コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

役不足な柔焼菓(sponge cake)と不確かな記憶 7

 はぐらかす説明の施しは意図的な構成が背景に見え隠れする。おそらく何かしらが結実するに違いない、種田は店主がわざと雄弁を気取る様を見抜いた。本質を早く!、急立てる気忙な連中の黙殺には無碍に扱うが適当。これで最大の効用が得られる。店主の解説を内に設ける基点より捕え資料と照合(てらしあわ)す。   

聴覚を矢面(まえ)へ。

「凶器の行方が先を阻んだ。『規則』は必定なり、を犯人は自らにも課していた。目撃者として現場付近の地下道を出くわす現場に仕立てるなら当然、凶器の所持はありえ『ない』でしょう。捕まってしまいます。入念な所持品検査(body check)は任意によって執り行われたのですか?」

「所持品は袋状物入(pocket)を当人が探って出す。手出しは違法と見なされる」

「意識を失った坂上貴美子さんはいかがでしょう」

「彼女も同様に所持品検査は女性警官の立会いの下、これは当人の同意を得ずに調べました。訴えるのならばお好きどうぞ」地上階の捜索に当たる女性警官を地下道まで呼び寄せ、その場で調べた。

「生存確認の一環といえる。非常時に加え紛らわしい発見場所、路上であっても意識の断絶が続くと通常は所持品から身元や連絡先を調べます。違法行為には抵触しません」

「あなたは高山明弘が凶器を所持したまま事情聴取を受けていたとでも言いたいのですか?」音圧が高まる。種田は、訊いた。音に頼る。

「その可能性は十分にあります、またしても可能性の問題でしょうけれどね。大胆だ、非常識だ、捕まるという原則は『善人』が所望であって犯行計画を企てる人物に身勝手にも我々が倫理観を植え付けた、私たちの『規則』が働いてしまったのです」

「続きを」種田は堪えた。

「次はそうですね」店主は灰を落とす。「傘、これはあなたが話してくれた上司の問いかけが補う。その可能性を取り上げること自体、躊躇われた。私は現物を何度か店内で目撃してます、外国の方がお土産で買われる品。夕食(dinner)には外国のお客が周辺他店に比べ食台(table)を占める。彼らは侍に憧れを抱いてます」

「凶器と覚しき傘を携え目撃を逃れたと?、それに携帯していたのは日本人です」橙と緑の傘に紛れたと、柄や鍔を模した偽刀を傘で一括りには凶器とおよそ見当がつく、周辺を聞き込む人員はすべからく切味を目に焼き付けた。出会えば連想するだろう。

「外形(フォルム)は日本刀で、用途は雨具。刀らしき傘は雨天に限らずぶら下がる、忘れ物が多くて困ります」

「ですから所持は日本人で、駅員に助けを求めた時の高山明弘は鞄をひとつ持つだけで、雨具の類すら持っていない。それとも殺害後駅を出て凶器を隠したとでも言われるのですか?入念に駅の外周も捜査対象に広げて調べました、半日かけて。凶器に適う拾得物の報告はありません」週初、市民団体『MOTHER PLANETS(マザープラネッツ)』が自意支援(volunteer)活動の『育む心、それは足下から』と題しS駅より南は大通りへかけた駅前通りやS川通りなど主要な通行経路を綺麗さっぱり掃き清めていた。

「もっとも有力な回答は単純な組み合わせ、凶器を持ち出した共犯者の存在をどうもあなた方警察は忘れたがっている節があった。駅構内に限った事件であってくれ、完遂・完結を願った。昨年の事件で警察と駅側は相当協議を重ねていたはずです。乗客の安全確保を図れない運営に身を任せられるのか、乗客の不満は想像に容易かった。S駅に失態は許されない、という特異な状況が日常になりつつあったさなかの大惨事、しかも薄れかけた昔歳(せきさい)彷彿たる事件に弁解の余地が残されている楽観的な考えは入社間もない駅員でも運営の危機を読み取ったでしょうね。すなわち、凶器の発見には至らず犯人が巧みに姿をくらまして持ち去った、という思い込みを駅員、警察は選んだ、これも『規則』です。駅構内及び外周でも見当たらないのならば、いっそのこと忍者のように消えた犯人ともどもが理想的。単独の犯行、凶器を携行し現場を立ち去る。駅利用はこれっきり、与り知らぬ事情がゆえ対象者は殺されたんだ、自分たちに都合の良い物語を想像してしまった。安全な駅、死体を搬出、痕を綺麗に清掃、警察が去る、始発には間に合わないが正午過ぎには現場の覆いを取り去りたい」

「前例に感化された」認めてやる、だが、「調べを尽くす我々は揺るがない」威圧を込める種田は嗚咽を受け入れ顎を引き、店主を見据えた。

「多岐に弥(わた)る選択に囲まれて、私たちは生きる。その選択はしかし、昔日までの生活と密接に関わり、一筋縄でおいそれと対岸に渡れはしない。選ぶ予備動作、心備えと暮らしようやく向岸に降立つ。しかしこれを忘れずに、可及的速やかを逼られ吟味の暇なく応じてしまう状況下は存在しますね」

「危機」

「恐驚(crisis)は突如表れ出でる。取るべき行動は主の防備、生理機能の働きがこれまでの慣習を平然軽々飛び越えた。駅職員と警察官はそういった心理状態にこの先の身を耐えた厄介な業務を瞬時、現場と対峙し明在(ありあり)思い浮かべてしまった」

 小川が席に戻った。長尺対面台(counter)のお客は喉を鳴らす。

「仮に『規則』が働いたとしましょう」憤懣遣る方ない。が、ここは引く。攻めてばかりは相手が手の内は一生隠し果せる。厄介な手練。「凶器は第三者、協力者に手渡し現場から消えた。問題は犯人です。逃げられたのになぜその場に留まったのか、理解しかねますし合理をまるで忘れています、企てた者が、です。計画的とあなたは言いたげだ、にも拘らず高山明弘は企てた殺害を実行、それから目撃者に名狸(なり)澄ました。南口から凶器を手渡したのだとすればそのまま屋外に逃げられた。悪戯(game)のよう逮捕までを楽しむ?そのような逃げ道は受け付けられないっ!」

「凶器は本来見つかるべきなんだ」

「どういうことです?」声を弾ませて小川がきいた。店主はそちらに顔を向ける、向けていた。窓は外、色つきの分厚い硝子に屈折し内が届く。

「考えてみて。凶器が残される、犯人は行方を晦ませた。となると警察は丹念に凶器を調べるだろうね。もちろん周辺の捜査も平行して行うはず。人員を二班に分ける。手薄な追跡をやり過ごせれば好い、犯人は安全な場所を確保していた、一時的な避難場所に身を寄せて時機を見計らい、離れる。いずれにしろ上策だった、最たる物証の凶器を忘れようにも鮮血に染まる、何かしら含意のある行動と診る、大いにありうると思う。たとえば、持ち去る刃物に身元を示す証を意に反して憑けてしまうとかね」

「店長にしては、憶測の部分が多いですね。固有名詞が少なくて、その、非常に危うい、いいや曖昧、です」

「いくつかの可能性を浚ってそこからさらに、熟考を重ねるのは一般的な感覚に近いと、僕は思うよ」灰皿にフィルターが増えた。白い白衣(はくえ)にうす白の捲くる腕を較べろ、ひとつ咳をした。「献立(menu)を考えるときも同じ手順を踏むしね」

「それはちょっと興味がありますねぇ」

「事件に戻ってください」あくまでこれは私事(private)。とはいえだ、真相解明の題(テーマ)を設ける。いざとなれば、鈴木か相田を叩き起こして職務の遂行を強行するつもり。おかしいのだ、まったくの不都合が生じずに事が収まるとは、どうして思えない。

 高山明弘と目撃者と日本正が同一人物であってたまるものか!種田の片頬が微細な電流を帯び、短く切り揃う細い黒髪は逆立つ、現実のそれは重力に従う。

「献立と推理の構図・構成は通う、刑事さんも目くじらを立てず聞いてください」

「刑事さん、お願いしますぅ」風が起る、固く閉する小川の瞼、その間(うち)へ両手がぴたり合わさる。

「……遠回りと私が(・・)判断した場合進路の変更を告げます、そのつもりで」小川はガッツポーズ、水筒に肘を当てあたふたと円卓(table)は転がり筒と戯れ。

「まず結(むすび)を立てる。〝刃の行方(ゆくかた)〟を終点の一つ前へ据えよう。分岐点は必ず通らなければならない。事件の道筋を辿ると出発点は殺意の撃起、計画に引き戻るね。無意に殺めた、この『規則』を準用した捜査であると、『規則』が発動したまさにそのとき、殺害が出発だ。僕は分れる程(みち)を同時進行で答えに導く。初歩的な遣り方は、片一方の行き詰まりにもう片方へあっさり切り替える、きっぱり忘れ去る度胸が功を奏す。だらだら未練がましいのは、どっちつかずで半端に終わってしまうからね。さて、順に遡るとなにかの意に従うそれは、凶器を持帰るという凄惨な現場で求められた行動だった。しかし、平常異常によらず嵩張(かさば)って目に付く。服の下に隠そうにも、察して余りある。これに後の所持品検査を偶然にせよ逃れた事実を踏まえる、当初から携行は実行より除外されていた。では、何所へいったか。先の予測は第三者へ受渡したと話した。ただ、警察は万事手順に則る。包囲網をすり抜けて、 現場に出入りする存在は俄(にわ)かに信じ難い。空想を意(い)う南口は人払いの対象区域であったにせよ、です。だからこそ凶器の受け取りに最適な環境といえてしまえる。どちらもありうる。二つの選択肢で立ち止まった場合、私はさらに枝葉を分つ。複雑で覚えられないという方は、図に表すとよいでしょう。知視覚による捉直(そくち)が得られる反面、考える機会を観るに代えてしまう、一二度が頼るのが望ましい。主題を決めたばかり、未地へ挑む、瞬く間中空へふらりふら甘考漂うものなら即時無に切れ消え。この性質は覚えておくように」

 小川は細かく頷く、見開く瞳はぎらぎらと珠の裡(うち)出でて。

度を越える顎に当てた片手も円卓の下にしまい、背筋も伸ばすか。するする巻き取られる雲は視界を広げた。疑い、が晴れる。慎み傍へ控える夢と憬れ傍に張つく現実を行きつ戻る、水浸(ふやけ)た意志は私の億段だった。

 これが六本目、煙草の先が染まる。店主は惰性の喫煙をあえて摂取するのです、そっと合わさる瞳は意に反する胸中を前面に押し出してた。進論と喫煙は相思の間柄か、種田は聞入る。

「凶器はS駅構内に隠匿せしめたならを、先ず紐解いてみます。想像せずと隠し場所の在処は明らか、改札の目の前自動階段(escalator)を右手に数列の長椅子(bench)。一目散に警察が調べたでしょうね裏側も。不適当。観葉植物はどうか、長椅子(bench)の四隅に大鉢、隣構する売店の両脇にも低木を二鉢を置く、しかしどちらも太長な幹と垂下る大葉(たいよう)は備えていなかったと思います。いかがでしょう、刑事さん」

「了承を前提に進めてられては?意に反した、私は口を挟む」

「それは私も助かります。拍子(rhythm)は大切ですから、料理においても」

「店長それは、あっとまた々邪魔を入れましたけど、拍子(rhythm)って千切りや包丁使い全般のことですかそれとも、起きていなくちゃ、常に考え続ける連綿とした流れが必要なのですか。私、数学はからっきしにっちもさっちもいかなくって、どうにもこうにもでしたもん」

