、いけない、と感じた。強烈な、しびれる手ごたえが欲しい。なんていうのかな、うまく説明できたら、あれなんだけど……、死ぬまで続けていきたいわけよ、歌を、そのためにはぼくのロックっていうジャンルではさ、若いきみぐらいの世代の関心を引けてることが求められるんじゃないのか、と、ね」

追い詰める証拠がもたらす確証の低下と真犯人の浮上 3 駐車場

「席を代わった、ということはありませんでしたか?」
「何のためよ?」山本西條が聞き返す。
「ハイグレードエコノミーフロアへ移動するためです」
「一体何回空港で搭乗から演奏までを繰り返し言わされたと思ってます?これってようは、その間に人が殺されたことを打ち明けてんのと大して変わりないでんしょうよ、刑事さん。だったら何でまた、演奏後のことを聞いて回るのかって思っちゃうわ。納得する答えを用意していないのであれば、ぼくは楽……」種田が遮る。
「単純に聞きそびれていたから。これまでと同じ取り組みで成果が見られなかったのです、別の手を打つことに視点を変えるのが順当な手段。もちろん、事件に直接関わりがないかもしれません」
「移動は無理だよ」miyakoは言い切った。機内の様子を思い浮かべるのだろう、言葉が切れて届く。「運良くフロアをこっそり抜け出て、隠してた凶器を回収したって言っても、持ち物検査で引っかかるんだから。私たちは真っ先に調べられたし、凶器の種類とか形状は何にも刑事さんたちや取調べの時だって言ってこなかった。言えない、言ってしまうと犯人の得なる様なことかもしれないけどね。まあ、凶器が見つかってたとしてもよ、切羽詰っているように思うよね、こうやって私たちを聞きにくるところを見るとさ。あら?うーんと、あれっ、何を言おうとしてたんだっけ……、ほうだほうだ、死体ってのは、ううん?待ってよ……そのう、殺されたのは機内なのですかね?」
「はっきりと言い切れる段階ではない、とだけ言っておきます。言葉を濁すのは、言い訳なのではなく現状の克明な記録、正直な進捗状況。遺体を持ち運んだかどうか、機内で殺害に及んだのかすら判ってはいないのです」
 熊田は腕時計を見た、ほぼ五分が経過した。
「演奏以降、アイラ・クズミさんとは会わなかった」熊田が二人を順番に見つめる。
「会ってません」
「ぼくも」miyako、山本西條はともに否定した。
 miyakoがおもむろに立ち上がる。両手を重ねて頭上に掲げた、仕事前のストレッチ、といった具合か、歌手が発声のために全身の筋肉をほぐす、ラジオも声を発する場には代わりはないのだろう。
 返答を聞く前にノックされたドアが開いた、番組のスタッフらしき男性がmiyakoを呼びにやって来たのだ。控え室に詰め掛けた種田たちに圧倒されつつ、軽妙に表情を崩す、miyakoはそのままラジオの生放送に行ってしまった。ドアが閉まりきる直前、スタッフが私たちの正体を聞いていた。関わる仕事、立場、状況が、普段では聞くことをためらう性格を揺り動かすのかも、種田は考える。そうすると機内では前のフロアに近づく人物は的確に捉えているはずだ、上空一万フィートは異空間そのものである。しかしだからといって、マジックのような死体を荷物棚に登場させる直接の要因だろうか、自らに問いかけると返答に窮してしまう。
 山本西條も退出をにおわせた。はっきりとは告げずに、「まだ聴取を続けるの」、表情で訴えた。止めた動き、固める視線が物語る。
 控え室へ帰る山本西條に種田たちも同行した。通路を一度曲がり建物内を奥に進む、表通りから離れた。
 控え室よりも会議室という表現が適切だろう、深く腰を落ち着ける家具に代わり、こちらは長机と四脚のスタッキングチェアのみである。
「準備があるので手短に」対面に山本西條は浅く腰掛ける、机と体に空間を開けて、足を組む様子が宙に浮いたソールによって知れた。