「質問の後半分はよくわからない、けれど、うん、小川さんがいう論理的な考動にとって流れは重要だろうね」店主は灰皿を叩いた。拍定間(rhythm)。「話しながら考える、とでもいおうか。料理にたとえるなら食物の出生・出自の背景、来歴、舞台裏を僕の狭薄な庭で捏ねくり回す。片指を余す実知だ、ざっと基幹を浚い正誤不問の稀代(けたい)な想像で見極める。すると調理の取っ掛かりを食材が訴える、ごく限られた可能性であればやってみよ、とね」店主は頷く小川を確かめ、離脱した。説明口調に戻る。視線は窓、やや下方か、洩れる明りに二人席の天板あたりを眺めていた。「駅構内はそのほかに南口に穴開き硬貨らしき石物と真赤な円錐の無気物(オブジェ)、店舗紹介の掲示板、僕の記憶だとごみ箱は長椅子(bench)と売店、通路を間に雑誌と書籍販売専門の売店角の自販機にそれぞれ置かれる。だが、入念な捜索も空しく凶器は回収されなかったとのこと。駅構内を這い蹲り調べたなら見落としたかもしれません。頭上です、昨年の有様は幕と交互に垂下る商業施設開業祝いが直径一m大の楠球に当人を隠していた。あなたが炊きつけ僕の解(こたえ)に頼った事件です、よくも覚えていた、記憶の取り出しが滑らか(smooth)という意味です。それは余談として、飾り立てる記念日の品々はぶら下がっていなかった。あくまで予測です」 店主へは口頭で伝えた、非番に捜査権は返上されたばかり、因って捜査資料の持ち出しは不可である。種田は望む仕草に移した、常に戻る、だから苦はない。

「凶器にも『規則』を当て嵌ます」

「店長、それは少々強引過ぎます。いくら店長であっても強引、……あえて止めたんですよう」

「配慮は受取るよ。けれど、『規則』に準じ事件が世のなかに現れるのなら従属を拒んでは理に反する。通用門は打ち塞いでしまう、次の一手は既成概念の破壊だ」店主は長々巻紙の端へあかを塗る。狭まった呼吸域の復拡に用る治療を一概に害と定める、種田はこの煙に嫌悪よりほか何を見出そうか。肩触れる車内同乗者が吸う分はこなすべき仕事、義務だと言い聞かせる。また車内には換気用の窓が鼻高に並ぶ、店内のこの霞の様な充する息苦しい煙とは異なる。だが、彼女はそれでも事件の真相に興味があった。実のところ種田は『規則』の存在をまったくと言っていい、不振な目で見続けた。だがこうして現実に可能性を残す事件解明の接触試策(approach)は『規則』なのだろう。屈辱ではあるし他人にしかも女性に頼むことは過度に憚られ、警察官が日常浴びる市民よりの税金泥棒が揶揄に唯一睨みを利かせた私の自覚(pride)と呼べる視線は楯、導解(みちび)く脳働の見過ごす蔑ろに辛じて虚勢を張れているのに。いけ好かない。海岸沿いの店員といい、弦楽器(guitar)を背負う歌姫といい。種田は吸えもせず、煙草を一本頂戴した。私の方が初心者向きです、と小川の提案を呑んだ。二度、咳き込みそれからは煙を灰に入れる感覚は板に着いた。

 原点の呼吸を今一度確かめるのか痛みを伴う生という実感(じつかん)、なるほどな種田は赤い先を見つめていた。

「凶器は『ある』と『ない』に当て嵌めるなら当然『ない』だろう。しかし振り返ると凶器の形状を僕らは知っていた、どうしてだろう?」煙草を咥える店主は奇術師(magician)の妙技、両手を開き閉じた、こちらを騙しましたとの教示か。小川が我先に食いつく。まるで主人に呼ばれた猟犬を思わせる。従順な牧羊犬。

「そりゃあだって、首をばっさり切り落とすんです、それなりの長さと強度それから凶器を振った速度も必要でしょうよ。日本刀が如何に優れた殺人器だからといって扱い方も習得(master)していなくちゃ、切断面は綺麗だった、刑事さんは言いましたしね」

「うん」

「あの、店長の番ですよ?」

「うん」店主は物思いに耽るみたいにじっと頭上に移した、そこへ目を配る。花形装飾電灯(chandelier)の一輪が微か見える程度だろう。厨房に頼る室内、客間(hall)内の荘厳な照明は店主の右後に位置し夜に蔽(おお)う。そういえば、種田は記憶(うつし)た片平、を捲る。この花形装飾電灯(chandelier)を眺めて去年凶器の在処へ行着いた、あの時もまた店主の視線に釣られたのだ。

 釣られた?!

 並べた画像が次々一目散。開放目掛け広がり迫った。ちらひら白の玉が視界の端々に揺れ、たゆたう。

 高鳴った左胸の臓器が体外に飛び出そうだった、鼻腔から色のつく空気が目に見えて肺が欲しがった。引きあがる眉と供に、「日本刀の外(ほか)は『規則』を充て除外した。無用心で浅はかだと言いたいのであれば、どうぞ忌憚のない助言であると今回は受け止めます」

 正面の小川は目を白黒させる。引き上げた指先の灰が姿を保ち、天板に落ちた。

「刑事さん、それって一体全体……。私たちは思い込まされていたってことですか?」小川の考えが駆ける。「国産の流通網に的を絞った、だから海外製や変形は調査をお座なりに、そう働きかけてしまったと?……『無理』、決付(きめつけ)が変えた向う先」小川は骨董品について調べたのだろう、店の食器を売却した、興味をそそって食指が動いたか。店主に興味を抱く者の勤めというべきか。

「やっぱり小川さん、夜の方が冴えてる」弾む、店主は口元を緩ませた。人間らしさは夜間だろう、種田は思い、呑んだ。店主は落ちた灰を教える。食台(table)は防水加工の油膜(oil coating)、耐水性もさることながら多少の熱処理も天板のオーク材に到達することを防ぐのだ。不要(いらない)ことに意識が向いてしまう、種田も人のことは言えなかった。

 口角をあげる店主はやはり感情が豊かだ。店が醸す気色、時に追われ数時間ののち、深夜特有の自己陶酔によるものとも、種田はみまもる。やっと真相が聞けそうな気が床板にごっそり粘取(ねと)りつく。

「『規則』は凶器を気に居る。考え付かないだろうね、巷で感染するのはそれを使う人間であった。感化された者の生動により、物質つまり道具や物が間接的に波及、塩気を浴び沖へ浚われた。とはいえ事件現場それも凶器に適用されるとまで警察や僕ら一般市民は考え及ばずであった。凶器そのものを誰も目にしてはいない、想像物が各自の脳内で『規則』の処理を施した。自覚症状はほとんど、いや無自覚に等しいだろうね。 好みに応じた具現化を『規則』許す条件だった、これが事の発端です。 あとひと押しで危うく混迷を極めそうな未解決事件に真逆さまに陥(おち)るところだった。もっとも形状を変え軽嵩小型(compact)にしまわれた場合を当初は間違いなきよう広角(ひろ)い視野で真相を探っていた。あるときを境に、という判りやすい境線(line)は通常の解明とは異質であるがゆえ現れてはくれなかった」

「各自が思い思いに想像を巡らした。そして、それらは共通性を帯びた。切断面によって……」小川の口辺は細かく囁きのはずが落し物を呼び知らせる声量である。「だけれどもですよ、軽嵩小型(compact)な携帯性と日本刀に匹敵する切断をやってのける刃物は、科学的な昨今の進歩に資金を惜しみなく注いで特注の一本はできないものですかね?」

「SFや絵動劇(アニメ)のいわゆる光線(beam)状の西洋刀(sabel)をいうのかな?」

「そうそう、丸突出(button)を押すとびぃやっと色色(colorful)な光線が飛び出て、それでずばっと腕と首を切り落とした」

「光線は熱を帯びてるように思うけれどね。切断面は硬い劈(さ)く物質を押しあてた加圧により組織が剖れた」

 店主は私に見た、答る。「仰るように切断面の組織は刃物による一斬が妥当、が鑑識係の報告です。ただし、あまりにも見事だ、という注釈が捜査資料の備考欄に書き加えられていました。珍しいことです」

「相当腕の立つ剣術家がやってのけたか、それともですよ」小川は身を乗り出す。「振り下ろす動作を補助(assist)する機械なんてものがあったのかもですよ」

 得意げに眉を上げた表情の、低照度の円卓(table)真中に浮ぶ。たしかに神業と言わしめた剣技に人外たる機械は全方位動理に適う、だが、種田は伺い主の了承目配せを受け口を開いた。小川が素早く両者を渡る、誤解は放っておく。

「肩口、首の付け根、それに耳や顎など突起を傷つけずそのような機械を介し高い精度が保てますか?」

「わかりません」店主はあっさり匙を投げた、潔さは認める。

「つまり刃物は伸べる長形。携帯性如何は検疑に該(あた)わず、絵空事の領域を出ない。されば『規則』を念頭に掲げるこれまでは推理の破綻と、私は見做します」種田はたちどころに宣じめた。あわや突飛な発想を魅入り縋ろうかと、邪を破る。土台無理な話なのだ……。意を決した訪問を用ってして解決に至らず、彼女に襲う諦めが嵐。一通り順を追い正当性とその正反対に例外に類似を孕む他例を私は寸暇、寝間(ねるま)を惜しみ検討に見返(みかえし)を重ねた。『規則』を凶器に当て嵌める奇抜な展開は特異性がある期待を抱いたのは正直認めよう。それでもだ、日本正と『規則』が急接近事件と関りを見附け初める時期は彼の『規則』を世の流れ、一号店の盛業が渦中に君臨していた、それゆえ事件と『規則』を一緒くたに括りたがる、誤認、確からしい皆思わされていた。突如容疑者に名を連ねたのも、ここ『エザキマニン』の店主が零(こぼ)す訪問客の異種異様な振る舞いがきっかけ。

 いや、種田は今しばらく判断を遅らせる。日本正を容疑者候補(list)に加えるよう働きかければ、私は事件と日本正を結ぶ、結ばせるがため検証に取り組む。……操られていたとでもいうのか、私が?この私が手のひらで踊っていた? 地が傾く、真下を不安定な座ることに向く椅子は片足支えんがためにあらずと波を底より呼び出だす、胸郭はみつちり心揺攻占(せし)める。 頭脳明晰であればこその衝撃だった。彼女は喫煙に心底救われた思い。多少なりとも指先が震える自躰(じてい)は煙の摂取に虚勢を張る態度と思ってもらえる。

 警察の動き、私たちO署の人間に捜査権を譲渡さらに私の来訪まで予想を立てていたとは。

 ならば、日本正と高山明弘の関係示唆とtall building(ビル)内で出くわす二人と我々を引き合わせたとでも?

 この店主はどこまで知る?本人は言う、ほとんどが雑誌・新聞の的をずらした本質らしい外形の情報だけで考察が補う。果たして可能か、種田は問い返した。体内より届き返信は、具体を二つ挙げた。歌手と喫茶店の店員だ。

 確証はなく、おおよその見当で推理は停まった、私の追加情報を聞き腑に落ちた。証拠を待つばかりの推論にはこのときもう至っていたのだ。

 どうなっていやがる、荒荒しい口調は利口の証拠。灰皿が差し出される。一人に一皿。小川が使ってください、目配せ。

 続きを口ずさむ、店主はするり沈黙を縫って出た。頭頂部が吹き飛んだ土台の底、時計が時を刻む。

「形状と構造の追究は無意味でしょうね。見つかりっこない、投げやりにも思います。ただ僕の見限り、お座なりにした箇所が次展に花開く。留まっていては見えてこなかった部分を、何枚かの局面によって殺傷事件は構成されていると考えた」

「さきへと達する路が一区間を殺害たらしめる、あなたは言った。ではその先(・・・)をどのように知れたのでしょう?」矛盾を種田は容赦なく攻め立てた、玲瓏な標準(default)の彼女は奥に引っ込む。「私には皆目見当もつかない」

「そうでした、これは過程を辿っているんだ」呟く小川の俄かに立ち上がる。顔の前で指を自らに向けている。長尺対面台(counter)のお客が呼ぶようだ。窓際を通って視界から消える。店主はその間にさっと煙草を含む。

「殺傷事件は数日が経過した頃、間を狭め聞こえてきました。お客たちは事件の初期段階ではほとんど話題に上げなかったのでしょう。それに事件の前に僕ら店員は他の話題で持ちきりでした」店主の口の左右に引く。微笑と冷眼の中間で言った。「『規則』を押し付ける奇妙な客たちが続々訪れたのです」

「そうなんですかぁ、それはまた大変ですね。ですよね、ここいらでも四店舗ですから、それをいきなりですか、はぁはぁあ、困りましたねえ。それでなるほどう、店長に泣きついたってわけですかぁ、あっと失礼しました、またやってしまった。あのそんなつもりじゃあないんです、はい、本心?本心ではなくて根はいいやつなんです、いいやそれも違うなぁ……」

「灰が落ちますよ」店主の呼びかけに、灰を個定の皿へ叩落(おと)す。あるべき場、画(くぎり)は存在する、雄に雌、補完関係、スチロールの容器と蓋。灰皿は葉巻、この普及のあとに生まれた。生み出されたんだ、種田は下半分を見つめる。『規則』。何かしら制約を課す理由。要因を私は見逃した。訪問客。店主の休憩を狙ってお客たちは給仕をせがんだ、しかしそれがどのような『規則』だというのか。客と主の関係だ、この人物は躊躇わず門前払いを提示するだろう、押しの弱い腰の引けた性質はまったく見受けられない。

「こちらに座りませんか?」店主は訪問客を呼び寄せる、どの辺(へん)に狙いを定める。視線がこちらと鉢合う。佳境(climax)、勘が働き。咄嗟に振り向いた、見覚えはない、胡散臭い整う身なりの男性がゆるり腰をあげて。丁寧にも天板(table)に椅子を上げる。

「ご一緒してよろしいので?」腰を下ろす直前に彼は言った。橋口。遅ればせながら、と名乗った。名刺を手渡される。こちらは一応私事(privete)なので、理由を告げ名刺の交換を嫌った。

 店主はニヤけている。驚いて、あれま、小川は席に着くやいなや、灰と化した煙草に未練がましくがっくり肩を落とす。

 もしも神が世界を創りだし眺めて暇を潰すのであれば、不確定要素を楽しむ。店主は先が見えてる。だから零す。待て、あえてはぐらかすことも、もしやこれは店主の術中なのでは、それならば多少寛大に長時の引っ張りを認してやろう。大局を見定むる性質に移項(シフト)したか、愚にも着かぬ鈍さ。ひとつ前の私は一に答(こたえ)を望む。これは拙劣な舌覚(みかく)と同義だ。死と隣り合わせの苦味を、歳を重ねるごとそれを欲する大人の嗜みだと思込む、蘞(えぐ)み苦みの山野草を子供が嫌うは鋭敏な正しき本来あるべき味覚、そう、生存がための判別なのだ。食し運がよく生きていられた者のこれ々美味なるものよ、害に苦しめば近寄るでない。

 料理人だったか私は、種田は人知れず休息を入れた。店主の紡ぐ答の続きに、待った。

役不足な柔焼菓(sponge cake)と不確かな記憶 7

 はぐらかす説明の施しは意図的な構成が背景に見え隠れする。おそらく何かしらが結実するに違いない、種田は店主がわざと雄弁を気取る様を見抜いた。本質を早く!、急立てる気忙な連中の黙殺には無碍に扱うが適当。これで最大の効用が得られる。店主の解説を内に設ける基点より捕え資料と照合(てらしあわ)す。   

聴覚を矢面(まえ)へ。

「凶器の行方が先を阻んだ。『規則』は必定なり、を犯人は自らにも課していた。目撃者として現場付近の地下道を出くわす現場に仕立てるなら当然、凶器の所持はありえ『ない』でしょう。捕まってしまいます。入念な所持品検査(body check)は任意によって執り行われたのですか?」

「所持品は袋状物入(pocket)を当人が探って出す。手出しは違法と見なされる」

「意識を失った坂上貴美子さんはいかがでしょう」

「彼女も同様に所持品検査は女性警官の立会いの下、これは当人の同意を得ずに調べました。訴えるのならばお好きどうぞ」地上階の捜索に当たる女性警官を地下道まで呼び寄せ、その場で調べた。

「生存確認の一環といえる。非常時に加え紛らわしい発見場所、路上であっても意識の断絶が続くと通常は所持品から身元や連絡先を調べます。違法行為には抵触しません」

「あなたは高山明弘が凶器を所持したまま事情聴取を受けていたとでも言いたいのですか?」音圧が高まる。種田は、訊いた。音に頼る。

「その可能性は十分にあります、またしても可能性の問題でしょうけれどね。大胆だ、非常識だ、捕まるという原則は『善人』が所望であって犯行計画を企てる人物に身勝手にも我々が倫理観を植え付けた、私たちの『規則』が働いてしまったのです」

「続きを」種田は堪えた。

「次はそうですね」店主は灰を落とす。「傘、これはあなたが話してくれた上司の問いかけが補う。その可能性を取り上げること自体、躊躇われた。私は現物を何度か店内で目撃してます、外国の方がお土産で買われる品。夕食(dinner)には外国のお客が周辺他店に比べ食台(table)を占める。彼らは侍に憧れを抱いてます」

「凶器と覚しき傘を携え目撃を逃れたと?、それに携帯していたのは日本人です」橙と緑の傘に紛れたと、柄や鍔を模した偽刀を傘で一括りには凶器とおよそ見当がつく、周辺を聞き込む人員はすべからく切味を目に焼き付けた。出会えば連想するだろう。

「外形(フォルム)は日本刀で、用途は雨具。刀らしき傘は雨天に限らずぶら下がる、忘れ物が多くて困ります」

「ですから所持は日本人で、駅員に助けを求めた時の高山明弘は鞄をひとつ持つだけで、雨具の類すら持っていない。それとも殺害後駅を出て凶器を隠したとでも言われるのですか?入念に駅の外周も捜査対象に広げて調べました、半日かけて。凶器に適う拾得物の報告はありません」週初、市民団体『MOTHER PLANETS(マザープラネッツ)』が自意支援(volunteer)活動の『育む心、それは足下から』と題しS駅より南は大通りへかけた駅前通りやS川通りなど主要な通行経路を綺麗さっぱり掃き清めていた。

「もっとも有力な回答は単純な組み合わせ、凶器を持ち出した共犯者の存在をどうもあなた方警察は忘れたがっている節があった。駅構内に限った事件であってくれ、完遂・完結を願った。昨年の事件で警察と駅側は相当協議を重ねていたはずです。乗客の安全確保を図れない運営に身を任せられるのか、乗客の不満は想像に容易かった。S駅に失態は許されない、という特異な状況が日常になりつつあったさなかの大惨事、しかも薄れかけた昔歳(せきさい)彷彿たる事件に弁解の余地が残されている楽観的な考えは入社間もない駅員でも運営の危機を読み取ったでしょうね。すなわち、凶器の発見には至らず犯人が巧みに姿をくらまして持ち去った、という思い込みを駅員、警察は選んだ、これも『規則』です。駅構内及び外周でも見当たらないのならば、いっそのこと忍者のように消えた犯人ともどもが理想的。単独の犯行、凶器を携行し現場を立ち去る。駅利用はこれっきり、与り知らぬ事情がゆえ対象者は殺されたんだ、自分たちに都合の良い物語を想像してしまった。安全な駅、死体を搬出、痕を綺麗に清掃、警察が去る、始発には間に合わないが正午過ぎには現場の覆いを取り去りたい」

「前例に感化された」認めてやる、だが、「調べを尽くす我々は揺るがない」威圧を込める種田は嗚咽を受け入れ顎を引き、店主を見据えた。

「多岐に弥(わた)る選択に囲まれて、私たちは生きる。その選択はしかし、昔日までの生活と密接に関わり、一筋縄でおいそれと対岸に渡れはしない。選ぶ予備動作、心備えと暮らしようやく向岸に降立つ。しかしこれを忘れずに、可及的速やかを逼られ吟味の暇なく応じてしまう状況下は存在しますね」

「危機」

「恐驚(crisis)は突如表れ出でる。取るべき行動は主の防備、生理機能の働きがこれまでの慣習を平然軽々飛び越えた。駅職員と警察官はそういった心理状態にこの先の身を耐えた厄介な業務を瞬時、現場と対峙し明在(ありあり)思い浮かべてしまった」

 小川が席に戻った。長尺対面台(counter)のお客は喉を鳴らす。

「仮に『規則』が働いたとしましょう」憤懣遣る方ない。が、ここは引く。攻めてばかりは相手が手の内は一生隠し果せる。厄介な手練。「凶器は第三者、協力者に手渡し現場から消えた。問題は犯人です。逃げられたのになぜその場に留まったのか、理解しかねますし合理をまるで忘れています、企てた者が、です。計画的とあなたは言いたげだ、にも拘らず高山明弘は企てた殺害を実行、それから目撃者に名狸(なり)澄ました。南口から凶器を手渡したのだとすればそのまま屋外に逃げられた。悪戯(game)のよう逮捕までを楽しむ?そのような逃げ道は受け付けられないっ!」

「凶器は本来見つかるべきなんだ」

「どういうことです?」声を弾ませて小川がきいた。店主はそちらに顔を向ける、向けていた。窓は外、色つきの分厚い硝子に屈折し内が届く。

「考えてみて。凶器が残される、犯人は行方を晦ませた。となると警察は丹念に凶器を調べるだろうね。もちろん周辺の捜査も平行して行うはず。人員を二班に分ける。手薄な追跡をやり過ごせれば好い、犯人は安全な場所を確保していた、一時的な避難場所に身を寄せて時機を見計らい、離れる。いずれにしろ上策だった、最たる物証の凶器を忘れようにも鮮血に染まる、何かしら含意のある行動と診る、大いにありうると思う。たとえば、持ち去る刃物に身元を示す証を意に反して憑けてしまうとかね」

「店長にしては、憶測の部分が多いですね。固有名詞が少なくて、その、非常に危うい、いいや曖昧、です」

「いくつかの可能性を浚ってそこからさらに、熟考を重ねるのは一般的な感覚に近いと、僕は思うよ」灰皿にフィルターが増えた。白い白衣(はくえ)にうす白の捲くる腕を較べろ、ひとつ咳をした。「献立(menu)を考えるときも同じ手順を踏むしね」