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「十分後に本番ですから、五分が限界ですよ」喉をこちらもわざと鳴らして差し入れの饅頭を詰め込んだ、十二個入りの豆大福が二つ行方をくらます楕円、木製の黄土色のテーブル。
「構いません。ご一緒しても?」、と熊田。やはりどことなく腰が低い。
「どうぞ、どうぞ。座っても減りませんから。なんなら私が用意したわけでもない、差し入れをつまんでください。そっちの刑事さんも」
 一人用のソファに山本西條が自ら腰を上げて移動した、空いた山本西條の席に種田と熊田が仰々しいmiyakoの歓待を示す左手の導きに、彼女の対面に腰を吸えた。コケのような緑のソファの反発に腰が負けじと存在を押し付ける。
 ブースの裏手が楽屋の位置、ウスバカゲロウがドアに描かれていた、内側扉は無地のオフホワイト。情報を定期的に処分する、種田はあとで取り出す際の手間隙を嫌う。
 山本西條は居合わせた理由を次のように語る、熊田が視線を送って彼女自身の意思で口を開いた、問いかけの文言は発してはいなく、自らの弁明は聞かれる前に言ったほうが説得が増すのでは、と彼女なりの心理が働いた想像がつく。
 たまたま、入る楽屋を間違ったそうだ。顔見知りであるから、挨拶のひとつでもと腰を下ろして、そこに私たちが現れた、という。信憑性はとても低く偶然にしては出来すぎてる、種田の直感的に嘘を見抜いた。ぼくやきみという彼女の口癖が聞かれなかったことも要因。
 テーブルの豆大福に視線が集まる。四人が互いに気配を探る。
「機内の演奏はもちろん、お二人は聴かれましたね」忘れていた挨拶を思い出したように済ませて、熊田が主導権を握った、止まった時が解凍した。こういった出方を決めかねる、速度を殺さずこちらに向かって歩く相手とぶつからずにすれ違う左右へ踏み出す判断力、行動力は目を見張るものがある、種田は上司の行動を見習った。
 山本西條は別の収録予定でこの場にいる。楽屋を間違えたらしい。三十分後に収録が始まる、表通りに面するブースの他にもう一箇所ブースの存在が示唆されたが、種田たちは未確認だった。テーブルに置かれるスケジュールには番組名とmiyakoの文字、出演時間の午後一時から三時を囲う。今日の放送は生放送ではあるが、遅れてお詫びを申し上げたた局とは別のラジオ局である。午後の帯で放送される生放送は種田と同年代の歌手にしては比較的落ち着いた仕事のようにも思う、前回の訪問したラジオ局に比して建物の規模は小さい、人気の低迷が叫ばれる歌手にとってはふさわしい場所なのかどうか、偏った見方は拭いきれない、種田は世間一般の感覚とのズレを当人が自覚するのだから、当然それよりも大きくあるいは小さい幅で埋もれる市民とは感覚を異にしてしまう。深夜帯にレギュラーパーソナリティのスケジュール調整、代役に一度限りの出演かもしくは、収録形式の決まった曜日と時間帯の長くて一時間の放送が彼女が思う一般的な売れっ子の姿である。
「アメリカ到着を待つ間中、睨まれっぱなしでいられる自信がある人っていないでしょう?」おちょくった口調である。ただ、緊張が窺える、若干ひきつるmiyakoの顔。本番前が、その理由だろう。
「山本さんは?」
「そうね。仕方なかった、アメリカに渡れただけでも御の字。同業者だから、無視を決め込む方が難しいんじゃない。積極的に聴いてる態度は……出せませんけどね」
「偵察だと思われるから」
「詮索好きな人は多いわ。ぼくは目の仇にされる性質だから慣れてはいる。けど、好んで敵を迎え入れるってほど、ウェルカムでもないわけよ、わかります?」染みついた口調、若者の言葉を多用し続けた成れの果て、その好例である。
「客層が重なるとは思えませんが、これについては?」
「誰が何を言ってるかが気になる。それによって、人は考えを変える」種田が言った。
「彼女のことは気にせずに」熊田はさらりと部下の発言をこの場から押し流す。「演奏後から到着まで、機内の行動をできる限り細かく知りたいのですが」
「特別なことをしていたと思う?帽子をかぶってたせいで頭は痒くなるわ、窓際だから水分補給だって控えた。これでも結構気を使うの」miyakoが言う。次に山本西條が答えた。
「ライブが終わったあとは、そうだなぁ、食事を摂って映画を少し見て……それからね、眠ったのは。身動きが取りにくい窓際の席だったこともかなり影響したんでしょうね、いつもは雑誌なんか読んでるのかな」山本西條は片目を無意味につぶった。そして波を打つみたい、突き上げるがごとく彼女は地面を這い出してぽつりと付け加える。「……うとうと眠って目を覚ましたんだ、隣が起きてる間にと空席を確かめて一回トイレに立った、ついでに歯磨きと顔も洗ったかな。それからはずっーと翌朝まで寝てた。文句あります?」