「それはちょっと興味がありますねぇ」

「事件に戻ってください」あくまでこれは私事(private)。とはいえだ、真相解明の題(テーマ)を設ける。いざとなれば、鈴木か相田を叩き起こして職務の遂行を強行するつもり。おかしいのだ、まったくの不都合が生じずに事が収まるとは、どうして思えない。

 高山明弘と目撃者と日本正が同一人物であってたまるものか!種田の片頬が微細な電流を帯び、短く切り揃う細い黒髪は逆立つ、現実のそれは重力に従う。

「献立と推理の構図・構成は通う、刑事さんも目くじらを立てず聞いてください」

「刑事さん、お願いしますぅ」風が起る、固く閉する小川の瞼、その間(うち)へ両手がぴたり合わさる。

「……遠回りと私が(・・)判断した場合進路の変更を告げます、そのつもりで」小川はガッツポーズ、水筒に肘を当てあたふたと円卓(table)は転がり筒と戯れ。

「まず結(むすび)を立てる。〝刃の行方(ゆくかた)〟を終点の一つ前へ据えよう。分岐点は必ず通らなければならない。事件の道筋を辿ると出発点は殺意の撃起、計画に引き戻るね。無意に殺めた、この『規則』を準用した捜査であると、『規則』が発動したまさにそのとき、殺害が出発だ。僕は分れる程(みち)を同時進行で答えに導く。初歩的な遣り方は、片一方の行き詰まりにもう片方へあっさり切り替える、きっぱり忘れ去る度胸が功を奏す。だらだら未練がましいのは、どっちつかずで半端に終わってしまうからね。さて、順に遡るとなにかの意に従うそれは、凶器を持帰るという凄惨な現場で求められた行動だった。しかし、平常異常によらず嵩張(かさば)って目に付く。服の下に隠そうにも、察して余りある。これに後の所持品検査を偶然にせよ逃れた事実を踏まえる、当初から携行は実行より除外されていた。では、何所へいったか。先の予測は第三者へ受渡したと話した。ただ、警察は万事手順に則る。包囲網をすり抜けて、 現場に出入りする存在は俄(にわ)かに信じ難い。空想を意(い)う南口は人払いの対象区域であったにせよ、です。だからこそ凶器の受け取りに最適な環境といえてしまえる。どちらもありうる。二つの選択肢で立ち止まった場合、私はさらに枝葉を分つ。複雑で覚えられないという方は、図に表すとよいでしょう。知視覚による捉直(そくち)が得られる反面、考える機会を観るに代えてしまう、一二度が頼るのが望ましい。主題を決めたばかり、未地へ挑む、瞬く間中空へふらりふら甘考漂うものなら即時無に切れ消え。この性質は覚えておくように」

 小川は細かく頷く、見開く瞳はぎらぎらと珠の裡(うち)出でて。

度を越える顎に当てた片手も円卓の下にしまい、背筋も伸ばすか。するする巻き取られる雲は視界を広げた。疑い、が晴れる。慎み傍へ控える夢と憬れ傍に張つく現実を行きつ戻る、水浸(ふやけ)た意志は私の億段だった。

 これが六本目、煙草の先が染まる。店主は惰性の喫煙をあえて摂取するのです、そっと合わさる瞳は意に反する胸中を前面に押し出してた。進論と喫煙は相思の間柄か、種田は聞入る。

「凶器はS駅構内に隠匿せしめたならを、先ず紐解いてみます。想像せずと隠し場所の在処は明らか、改札の目の前自動階段(escalator)を右手に数列の長椅子(bench)。一目散に警察が調べたでしょうね裏側も。不適当。観葉植物はどうか、長椅子(bench)の四隅に大鉢、隣構する売店の両脇にも低木を二鉢を置く、しかしどちらも太長な幹と垂下る大葉(たいよう)は備えていなかったと思います。いかがでしょう、刑事さん」

「了承を前提に進めてられては?意に反した、私は口を挟む」

「それは私も助かります。拍子(rhythm)は大切ですから、料理においても」

「店長それは、あっとまた々邪魔を入れましたけど、拍子(rhythm)って千切りや包丁使い全般のことですかそれとも、起きていなくちゃ、常に考え続ける連綿とした流れが必要なのですか。私、数学はからっきしにっちもさっちもいかなくって、どうにもこうにもでしたもん」

「質問の後半分はよくわからない、けれど、うん、小川さんがいう論理的な考動にとって流れは重要だろうね」店主は灰皿を叩いた。拍定間(rhythm)。「話しながら考える、とでもいおうか。料理にたとえるなら食物の出生・出自の背景、来歴、舞台裏を僕の狭薄な庭で捏ねくり回す。片指を余す実知だ、ざっと基幹を浚い正誤不問の稀代(けたい)な想像で見極める。すると調理の取っ掛かりを食材が訴える、ごく限られた可能性であればやってみよ、とね」店主は頷く小川を確かめ、離脱した。説明口調に戻る。視線は窓、やや下方か、洩れる明りに二人席の天板あたりを眺めていた。「駅構内はそのほかに南口に穴開き硬貨らしき石物と真赤な円錐の無気物(オブジェ)、店舗紹介の掲示板、僕の記憶だとごみ箱は長椅子(bench)と売店、通路を間に雑誌と書籍販売専門の売店角の自販機にそれぞれ置かれる。だが、入念な捜索も空しく凶器は回収されなかったとのこと。駅構内を這い蹲り調べたなら見落としたかもしれません。頭上です、昨年の有様は幕と交互に垂下る商業施設開業祝いが直径一m大の楠球に当人を隠していた。あなたが炊きつけ僕の解(こたえ)に頼った事件です、よくも覚えていた、記憶の取り出しが滑らか(smooth)という意味です。それは余談として、飾り立てる記念日の品々はぶら下がっていなかった。あくまで予測です」 店主へは口頭で伝えた、非番に捜査権は返上されたばかり、因って捜査資料の持ち出しは不可である。種田は望む仕草に移した、常に戻る、だから苦はない。

「凶器にも『規則』を当て嵌ます」

「店長、それは少々強引過ぎます。いくら店長であっても強引、……あえて止めたんですよう」

「配慮は受取るよ。けれど、『規則』に準じ事件が世のなかに現れるのなら従属を拒んでは理に反する。通用門は打ち塞いでしまう、次の一手は既成概念の破壊だ」店主は長々巻紙の端へあかを塗る。狭まった呼吸域の復拡に用る治療を一概に害と定める、種田はこの煙に嫌悪よりほか何を見出そうか。肩触れる車内同乗者が吸う分はこなすべき仕事、義務だと言い聞かせる。また車内には換気用の窓が鼻高に並ぶ、店内のこの霞の様な充する息苦しい煙とは異なる。だが、彼女はそれでも事件の真相に興味があった。実のところ種田は『規則』の存在をまったくと言っていい、不振な目で見続けた。だがこうして現実に可能性を残す事件解明の接触試策(approach)は『規則』なのだろう。屈辱ではあるし他人にしかも女性に頼むことは過度に憚られ、警察官が日常浴びる市民よりの税金泥棒が揶揄に唯一睨みを利かせた私の自覚(pride)と呼べる視線は楯、導解(みちび)く脳働の見過ごす蔑ろに辛じて虚勢を張れているのに。いけ好かない。海岸沿いの店員といい、弦楽器(guitar)を背負う歌姫といい。種田は吸えもせず、煙草を一本頂戴した。私の方が初心者向きです、と小川の提案を呑んだ。二度、咳き込みそれからは煙を灰に入れる感覚は板に着いた。

 原点の呼吸を今一度確かめるのか痛みを伴う生という実感(じつかん)、なるほどな種田は赤い先を見つめていた。

「凶器は『ある』と『ない』に当て嵌めるなら当然『ない』だろう。しかし振り返ると凶器の形状を僕らは知っていた、どうしてだろう?」煙草を咥える店主は奇術師(magician)の妙技、両手を開き閉じた、こちらを騙しましたとの教示か。小川が我先に食いつく。まるで主人に呼ばれた猟犬を思わせる。従順な牧羊犬。

「そりゃあだって、首をばっさり切り落とすんです、それなりの長さと強度それから凶器を振った速度も必要でしょうよ。日本刀が如何に優れた殺人器だからといって扱い方も習得(master)していなくちゃ、切断面は綺麗だった、刑事さんは言いましたしね」

「うん」

「あの、店長の番ですよ?」

「うん」店主は物思いに耽るみたいにじっと頭上に移した、そこへ目を配る。花形装飾電灯(chandelier)の一輪が微か見える程度だろう。厨房に頼る室内、客間(hall)内の荘厳な照明は店主の右後に位置し夜に蔽(おお)う。そういえば、種田は記憶(うつし)た片平、を捲る。この花形装飾電灯(chandelier)を眺めて去年凶器の在処へ行着いた、あの時もまた店主の視線に釣られたのだ。

 釣られた?!

 並べた画像が次々一目散。開放目掛け広がり迫った。ちらひら白の玉が視界の端々に揺れ、たゆたう。

 高鳴った左胸の臓器が体外に飛び出そうだった、鼻腔から色のつく空気が目に見えて肺が欲しがった。引きあがる眉と供に、「日本刀の外(ほか)は『規則』を充て除外した。無用心で浅はかだと言いたいのであれば、どうぞ忌憚のない助言であると今回は受け止めます」

 正面の小川は目を白黒させる。引き上げた指先の灰が姿を保ち、天板に落ちた。

「刑事さん、それって一体全体……。私たちは思い込まされていたってことですか?」小川の考えが駆ける。「国産の流通網に的を絞った、だから海外製や変形は調査をお座なりに、そう働きかけてしまったと?……『無理』、決付(きめつけ)が変えた向う先」小川は骨董品について調べたのだろう、店の食器を売却した、興味をそそって食指が動いたか。店主に興味を抱く者の勤めというべきか。

「やっぱり小川さん、夜の方が冴えてる」弾む、店主は口元を緩ませた。人間らしさは夜間だろう、種田は思い、呑んだ。店主は落ちた灰を教える。食台(table)は防水加工の油膜(oil coating)、耐水性もさることながら多少の熱処理も天板のオーク材に到達することを防ぐのだ。不要(いらない)ことに意識が向いてしまう、種田も人のことは言えなかった。

 口角をあげる店主はやはり感情が豊かだ。店が醸す気色、時に追われ数時間ののち、深夜特有の自己陶酔によるものとも、種田はみまもる。やっと真相が聞けそうな気が床板にごっそり粘取(ねと)りつく。

「『規則』は凶器を気に居る。考え付かないだろうね、巷で感染するのはそれを使う人間であった。感化された者の生動により、物質つまり道具や物が間接的に波及、塩気を浴び沖へ浚われた。とはいえ事件現場それも凶器に適用されるとまで警察や僕ら一般市民は考え及ばずであった。凶器そのものを誰も目にしてはいない、想像物が各自の脳内で『規則』の処理を施した。自覚症状はほとんど、いや無自覚に等しいだろうね。 好みに応じた具現化を『規則』許す条件だった、これが事の発端です。 あとひと押しで危うく混迷を極めそうな未解決事件に真逆さまに陥(おち)るところだった。もっとも形状を変え軽嵩小型(compact)にしまわれた場合を当初は間違いなきよう広角(ひろ)い視野で真相を探っていた。あるときを境に、という判りやすい境線(line)は通常の解明とは異質であるがゆえ現れてはくれなかった」

「各自が思い思いに想像を巡らした。そして、それらは共通性を帯びた。切断面によって……」小川の口辺は細かく囁きのはずが落し物を呼び知らせる声量である。「だけれどもですよ、軽嵩小型(compact)な携帯性と日本刀に匹敵する切断をやってのける刃物は、科学的な昨今の進歩に資金を惜しみなく注いで特注の一本はできないものですかね?」

「SFや絵動劇(アニメ)のいわゆる光線(beam)状の西洋刀(sabel)をいうのかな?」

「そうそう、丸突出(button)を押すとびぃやっと色色(colorful)な光線が飛び出て、それでずばっと腕と首を切り落とした」

「光線は熱を帯びてるように思うけれどね。切断面は硬い劈(さ)く物質を押しあてた加圧により組織が剖れた」

 店主は私に見た、答る。「仰るように切断面の組織は刃物による一斬が妥当、が鑑識係の報告です。ただし、あまりにも見事だ、という注釈が捜査資料の備考欄に書き加えられていました。珍しいことです」

「相当腕の立つ剣術家がやってのけたか、それともですよ」小川は身を乗り出す。「振り下ろす動作を補助(assist)する機械なんてものがあったのかもですよ」

 得意げに眉を上げた表情の、低照度の円卓(table)真中に浮ぶ。たしかに神業と言わしめた剣技に人外たる機械は全方位動理に適う、だが、種田は伺い主の了承目配せを受け口を開いた。小川が素早く両者を渡る、誤解は放っておく。

「肩口、首の付け根、それに耳や顎など突起を傷つけずそのような機械を介し高い精度が保てますか?」

「わかりません」店主はあっさり匙を投げた、潔さは認める。

「つまり刃物は伸べる長形。携帯性如何は検疑に該(あた)わず、絵空事の領域を出ない。されば『規則』を念頭に掲げるこれまでは推理の破綻と、私は見做します」種田はたちどころに宣じめた。あわや突飛な発想を魅入り縋ろうかと、邪を破る。土台無理な話なのだ……。意を決した訪問を用ってして解決に至らず、彼女に襲う諦めが嵐。一通り順を追い正当性とその正反対に例外に類似を孕む他例を私は寸暇、寝間(ねるま)を惜しみ検討に見返(みかえし)を重ねた。『規則』を凶器に当て嵌める奇抜な展開は特異性がある期待を抱いたのは正直認めよう。それでもだ、日本正と『規則』が急接近事件と関りを見附け初める時期は彼の『規則』を世の流れ、一号店の盛業が渦中に君臨していた、それゆえ事件と『規則』を一緒くたに括りたがる、誤認、確からしい皆思わされていた。突如容疑者に名を連ねたのも、ここ『エザキマニン』の店主が零(こぼ)す訪問客の異種異様な振る舞いがきっかけ。

 いや、種田は今しばらく判断を遅らせる。日本正を容疑者候補(list)に加えるよう働きかければ、私は事件と日本正を結ぶ、結ばせるがため検証に取り組む。……操られていたとでもいうのか、私が?この私が手のひらで踊っていた? 地が傾く、真下を不安定な座ることに向く椅子は片足支えんがためにあらずと波を底より呼び出だす、胸郭はみつちり心揺攻占(せし)める。 頭脳明晰であればこその衝撃だった。彼女は喫煙に心底救われた思い。多少なりとも指先が震える自躰(じてい)は煙の摂取に虚勢を張る態度と思ってもらえる。

 警察の動き、私たちO署の人間に捜査権を譲渡さらに私の来訪まで予想を立てていたとは。

 ならば、日本正と高山明弘の関係示唆とtall building(ビル)内で出くわす二人と我々を引き合わせたとでも?

 この店主はどこまで知る?本人は言う、ほとんどが雑誌・新聞の的をずらした本質らしい外形の情報だけで考察が補う。果たして可能か、種田は問い返した。体内より届き返信は、具体を二つ挙げた。歌手と喫茶店の店員だ。

 確証はなく、おおよその見当で推理は停まった、私の追加情報を聞き腑に落ちた。証拠を待つばかりの推論にはこのときもう至っていたのだ。

 どうなっていやがる、荒荒しい口調は利口の証拠。灰皿が差し出される。一人に一皿。小川が使ってください、目配せ。

 続きを口ずさむ、店主はするり沈黙を縫って出た。頭頂部が吹き飛んだ土台の底、時計が時を刻む。

「形状と構造の追究は無意味でしょうね。見つかりっこない、投げやりにも思います。ただ僕の見限り、お座なりにした箇所が次展に花開く。留まっていては見えてこなかった部分を、何枚かの局面によって殺傷事件は構成されていると考えた」

「さきへと達する路が一区間を殺害たらしめる、あなたは言った。ではその先(・・・)をどのように知れたのでしょう?」矛盾を種田は容赦なく攻め立てた、玲瓏な標準(default)の彼女は奥に引っ込む。「私には皆目見当もつかない」

「そうでした、これは過程を辿っているんだ」呟く小川の俄かに立ち上がる。顔の前で指を自らに向けている。長尺対面台(counter)のお客が呼ぶようだ。窓際を通って視界から消える。店主はその間にさっと煙草を含む。

「殺傷事件は数日が経過した頃、間を狭め聞こえてきました。お客たちは事件の初期段階ではほとんど話題に上げなかったのでしょう。それに事件の前に僕ら店員は他の話題で持ちきりでした」店主の口の左右に引く。微笑と冷眼の中間で言った。「『規則』を押し付ける奇妙な客たちが続々訪れたのです」

「そうなんですかぁ、それはまた大変ですね。ですよね、ここいらでも四店舗ですから、それをいきなりですか、はぁはぁあ、困りましたねえ。それでなるほどう、店長に泣きついたってわけですかぁ、あっと失礼しました、またやってしまった。あのそんなつもりじゃあないんです、はい、本心?本心ではなくて根はいいやつなんです、いいやそれも違うなぁ……」

「灰が落ちますよ」店主の呼びかけに、灰を個定の皿へ叩落(おと)す。あるべき場、画(くぎり)は存在する、雄に雌、補完関係、スチロールの容器と蓋。灰皿は葉巻、この普及のあとに生まれた。生み出されたんだ、種田は下半分を見つめる。『規則』。何かしら制約を課す理由。要因を私は見逃した。訪問客。店主の休憩を狙ってお客たちは給仕をせがんだ、しかしそれがどのような『規則』だというのか。客と主の関係だ、この人物は躊躇わず門前払いを提示するだろう、押しの弱い腰の引けた性質はまったく見受けられない。

「こちらに座りませんか?」店主は訪問客を呼び寄せる、どの辺(へん)に狙いを定める。視線がこちらと鉢合う。佳境(climax)、勘が働き。咄嗟に振り向いた、見覚えはない、胡散臭い整う身なりの男性がゆるり腰をあげて。丁寧にも天板(table)に椅子を上げる。

「ご一緒してよろしいので?」腰を下ろす直前に彼は言った。橋口。遅ればせながら、と名乗った。名刺を手渡される。こちらは一応私事(privete)なので、理由を告げ名刺の交換を嫌った。

 店主はニヤけている。驚いて、あれま、小川は席に着くやいなや、灰と化した煙草に未練がましくがっくり肩を落とす。

 もしも神が世界を創りだし眺めて暇を潰すのであれば、不確定要素を楽しむ。店主は先が見えてる。だから零す。待て、あえてはぐらかすことも、もしやこれは店主の術中なのでは、それならば多少寛大に長時の引っ張りを認してやろう。大局を見定むる性質に移項(シフト)したか、愚にも着かぬ鈍さ。ひとつ前の私は一に答(こたえ)を望む。これは拙劣な舌覚(みかく)と同義だ。死と隣り合わせの苦味を、歳を重ねるごとそれを欲する大人の嗜みだと思込む、蘞(えぐ)み苦みの山野草を子供が嫌うは鋭敏な正しき本来あるべき味覚、そう、生存がための判別なのだ。食し運がよく生きていられた者のこれ々美味なるものよ、害に苦しめば近寄るでない。

 料理人だったか私は、種田は人知れず休息を入れた。店主の紡ぐ答の続きに、待った。

役不足な柔焼菓(sponge cake)と不確かな記憶 6

 規則に従う、私たちを含めたS市民の扇動・洗脳は水面下で日常生活に私たち自身が取り入れた。店長は言切る。各自に付与された規則は単数複数、幾多、数多。外に目の向くいわゆる社交的な人は自害を招く内省侵食に独立した個人の復旧に、山篭りや孤島の野生種続(survival)が有効的な手段。世を賑せた開業前の受賞式典を転機に日本正は一躍、話題性と情報媒体(media)がこぞって取り上げた助走が開店を皮切りに花開いた。規則の登場を店長の身は感取(かんじとっ)ていた、私もその体験者の一人で特に奇怪な来客と立て続けて遇ったことは不思議に捉えていた。一ヶ月に一度、季節の変わり目とか朝晩の気温差が著しい時期、あとたとえば最近表舞台の出演が減った俳優の訃報を耳にしたときは大概前日前々日が気温の日較差は顕著な推移を示す、とははっきり確かめていないにしても私も寝つきの悪さや鼻水、咳等の体調不良の諸症状がその近辺で現れやすい。……おかしな言動のお客は溜め込む精神疲弊(せいしんひへい)などの体の不具合を気候の変動という外的な働きかけにこのまま次の季節に突入してはあなたの体は持ちません、ここいらで膿を出し切りましょう、そうして異常行動に走ったはず。ただ店長曰く、個人が生来備えた倫理規範をこっそり書き換えたため当人はあたかもこれまでの規律に即して生きているつもりであって、それが『記憶の誤信』に似る状況を招いた。

 店長は鮮やかな解説に打って出た。高域変速(shift up)というよりかは、一段下げて回転数の高い回転力(torque)重視の前進遊戯に興じているふうだった。楽しげにさえ私には映った、私たちには先ず晒したりはしない、笑みさえ称えていた。店長は端的な言い回しを多用することで長考に陥る刑事を気遣う始末。焼いているなどは想像も遣ろうとするなら寝首を掻ききる。だって思えた私はつまりは、音を戻そう。

「自称目撃者で現在は容疑者の高山明弘さんは地下道の鎧戸(shutter)を広場側で待った。自動式の鎧戸(shutter)が突然稼動を始めた、その内部に咄嗟に入ろうとするでしょうか、一般的な感覚とは些(いささ)かずれを感じます。故に鎧戸(shutter)内で駅員と出くわす彼は凄惨な死体を網膜に写し取りながら守勢に回る本能とは真逆の行動を選んだ。恐慌(panic)に陥る言動でしたね、駅員に事態を伝えるときは。、矛盾した行動です、もちろん恐慌(panic)だから不確な動きをしてしまった可能性はなくもない。ただそう言えるなら、十五分もの間をおろおろと地下道を歩き回っていたのか、という怪しさが表層を占める。腰を抜かした、手を拱(こまね)いていたかもしれません。であるなら、追加の目撃証言を忙しさを楯に面会を拒むも電話口では素直に応じたその数回になぜ詳細を語らなかったのでしょうか」

 店主は引き抜いた命吹(い ぶ)き。いつも酸素を補う、そう思えてしまう。小川は店長を真似て煙を吸い込んで、むせた。口元に夢中になりすぎたあまり行為と意思が均衡(balance)を失った。彼女は目を瞬かせる。

「行動と思考が均衡(balance)を失う、不規則(anbalance)な動きが生まれやしませんか。緊張で舞台上で両手両足が、こうナンバ歩きのように揃って出てしまう。伝えたいけれど、伝えられない、どこへ連絡をしていいものやらで、感覚に狂いが生じた。それにもしかするとですよ、死体が出現した時間だって終電の前とは限りませんもん」

 店主と種田は顔を見合わせた。店主が言う。「もっとも読違(misread)されやすい箇所だね、そこは。僕も考え付かなかった」

「同意見です」

「……私ぃ、もしかして難事件の真相とやらを偶然見つけちゃいました?」意図せずに願った希望が叶うときは稀に引き起こる。これが棚から牡丹餅なのかも。

「中らずとも遠からず」店主はいたずらな表情を浮かべ、小川の、安佐の濾過膜(filter)を通した映像の店主は至って無表情な創面(かお)で、なにやら隣の刑事と示し合わせた。褒められた温もりと眠気が混在、またまた音が途切れた。しか、と視線が交じり店長の口が言う。「早現遅反(time lag)の検証は目撃者である高山明弘さんの関与に疑いを抱いた折節に、改めて見直す別角度の可能性なんだ。初動捜査から付近の聞き込み、被害者の身辺を洗う段階で目撃者を容疑者と見定める扱(あつかい)は身に染みついてる警察だろうから、あえてそこを避けた捜査が優先されてしまった」

「つまりはそれを最初に疑ってしまっては逃走を図る容疑者の手助けを捜査の遅れが後押しする形になる、ということですかね」小川は上瞼に黒目を寄せる、呟きは自信のなさの現われ。

「『規則』だね、これは」

「うへぇ、こんなところにまで規則が幅を利かせていたとは……」小川は感心する。「正直言って捜査はほぼ予想内、想定した未来を歩かされていたのか、ふむふむ」

「以前にもS駅で事件が起きていますね?」

種田は店主の問いに答える、決まりきった往復の幅。「一年前類似の殺傷事件が起きてます」

「おう、そういえばそうですよ」言われてみるとあれは物議扇醸(sensational)な事件だった。大事なことをどうして忘れてたんだろうか、小川は不向きな頭脳労働に乗嵌(のめり)込む。燃えた跡の灰を測る、ちょくちょく灰やいかがかしら侵食具合は、確かめる。灰と消えたから忘れることを厭わない、あるいはもっと重大な事件に掻き消されていたからか?どうにも不自由な頭脳よ、記憶力はそれなり優れている、お世辞抜きに物覚えは良いのだ。勤務中に問うた記憶は、ある。私はたぶん店長に「物騒ですね」、とか地下鉄乗場ではあんまり事件の話題を聞きませんけど、電車は表を走る代償に目間巡(めまぐる)しい車窓の飛入(ひいん)と牛牛(ぎゅうぎゅう)詰めの車内が襲って降りて一早く鬱憤を晴らしたいのかしらんと不躾に尋ねてた、後悔は都合よくこれまた隠蔽、忘れていたんだ。小川は胸骨、首の付け根から片方へ傾けた。

「有名人、僕は顔も名前も知らない、醜事(scandal)が時事掲載の取扱いを最小に抑えたんだ。お客さんの忘れ物は特に多かったからね、持ち歩くには不要な、店で読み終わり席に捨てた、というほうが正当かな」店長は忘れ物の雑誌類を持ち帰る、世間の流れを遅れて遠くより辛くも得る、それほど必死には、うん、図表(graph)、計数を観ているのよ。あの時期の異変といえば、芸能人が薬物違反で捕まった。連日世間を賑わせたのが、そう殺傷事件の翌日だった。ああ、朧気ながら思い出してきたぞ。小川は煙を吸い込む。店長たちが褒めた思違(misread)っていうのはもしかすると……、小川は思いつきを言う。

「去年の殺傷事件は芸能人の逮捕劇に隠されて、今年のと去年の関連を疑いすら抱かせず排除してしまった」

「小川さん、深夜の時間帯は冴えてるね」

「普段は鈍感だと聞こえます」それじゃあ、私があんまりである。

「受け取り方は任せるよ」

十五%を超え傾く、吹玖(ふき)硝子を横切る白光が放射状窓に溢れ覆い、流れた。

「南口の利用を西中央広場(concourse)へ、出入り口が意匠によらず向う先へ偶然であれ誘導を成し遂げた」種田は平板な調子を守る、店長と堅苦しさはどっこいどっこい。もしかしたら高尚な家柄、うーん貴族は似合いそうだ。社長令嬢の自由奔放さは子供の時分、矯正でもって押さえつけられた。勝手な想像である。多少これで眠気は吹き飛んだな、休憩は大切、店長の教えが身に染みてますとも。

「あなた方は南口西中央広場(concourse)の入念な再捜査は済ませたましたね?」店主はいった。

「警察の捜査に不手際があったのですかぁ?」小川は高い声を出した。

「聞き込みに不備の要素はありません。ただ」

「ただ?」

 種田の目が閉じて開く。

「『PL』の店主日本正の逮捕を質問冒頭に告げると前回は『はい』か『いいえ』だった端的な返事が具体性を帯びなおかつ分単位の時刻を堰を切り事件当日の情報提供に協力をしてくださいました。信じる教祖は偽、無条件に崇めた偶像視を他人の通告により端と我に返る。我、己、自分、私、僕などはどだい他者との関係で作られた幻像(hologram)ですから。私が嘘を与えていた場合も聴取の対象である駅の利用者はそのでまかせを所持したでしょう」また赴き、初めての待ちに待って、知らぬ存ぜぬ。、貴重な機会を奪われては困る。利用者の関心、と対極の無関心へ働いた一度目の聴取、ということ。

「刑事さんも結構お喋りな性質ですね、隠してましたねぇ」

 種田は小川の陽気なはしゃぎように見向きもしない、煙とcoffee(コーヒー)を嗜む店長にぞっこんである。眼球が捉える店長、側面。体ごと、上半身を腰を軸に回転させると威圧感が生まれ話しにくさが増してしまうから、けれど周囲の観測だよ、店長を凝視するこの人は、思慕のそれこそ桜桃の色香が漂いくる。店長相手では誰だって特に年齢が近いのならば、私情に走りがちな止めようにも制御はおこがましい。衝動とやらは手強い、手綱と鞭に頼ずにはいられんのだ、風見鶏は同じ方角を示す。……変だぞ。日本正が捕まったのだよな?あれれ、どこで引っかかる?解答欄が妙に広く物足りない。なにか、忘れてる気がする。

 店長は煙を吐いて、座り直した。一度、長尺対面台(counter)の客に視線を送る。愛想笑いと軽い会釈、足を閉じて座る態度はこれからが仕事。よそ行きの格好を待機中にも維持をしなくては。そうはいっても普段の生活態度が礼節に則る生き方であると居住まいを延々と正す時流は平常の移ろいなのでのほほん、腰掛けていられる。

 危うくだ。不断の回答、その始まりを聞き逃すところだった。これほど多彩な声響と抑揚、聴衆への気遣いは今回限りに違いない。店長だって私と同属、夜行星の出身だろう。朝型を習慣づけているものの、侘(わびし)い位の寝夜が心地良いに決まってる。店主の声は古い映画みたいに砂羅(ざら)つき雑音(noise)だらけだった。

「崇め奉るに値するか否か、外気に触れた作用が正気を取り戻す、還る境線(line)を上回った。日本正の地位陥落は駅利用者の証言を覆した。刑事さんの執拗な聞き込みを以ってしてようやくです、事実の縁に手を鉤けた。事件の大部分は淡々そして黙々と断崖へ放り出される、両足片手は谷底を行過る突風の煽りに耐え凌ぐ。ぺらん片石(へんせき)崩れて多少の取っ掛かり、希望が見え始めましたかね。『規則』は対象者の変容によって解除されるという大よその向きを、僕は立てた。刑事さんの調べでやっと確証に変わった、感謝します。憶測で講釈を垂れるのはいささか気後れしますし、曲りなりに店主の名を冠する、従業員の手前指導者の立場を優先するでしょう。もっとも私ひとりであったなら、警察の応対は入店直後にきっぱり退出を命じてます、談笑する隙を見られてた、私の落ち度です。『規則』に戻りましょうか、考察を打ち明けるには前奏がどうやら必要らしいですね、どうにもいつもとは勝手が違う。さあて、、一年前の事件に著名人の不正を宛て隠匿し、関連を疑われる先日の殺戮をも過去が別件と思い込ませた。これの応用、南口を通過(つか)う週末の利用客は誘導に遭遇し、与えられた『規則』は彼らの自覚を意識によらず上書きする。誘いに時の過ぎる、表出、体は正直です、最終電車の時間が迫る、家帰(かえ)るために『規則』を改めて読込む利用客は、南口を選んだ。西中央広場(concourse)の選由、誘導をこれはすっかり塗り替えた、。日本正の逮捕後、彼の『規則』を脱ぎ捨てる利用客たちの再聴取で得た証言すべてがと言い切りましょう、現在まで堰止められたのです。利用客は誘導を不振めいて見つめた時期をさらり、手放した。結目(むすびめ)の解どき満足したところへ現れるがひとつ前の結目(むすびめ)、玉が目留(と)まります。そればかりか、手繰り寄せるきっかけを利用者たちは奪われた。二つ下を思い出せましょうか。無意識を拭うと現われた自覚、生乾きなら記憶の隅に隠れ、擦る。騙された。、前色を知覚したら七情の発露。 犯人の思惑通りにことは進められてしまった」

見惚れ、方や流れまいと東中央広場(concourse)南口を通り過ぎ、西中央広場(concourse)拠(よ)りは逼る終電にそのまま出入り口に吸い込まれる。崇拝もしくは毛嫌い・軽蔑、裏と面を一度きり仕掛けるそぶりはまったく、両陣営に同じ経路を辿らせた。

 理解はするさ。店長の言い分、言い方には首を捻る。平伏(ひれふ)すほどの意外性とは毛色が違った。まだこの先にきっとどんでん返し、私を驚愕の渦に反時計回りに誘う抜群の推理とやらが控える、そう思いたかった。だって、小川は片目をこする。今頃は地下鉄を降りて熱い水飛沫(shower)を浴びるか汗と油にまみれた着の身着のまま寝台(bed)に頭を埋める、この代償は高くつくのだ。

 軽音間快(rhythmical)、店長は掴む、挟む、咥える、吸う、吐く、叩く、吸う、吐く、置くを淀みのない動作でそれは染みついた礼儀作法にどことなく近しいものを彼女は感じ、うっとりと所作の流麗さに見惚れて、いやいや、居癇(いかん)と自らを律し二吸い分の煙をたんまり肺に吸い込んだ。

「駅利用者と駅職員、通報を受け駆着けた交番の制服警官は思惑通り、『する』『しない』の規約と結(むすば)れた。これで東中央広場(concourse)は事象の前後被害者と犯人の二人のみ。例外として北口扉(door)近くに利用者を配置しておきましょう。、殺害です。被害者の希みを含む他殺でした。南口もしくは地下道へ降りた。南口は閉鎖されいなかった、地下道に直結する階段も昇降(のぼりおり)に支障はない。どこへでも、は語弊がありますが少なくとも警察の追跡から逃れた監視外の経路(route)が選ばれたことは確かでしょう、地下道でも駅に筒中(つなが)る通路内は法適用の範囲内です。解像度に劣る北口の監視動録機(camera)を把握していた、用意周到な機質を窺い知れます。淡々とことの済ませ。忽(たちま)ち発覚、追手を躱(かわ)すべく一時(いっとき)の間(ま)を欺く、『規則』を逆手に取ったのですから犯人は『規則』を見ていればよかった。駅職員が死体発見『する』おおよその時刻、それから警察への連絡と現場に駆着『ける』所要時間。人払いが異様、完璧に働くなか着替えはゆとりを持って死体の目の前でも行えたはず。駅構内の監視動録機(camera)は職員の業務違反と乗降(のりおり)に限られた諍い(trouble)が録画と開示を要求できる対象となり、改札付近と切符売り場、みどりの窓口は全体と職員の手元が撮影区域(area)。改札より約八十m南の現場は映りようがない」

 店長は顔を開いておどけた、煙草を吸う。私たちは情報過多なのかもしれない。店長のずば抜けた推理は欠けらを独自に練り上げる訓練そのもの。これは料理指南に通じる、あれこれこと細かな指導を私とリルカさんは受けずに自由な調境に身を置く。、退屈を通り越すと不安に駆られた。叱咤激励、手取り足取りの指導をどこかで私は期待に胸を膨らませ、萎んでもなお空気を入れてさ、加圧してくれると背中を押してくれると勘違いをしていたんだ。考える、これを第一に店長は言う。誰にとってでそれはいつ食べられて、だったら昨日はどのような日和で週の何日目で月のどの位置を移ろい、季節はいつごろか、常に考えてください。強制を受けた試しはあってたまるか、店長の怒りに任せた言動を従業員の私たち以外にだって向けられることはないのだ。冷静沈着、孤独を好むけれど人に健啖なだけかも。振舞う料理は必ずといってお客個人の好みがあるのだから、少数の食べ残しに一喜一憂するのは明らかな誤りで勿論反省はするべきだ、だたしそれは検証を義務付ける。落ち込むという態度は不必要だ、と店長は言い切る。過去は取り戻せない、君はふがいない以前に手を伸ばして改変を望めばよい。記憶の改ざんには手間だし都合の良い解釈も抜本的な解決策とはほとほと言いがたい。目を向けるべきは次に迫る調理だ。失敗の要素を抽出した改善策を試す。君の目線は膝を抱えた己(もの)それとも先を見る、であるならば獲得したい未来のために過去は切り捨てて。

 私は講釈を聞きたくて失敗を重ねた可能性は、多分にありえるだろう、不謹慎だよね、彼女は事件を紐解く店長の声を読経のよう、揺さぶる骨を意識した。

きっぱり別れて、。店長は鋭いのだ、私の心境の変化ぐらいお手の物で見透かして、しかしだけれども決してそう軽率には忠告せず私自身の気づきを誘う。餌に食いついた私を私が吊り上げてすごいでしょうと体長を見せ付けるんだから、まったく進歩のないやつですよ。

 あからさまに首を振った。海沿いの喫茶店で魔法瓶に特別充填してもらったcoffee(コーヒー)をぐびりと傾けた、ずぶ濡れよ有難う。そっけない、coffee(コーヒー)は思いのほか喉を通過する量が少なかった。店長はまだまだ俄然解説を続けるつもりらしい。無理をしてるのかも、ちょっと心配になる。

 女性刑事の後助(follow)は空想を調挙(しらべあげた)た事実という史実を充嵌(あてが)い、あっさり補いそくり店長の名調子は断えず続いた。

 長尺対面台(counter)席のお客を忘れてた、お茶ぐらいは出しておくべきだろう、店長と対談の順番を待ちわびる、私事(private)なお客はもってのほか。そういえば、と彼女は椅子に張付いた腰を上げた。精算機(レジ)台に傘がぶら下がり、店長は的確的合(pinpoint)に傘などと言えたんだろう。心ここに在らずでお客に「飲み物を出しましょうか?」、気を利かせた。断られたらtoilet(トイレ)に立ったと思え、小川は要望に応えてglass(グラス)に水を注いだ。

 

役不足な柔焼菓(sponge cake)と不確かな記憶 6

 規則に従う、私たちを含めたS市民の扇動・洗脳は水面下で日常生活に私たち自身が取り入れた。店長は言切る。各自に付与された規則は単数複数、幾多、数多。外に目の向くいわゆる社交的な人は自害を招く内省侵食に独立した個人の復旧に、山篭りや孤島の野生種続(survival)が有効的な手段。世を賑せた開業前の受賞式典を転機に日本正は一躍、話題性と情報媒体(media)がこぞって取り上げた助走が開店を皮切りに花開いた。規則の登場を店長の身は感取(かんじとっ)ていた、私もその体験者の一人で特に奇怪な来客と立て続けて遇ったことは不思議に捉えていた。一ヶ月に一度、季節の変わり目とか朝晩の気温差が著しい時期、あとたとえば最近表舞台の出演が減った俳優の訃報を耳にしたときは大概前日前々日が気温の日較差は顕著な推移を示す、とははっきり確かめていないにしても私も寝つきの悪さや鼻水、咳等の体調不良の諸症状がその近辺で現れやすい。……おかしな言動のお客は溜め込む精神疲弊(せいしんひへい)などの体の不具合を気候の変動という外的な働きかけにこのまま次の季節に突入してはあなたの体は持ちません、ここいらで膿を出し切りましょう、そうして異常行動に走ったはず。ただ店長曰く、個人が生来備えた倫理規範をこっそり書き換えたため当人はあたかもこれまでの規律に即して生きているつもりであって、それが『記憶の誤信』に似る状況を招いた。

 店長は鮮やかな解説に打って出た。高域変速(shift up)というよりかは、一段下げて回転数の高い回転力(torque)重視の前進遊戯に興じているふうだった。楽しげにさえ私には映った、私たちには先ず晒したりはしない、笑みさえ称えていた。店長は端的な言い回しを多用することで長考に陥る刑事を気遣う始末。焼いているなどは想像も遣ろうとするなら寝首を掻ききる。だって思えた私はつまりは、音を戻そう。

「自称目撃者で現在は容疑者の高山明弘さんは地下道の鎧戸(shutter)を広場側で待った。自動式の鎧戸(shutter)が突然稼動を始めた、その内部に咄嗟に入ろうとするでしょうか、一般的な感覚とは些(いささ)かずれを感じます。故に鎧戸(shutter)内で駅員と出くわす彼は凄惨な死体を網膜に写し取りながら守勢に回る本能とは真逆の行動を選んだ。恐慌(panic)に陥る言動でしたね、駅員に事態を伝えるときは。、矛盾した行動です、もちろん恐慌(panic)だから不確な動きをしてしまった可能性はなくもない。ただそう言えるなら、十五分もの間をおろおろと地下道を歩き回っていたのか、という怪しさが表層を占める。腰を抜かした、手を拱(こまね)いていたかもしれません。であるなら、追加の目撃証言を忙しさを楯に面会を拒むも電話口では素直に応じたその数回になぜ詳細を語らなかったのでしょうか」

 店主は引き抜いた命吹(い ぶ)き。いつも酸素を補う、そう思えてしまう。小川は店長を真似て煙を吸い込んで、むせた。口元に夢中になりすぎたあまり行為と意思が均衡(balance)を失った。彼女は目を瞬かせる。

「行動と思考が均衡(balance)を失う、不規則(anbalance)な動きが生まれやしませんか。緊張で舞台上で両手両足が、こうナンバ歩きのように揃って出てしまう。伝えたいけれど、伝えられない、どこへ連絡をしていいものやらで、感覚に狂いが生じた。それにもしかするとですよ、死体が出現した時間だって終電の前とは限りませんもん」

 店主と種田は顔を見合わせた。店主が言う。「もっとも読違(misread)されやすい箇所だね、そこは。僕も考え付かなかった」

「同意見です」

「……私ぃ、もしかして難事件の真相とやらを偶然見つけちゃいました?」意図せずに願った希望が叶うときは稀に引き起こる。これが棚から牡丹餅なのかも。

「中らずとも遠からず」店主はいたずらな表情を浮かべ、小川の、安佐の濾過膜(filter)を通した映像の店主は至って無表情な創面(かお)で、なにやら隣の刑事と示し合わせた。褒められた温もりと眠気が混在、またまた音が途切れた。しか、と視線が交じり店長の口が言う。「早現遅反(time lag)の検証は目撃者である高山明弘さんの関与に疑いを抱いた折節に、改めて見直す別角度の可能性なんだ。初動捜査から付近の聞き込み、被害者の身辺を洗う段階で目撃者を容疑者と見定める扱(あつかい)は身に染みついてる警察だろうから、あえてそこを避けた捜査が優先されてしまった」

「つまりはそれを最初に疑ってしまっては逃走を図る容疑者の手助けを捜査の遅れが後押しする形になる、ということですかね」小川は上瞼に黒目を寄せる、呟きは自信のなさの現われ。

「『規則』だね、これは」

「うへぇ、こんなところにまで規則が幅を利かせていたとは……」小川は感心する。「正直言って捜査はほぼ予想内、想定した未来を歩かされていたのか、ふむふむ」

「以前にもS駅で事件が起きていますね?」

種田は店主の問いに答える、決まりきった往復の幅。「一年前類似の殺傷事件が起きてます」

「おう、そういえばそうですよ」言われてみるとあれは物議扇醸(sensational)な事件だった。大事なことをどうして忘れてたんだろうか、小川は不向きな頭脳労働に乗嵌(のめり)込む。燃えた跡の灰を測る、ちょくちょく灰やいかがかしら侵食具合は、確かめる。灰と消えたから忘れることを厭わない、あるいはもっと重大な事件に掻き消されていたからか?どうにも不自由な頭脳よ、記憶力はそれなり優れている、お世辞抜きに物覚えは良いのだ。勤務中に問うた記憶は、ある。私はたぶん店長に「物騒ですね」、とか地下鉄乗場ではあんまり事件の話題を聞きませんけど、電車は表を走る代償に目間巡(めまぐる)しい車窓の飛入(ひいん)と牛牛(ぎゅうぎゅう)詰めの車内が襲って降りて一早く鬱憤を晴らしたいのかしらんと不躾に尋ねてた、後悔は都合よくこれまた隠蔽、忘れていたんだ。小川は胸骨、首の付け根から片方へ傾けた。

「有名人、僕は顔も名前も知らない、醜事(scandal)が時事掲載の取扱いを最小に抑えたんだ。お客さんの忘れ物は特に多かったからね、持ち歩くには不要な、店で読み終わり席に捨てた、というほうが正当かな」店長は忘れ物の雑誌類を持ち帰る、世間の流れを遅れて遠くより辛くも得る、それほど必死には、うん、図表(graph)、計数を観ているのよ。あの時期の異変といえば、芸能人が薬物違反で捕まった。連日世間を賑わせたのが、そう殺傷事件の翌日だった。ああ、朧気ながら思い出してきたぞ。小川は煙を吸い込む。店長たちが褒めた思違(misread)っていうのはもしかすると……、小川は思いつきを言う。

「去年の殺傷事件は芸能人の逮捕劇に隠されて、今年のと去年の関連を疑いすら抱かせず排除してしまった」

「小川さん、深夜の時間帯は冴えてるね」

「普段は鈍感だと聞こえます」それじゃあ、私があんまりである。

「受け取り方は任せるよ」

十五%を超え傾く、吹玖(ふき)硝子を横切る白光が放射状窓に溢れ覆い、流れた。

「南口の利用を西中央広場(concourse)へ、出入り口が意匠によらず向う先へ偶然であれ誘導を成し遂げた」種田は平板な調子を守る、店長と堅苦しさはどっこいどっこい。もしかしたら高尚な家柄、うーん貴族は似合いそうだ。社長令嬢の自由奔放さは子供の時分、矯正でもって押さえつけられた。勝手な想像である。多少これで眠気は吹き飛んだな、休憩は大切、店長の教えが身に染みてますとも。

「あなた方は南口西中央広場(concourse)の入念な再捜査は済ませたましたね?」店主はいった。

「警察の捜査に不手際があったのですかぁ?」小川は高い声を出した。

「聞き込みに不備の要素はありません。ただ」

「ただ?」

 種田の目が閉じて開く。

「『PL』の店主日本正の逮捕を質問冒頭に告げると前回は『はい』か『いいえ』だった端的な返事が具体性を帯びなおかつ分単位の時刻を堰を切り事件当日の情報提供に協力をしてくださいました。信じる教祖は偽、無条件に崇めた偶像視を他人の通告により端と我に返る。我、己、自分、私、僕などはどだい他者との関係で作られた幻像(hologram)ですから。私が嘘を与えていた場合も聴取の対象である駅の利用者はそのでまかせを所持したでしょう」また赴き、初めての待ちに待って、知らぬ存ぜぬ。、貴重な機会を奪われては困る。利用者の関心、と対極の無関心へ働いた一度目の聴取、ということ。

「刑事さんも結構お喋りな性質ですね、隠してましたねぇ」

 種田は小川の陽気なはしゃぎように見向きもしない、煙とcoffee(コーヒー)を嗜む店長にぞっこんである。眼球が捉える店長、側面。体ごと、上半身を腰を軸に回転させると威圧感が生まれ話しにくさが増してしまうから、けれど周囲の観測だよ、店長を凝視するこの人は、思慕のそれこそ桜桃の色香が漂いくる。店長相手では誰だって特に年齢が近いのならば、私情に走りがちな止めようにも制御はおこがましい。衝動とやらは手強い、手綱と鞭に頼ずにはいられんのだ、風見鶏は同じ方角を示す。……変だぞ。日本正が捕まったのだよな?あれれ、どこで引っかかる?解答欄が妙に広く物足りない。なにか、忘れてる気がする。

 店長は煙を吐いて、座り直した。一度、長尺対面台(counter)の客に視線を送る。愛想笑いと軽い会釈、足を閉じて座る態度はこれからが仕事。よそ行きの格好を待機中にも維持をしなくては。そうはいっても普段の生活態度が礼節に則る生き方であると居住まいを延々と正す時流は平常の移ろいなのでのほほん、腰掛けていられる。

 危うくだ。不断の回答、その始まりを聞き逃すところだった。これほど多彩な声響と抑揚、聴衆への気遣いは今回限りに違いない。店長だって私と同属、夜行星の出身だろう。朝型を習慣づけているものの、侘(わびし)い位の寝夜が心地良いに決まってる。店主の声は古い映画みたいに砂羅(ざら)つき雑音(noise)だらけだった。

「崇め奉るに値するか否か、外気に触れた作用が正気を取り戻す、還る境線(line)を上回った。日本正の地位陥落は駅利用者の証言を覆した。刑事さんの執拗な聞き込みを以ってしてようやくです、事実の縁に手を鉤けた。事件の大部分は淡々そして黙々と断崖へ放り出される、両足片手は谷底を行過る突風の煽りに耐え凌ぐ。ぺらん片石(へんせき)崩れて多少の取っ掛かり、希望が見え始めましたかね。『規則』は対象者の変容によって解除されるという大よその向きを、僕は立てた。刑事さんの調べでやっと確証に変わった、感謝します。憶測で講釈を垂れるのはいささか気後れしますし、曲りなりに店主の名を冠する、従業員の手前指導者の立場を優先するでしょう。もっとも私ひとりであったなら、警察の応対は入店直後にきっぱり退出を命じてます、談笑する隙を見られてた、私の落ち度です。『規則』に戻りましょうか、考察を打ち明けるには前奏がどうやら必要らしいですね、どうにもいつもとは勝手が違う。さあて、、一年前の事件に著名人の不正を宛て隠匿し、関連を疑われる先日の殺戮をも過去が別件と思い込ませた。これの応用、南口を通過(つか)う週末の利用客は誘導に遭遇し、与えられた『規則』は彼らの自覚を意識によらず上書きする。誘いに時の過ぎる、表出、体は正直です、最終電車の時間が迫る、家帰(かえ)るために『規則』を改めて読込む利用客は、南口を選んだ。西中央広場(concourse)の選由、誘導をこれはすっかり塗り替えた、。日本正の逮捕後、彼の『規則』を脱ぎ捨てる利用客たちの再聴取で得た証言すべてがと言い切りましょう、現在まで堰止められたのです。利用客は誘導を不振めいて見つめた時期をさらり、手放した。結目(むすびめ)の解どき満足したところへ現れるがひとつ前の結目(むすびめ)、玉が目留(と)まります。そればかりか、手繰り寄せるきっかけを利用者たちは奪われた。二つ下を思い出せましょうか。無意識を拭うと現われた自覚、生乾きなら記憶の隅に隠れ、擦る。騙された。、前色を知覚したら七情の発露。 犯人の思惑通りにことは進められてしまった」

見惚れ、方や流れまいと東中央広場(concourse)南口を通り過ぎ、西中央広場(concourse)拠(よ)りは逼る終電にそのまま出入り口に吸い込まれる。崇拝もしくは毛嫌い・軽蔑、裏と面を一度きり仕掛けるそぶりはまったく、両陣営に同じ経路を辿らせた。

 理解はするさ。店長の言い分、言い方には首を捻る。平伏(ひれふ)すほどの意外性とは毛色が違った。まだこの先にきっとどんでん返し、私を驚愕の渦に反時計回りに誘う抜群の推理とやらが控える、そう思いたかった。だって、小川は片目をこする。今頃は地下鉄を降りて熱い水飛沫(shower)を浴びるか汗と油にまみれた着の身着のまま寝台(bed)に頭を埋める、この代償は高くつくのだ。

 軽音間快(rhythmical)、店長は掴む、挟む、咥える、吸う、吐く、叩く、吸う、吐く、置くを淀みのない動作でそれは染みついた礼儀作法にどことなく近しいものを彼女は感じ、うっとりと所作の流麗さに見惚れて、いやいや、居癇(いかん)と自らを律し二吸い分の煙をたんまり肺に吸い込んだ。

「駅利用者と駅職員、通報を受け駆着けた交番の制服警官は思惑通り、『する』『しない』の規約と結(むすば)れた。これで東中央広場(concourse)は事象の前後被害者と犯人の二人のみ。例外として北口扉(door)近くに利用者を配置しておきましょう。、殺害です。被害者の希みを含む他殺でした。南口もしくは地下道へ降りた。南口は閉鎖されいなかった、地下道に直結する階段も昇降(のぼりおり)に支障はない。どこへでも、は語弊がありますが少なくとも警察の追跡から逃れた監視外の経路(route)が選ばれたことは確かでしょう、地下道でも駅に筒中(つなが)る通路内は法適用の範囲内です。解像度に劣る北口の監視動録機(camera)を把握していた、用意周到な機質を窺い知れます。淡々とことの済ませ。忽(たちま)ち発覚、追手を躱(かわ)すべく一時(いっとき)の間(ま)を欺く、『規則』を逆手に取ったのですから犯人は『規則』を見ていればよかった。駅職員が死体発見『する』おおよその時刻、それから警察への連絡と現場に駆着『ける』所要時間。人払いが異様、完璧に働くなか着替えはゆとりを持って死体の目の前でも行えたはず。駅構内の監視動録機(camera)は職員の業務違反と乗降(のりおり)に限られた諍い(trouble)が録画と開示を要求できる対象となり、改札付近と切符売り場、みどりの窓口は全体と職員の手元が撮影区域(area)。改札より約八十m南の現場は映りようがない」

 店長は顔を開いておどけた、煙草を吸う。私たちは情報過多なのかもしれない。店長のずば抜けた推理は欠けらを独自に練り上げる訓練そのもの。これは料理指南に通じる、あれこれこと細かな指導を私とリルカさんは受けずに自由な調境に身を置く。、退屈を通り越すと不安に駆られた。叱咤激励、手取り足取りの指導をどこかで私は期待に胸を膨らませ、萎んでもなお空気を入れてさ、加圧してくれると背中を押してくれると勘違いをしていたんだ。考える、これを第一に店長は言う。誰にとってでそれはいつ食べられて、だったら昨日はどのような日和で週の何日目で月のどの位置を移ろい、季節はいつごろか、常に考えてください。強制を受けた試しはあってたまるか、店長の怒りに任せた言動を従業員の私たち以外にだって向けられることはないのだ。冷静沈着、孤独を好むけれど人に健啖なだけかも。振舞う料理は必ずといってお客個人の好みがあるのだから、少数の食べ残しに一喜一憂するのは明らかな誤りで勿論反省はするべきだ、だたしそれは検証を義務付ける。落ち込むという態度は不必要だ、と店長は言い切る。過去は取り戻せない、君はふがいない以前に手を伸ばして改変を望めばよい。記憶の改ざんには手間だし都合の良い解釈も抜本的な解決策とはほとほと言いがたい。目を向けるべきは次に迫る調理だ。失敗の要素を抽出した改善策を試す。君の目線は膝を抱えた己(もの)それとも先を見る、であるならば獲得したい未来のために過去は切り捨てて。

 私は講釈を聞きたくて失敗を重ねた可能性は、多分にありえるだろう、不謹慎だよね、彼女は事件を紐解く店長の声を読経のよう、揺さぶる骨を意識した。

きっぱり別れて、。店長は鋭いのだ、私の心境の変化ぐらいお手の物で見透かして、しかしだけれども決してそう軽率には忠告せず私自身の気づきを誘う。餌に食いついた私を私が吊り上げてすごいでしょうと体長を見せ付けるんだから、まったく進歩のないやつですよ。

 あからさまに首を振った。海沿いの喫茶店で魔法瓶に特別充填してもらったcoffee(コーヒー)をぐびりと傾けた、ずぶ濡れよ有難う。そっけない、coffee(コーヒー)は思いのほか喉を通過する量が少なかった。店長はまだまだ俄然解説を続けるつもりらしい。無理をしてるのかも、ちょっと心配になる。

 女性刑事の後助(follow)は空想を調挙(しらべあげた)た事実という史実を充嵌(あてが)い、あっさり補いそくり店長の名調子は断えず続いた。

 長尺対面台(counter)席のお客を忘れてた、お茶ぐらいは出しておくべきだろう、店長と対談の順番を待ちわびる、私事(private)なお客はもってのほか。そういえば、と彼女は椅子に張付いた腰を上げた。精算機(レジ)台に傘がぶら下がり、店長は的確的合(pinpoint)に傘などと言えたんだろう。心ここに在らずでお客に「飲み物を出しましょうか?」、気を利かせた。断られたらtoilet(トイレ)に立ったと思え、小川は要望に応えてglass(グラス)に水を注いだ。